88歳になり、ガンが転移したりで、なんども入退院を
繰り返している友人Kからの近況の年賀状が届いた。
故郷の大分日田の林の中で作業をしている写真。
国鉄(IR)を退職してから、不動産業をおこし、そのころから大分と
東京を毎月往復(デュアルライフ)をしておられる。
なかなか、作業着がきまっている。今流行りのワークマン女子ではなく、
昔からの日田スタイル。
日田は昔から林業が盛んなとこ。彼はまだヨチヨチ歩きのころ、お父さまを
山の事故でなくした。まだ、ことの意味も解せず、葬式の時は
ひとりはしゃいで、列席者の涙を誘った、という話を酒の席で聞いたことがある。
お母さまが父親がわりに山で働きながら、家計を担った。酒が好きで電話がかかってくるたびに
「酒がそろそろなかよ」と催促されたとか。九州のおなごらしか話だ。
知り合ったのは、25年以上前、「ねっと21」というITの業界団体の理事長をやっているころ。
赤坂にあった事務所の経費が嵩んでいたので、大塚あたりに移転しようと、天祖神社の近くに
ある不動産屋を訪ねた。そこのオヤジが、Kさん。まだ三味線の音が聴こえる「三業地」(花街)の
歌舞伎の玉三郎さんの実家の隣のマンションの一階に、事務所を移した。
お母さまが鬼籍入られ、実家が空き家になったころ、日田に遊びにいった。
幼馴染が釣ったアユを庭で七輪で焼きながら、焼酎を飲んだ。トイレを拝借しようとすると、
「男は畑でするのが、ここの流儀ばい」という。「なるほど」といって、流儀どおりに立ちション。
あたりが漆黒世界になったころ「温泉にいくばい」。「おまわりにつかまりませんか?」と問うと、
「この村にひとりいる駐在所のおまわりさんが、昨日から里帰りしているので、大丈夫」といって、車で15分ほどの村の
温泉施設まで軽トラを走らせていった。その時に見た満点星の夜空が今でも脳裏にのこっている。
湯舟につかりながら、「空き家」をどのように活用するか、の夢を語っていた。
田舎暮らしをする場合に、「トイレと風呂にお金をかける」ということが大事だというのが、持論だった。
何年か後に、平成の大改修をした家にお邪魔した。
トイレは、合併浄化槽をつくり、最新式のTOTOの便器が鎮座していた。お風呂も広々とした
浴槽で、「孫たちがきたら、みんなで入れるっちゃ」と自慢しておられた。
今は、古希の祝いに、娘たちがプレゼントしてくれたという、五右衛門風呂が気に入っている様子。
荒れほうだいの林も、身の丈をこえぬ程度に購入して、仲間たちと伐採して薪ストーブの薪にしたり・・
「日田で産まれた男」らしいデュアルライフをまっとうされている。
ぼくも、縁あって能登の東京を毎月往復する生活になって5年。
先輩を見習って、合併浄化槽をつくり、コンポストトイレと、水洗トイレのふたつを
つくった。都会では想像がつかないと思うけど、それだけで、500万ほどかかった。
予算オーバーというわけではないけど、お風呂は「どげんしようか?」とまだ手付かずで、
近くの温泉に車でいっている。65歳から入浴料が260円になった。露天風呂もあるし、
食堂やスポーツ事務も併設(無料)だ。断捨離の前に、いらないものにはお金をかけない、ことも大事。
明日の夕方、営業が終わったら能登へいく。
今回は「冬の能登にいきたい」という、カッポレ女子3人が能登へ遊びにくる。
みんなで文人の宿「湖月館」に泊まる予定だ。舞台で「かっぽれ」でも踊ろうかしらん。感謝。