UFOの里 珠洲の丸和工業さんの窯が再興した!

6月の地震で、窯が崩壊した七輪屋さん(丸和工業)にいく。
スタッフは古希を超えているけど、クラウドファンディングや、有志や、行政からの
援助もあり、新しい窯がほぼ完成して、来年の2月くらいに火が入る。
6月の地震の3日くらい後に、現場にいって、壊れた七輪の瓦礫をかたずけるのを手伝って
いたら、チャネって、「珪藻土七輪UFO」ができた。
売り上げの一部を、寄付したら、小さな朝顔七輪をいただいた。天真庵のカウンターの上に
置いたら、多くの人に「ほしい」といわれた。丸和工業さんのネットショッピングで8800円で
売っている。珠洲の道の駅でも売っている。能登に旅する機会があったら、ぜひお土産にどうぞ。

3日前にブログに書いた戦友みたいな後輩の葬儀が水曜日にあった。能登でのスケジュールがあったので、土曜日に
成城の自宅で最期のお別れをした。「やり遂げた」という爽やかな顔が印象的だった。

彼ら夫婦が4年前に能登の家に遊びにきた。今思えば、難病に罹病し体調も悪かったろうに、さすが
「今ここ」を大事にする行動力に脱帽。その後、近くの「義経の隠し船」にいき、珠洲の平家の里「上時国家」を旅し、梅茶翁に
いった。不思議な縁だけど、天真庵で三輪福さんに煎茶を教えている時、後藤くんが「ぼくもやってみたい」
という話になり、いっしょに星野村の玉露を喫した。その時に、「義経」の話や義父の平忠時(清盛の参謀)
、その娘のわらび姫の話をしたら、「能登へ行きたい」ということになり、そんな流れでやってこられた。
「あんな空気がきれいで、太陽がきれいな海に沈んでいく風景は、この世のものとは思えませんね。きっと神様が
極楽浄土をちょっとご褒美に見せてくれてるみたいでした」と、後日メールがきた。若いのに死生観がしっかりしている、
と思った。当たり前のことだけど、みんな100%死ぬ。だから生きているつかの間の毎日毎日が、輝いているのだと
思う。

夕方、珠洲から帰る帰路に、その極楽浄土みたいな洛陽に、大きな船の影が見えた。
思わず、『戦友別盃(せんゆうべっぱい)の歌』を口癖みたいに、口ずさんだ。大木敦夫(おおきあつお)さんが、
戦時中に船の上で作った歌。YouTubeで、検索すると、森繫久彌さんの朗読がでている。泣けるな~

言うなかれ 君よ別れを 世の常を また生き死にを
海原の はるけき果てに 今やはた 何をか言はむ
熱き血を 捧ぐる者の 大いなる 胸を叩けよ
満月を 盃に砕きて 暫しただ 酔いて勢へよ
わが往くは バタビアの街 君はよくバンドンを突け
この夕べ 相離るとも 輝やかし 南十字星を いつの夜か また共に見ん
言うなかれ 君よ別れを
見よ空と 水うつところ 黙々と 雲は行き雲は行けるを