能登の寒ブリ祭り

昨日、ブリ祭りが能登町であった。コロナのため、2年ぶり。
会場では宇出津港(うしず)で水揚げされた新鮮な能登の寒ぶりをはじめ、たくさんの魚介類や地元特産品が販売された。
梅茶翁のしんごちゃんも、珈琲を販売。ブリの解体ショーも実施され、解体されたブリはお刺身として無料で振る舞われた。
コロナの前は、しんごちゃんから東京の天真庵に10kクラスの寒ブリが届き、般若くんにつくってもらった木曾檜の
大きなまな板の上にのせ、解体ショー(といっても早朝だったので、だれも見てないけど・・)をやり、「自分で寿司をにぎる会」
などをやったもんだ。

今朝は、資源ゴミの日。朝から雪になりそうなくらい冷たい雨が降っている。じいちゃんたちは、軽トラやネコ(一輪車)に
ゴミをのせて、運んでいる。納屋の中の、いっぱいあった器(祭り・冠婚葬祭を家でやるので、昔はどこの家にも、陶器や漆器
などが、やまのごとく用意されていた。それらを整理するのに、3年はかかる)をだす。納屋の中にあった本なども、やっと片付いた。

「ひとつ片づけて、ひとつ増やす」をこころがけていたら、断捨離や終活にあまりこまらない?
今日か明日に、東京から箪笥や書棚などが届く。実家にあった「将来読もう」と思っていた本は、3年前に
ほとんど処分した。500冊くらいあった。宿便がとれたみたいに、すっきりした(ほんとうは、ぜんぶもってきたかったかも)
けど、東京の本をこちらへもってきたら、またすごい数になっている。雨の中、前の住人さまの本の束を納屋から運ぶ途中、
『いつか自分の本を片づける人も、こんな寒い中で重たい思いをするんだろうな』みたいな気持ちが脳裏をよぎった。

器も重い。お店も、能登の家も、9割以上が久保さんの作品。「寒山拾得美術館」と称しているけど、
京都の河井寛次郎さんの記念館じゃないけど、さながら「久保忠廣記念館」みたいな感じだ。
今朝は、織部の四方皿に、ハムエッグをのせた朝食。本と違って、器(作家もの)は、古色がつく(使うほどに風合いがでる)
ので、断捨離の対象にはならないと思うけど、「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」で、将来のことは
誰もわかないか・・・?

昨日読んでいた「梅華開」に、正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)の「仏道をならうといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。」
の解説があった。読めば「ふん。なるほど」であるが、その程度のことを道元さまが伝えたかったのではない。
毎日毎日の「今ここ」のところで、味わいつくしていくことなのかしらん。まだまだ道の途中だ。感謝。

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