全国的?能登は毎日雨が降っている。今朝は少しお日様がでているので、
ソーラーパネルを玄関先にだし、蓄電池に電気を溜めている。もともと12月は
風も強くて、まだ集落の人たちが海に伝馬船ででていく気配がない。
タコ釣りも12月はお休みだ。したがって、食卓には魚がのぼることがなく、湯豆腐や
パスタなどで、熱燗もしくは能登ワインを飲んでおりまする。それはまたそれで、けっこう。
腹をすかしてやってくるノラちゃんたちも、牛乳と九州で買ってきた「イリコ」で
辛抱させている。
門前(総持寺)のまわりは、豆腐屋のレベルが高い。今上映中の「土を喰らう日々」の原作者の水上勉さんも
幼いころ福井から京都の妙心寺に修業にだされ、典座(てんぞ)よろしく畑仕事に、精進料理などを身に着けた。
寒山拾得(かんざんじっとく)の拾得(じっとく)である。寒山は詩を書く筆を持ち、拾得は箒(ほうき)で落ち葉を掃いている。
京都もそうだけど、普茶料理(禅寺に伝わるお茶と精進料理)には、
豆腐はかかせない食材だ。したがって、昔から美味い「おでんや」も多い。
もともとおでんは「三都物語」みたいな「二都の別」という言い方をした。
関東では「おでん」、関西では「関東煮(だき)」といった。今は、コンビニのおでんが代表選手
みたいな顔をしているばってん・・・
ぼくらが大学生だったころは、京都のおでんには必ず「ころ」という、クジラの脂身があった。
今は国際条約でクジラの捕獲が禁止されているので、しばらく食べていない。
昨日は、近所(といっても、車で15分)に灯油の買い出しにいった。その灯油や(ガソリンスタンド)の蓮向かいに
小さな食堂がある。女将さんひとりで切り盛りしていて、50年。天ぷらや刺身がおいしいけど、
冬はカウンターの中におでんの鍋が、いい感じのにおいを漂わせている。
いきなり「今日は私の75歳の誕生日。ようこそ」といって笑った。車にもどって、「ほぼぶらじる」の200グラム
入りを渡して「♪ハッピーバースデー・・・」のおでんパーティーが始まる。
昆布と干し椎茸と能登の塩で味付けされた「おでん」は、東京や京都でも食べれないレベルだ。九谷焼の鉢に、
卵・こんにゃく・厚揚げ・くるまふ・・を入れ、ネギの刻みをたっぷりのせた「盛り合わせ」、もちろん辛子は
お手製(チューブじゃなく)で、3合飲んだ。
かわいそうだけど、運転手の筆子さんは、ノンアルコールビール。
近所の同級生の板金屋さんが、カウンターに座った。昔から板金屋さんは、冬は仕事が少ないので、
1月2月に「味噌つくり」をするらしい。麹も自分でつくっているので、その期間は納豆も食べない(納豆菌が悪さする)し、
葬式(人と接すると、自作の菌が死んだりする)にもでない、とのこと。
能登に暮らしている人たちの「日常」は、縄文時代からずっとかわらない流れがあって、驚かされる。
菌の話がはずみ、少しメートルがあがり、「来年、麹をすこしあげる」というので、彼にも
「ほぼぶらじる」を手付けみたいに渡した。板金屋さん・・・番菌じゃない?
森鴎外に「寒山拾得」の短編があるが、芥川龍之介も俳句を残した。
粗衣粗食に耐え、「足るを知る」の象徴みたいなふたりの生き方に、文人のみならず、日本人は
自分たちの「標」(しるべ)にしてきたのだろう。
拾得は焚き 寒山は掃く落葉 芥川龍之介