コロナと年越しそば

今年も残りわずかになってきた。
通常営業は今日までであとは、「年越しそば」と「自分で年越しそばを打つ」
だけになる。今年も去年と同じくらいの数だ。
でも、お客さんから「帰省してくる娘(とか、孫)がコロナにかかったので、数を減らして・・」
みたいな電話やメールが毎日入ってくる。これまでほど、神経質な話ではないけど、その分コロナが
また身近に迫っているような気もする。

毎年暮れに「自分で蕎麦を打つ」に参加される看護婦からも電話。
「またコロナが流行ってきて、辞める看護婦仲間も多く、現場(病院)が逼迫してきたので、今年は蕎麦おくってください」
とのこと。どうやら、このへんが現実らしい。先日蕎麦を手繰りにきた若い看護婦さんも「忙しくで、5K減った」
と苦笑い。ほんとうなら、ダイエットがうまくいって、ニコニコ顔の話題ではあるけど・・

今年は、戦争になったり、安倍さんが暗殺されたり、円安や相変わらずの異常気象で、魚や野菜などの収穫も
ままならぬ状況かわりなく、そこにきて物価高騰で、「日常茶飯」に陰りが見えた一年。
昨日は「暮らしの実験室 やさと農場」から、卵とキムチを持ってきてくれた青年と酒を酌み交わしながら
談論風発。よく「新そば祭り」で蕎麦打ち指南にいったとこ。
彼は品川のIT企業に勤めながら、週末に「暮らし・・・」にいって、田舎暮らしの勉強をしている。
「東京は、めちゃくちゃ土地バブルで、友人やまわりの子たちが、お金とか土地の話をしきりにします。やさと(暮らしの実験室)
にいって、畑を耕し、雑草をとったりしていると、『土地よりも土のほうが大事だな』と痛感します」とのこと。

大森に住む彼に、かつてその町にあった古本屋の主人の本を紹介した。
山王書房の店主 関口良雄が残した極上の一冊「昔日の客」。まだ東京にも「土」があって、
文人墨客が生きていた時代のエッセー。

大半の人は「土よりも土地」のほうが大事だと思っている。そこが「今」の大きな問題点であると、わかるのは、
いつもバブルがはじめた後の話だし、その時は、多くの日本人も「喰いつめ」の状態にあるかもしれない。
来年は都会の人も、プランターで野菜を育てたり、週末には畑を借りて、百姓の見習いをするような年になるかもなんばん。
田舎暮らしにシフトする人も多くなるだろう。「自分らしく生きる」ためには、「土」が大切。みんな出直しのうさぎ年。

シュトーレンって、日本酒にあうとね?知っとーね?

池袋に天真庵があったころ、クリスマスや忘年会は「難民キャンプ」と呼ばれていた。

そのころ、It企業の社長連中、と、芸術家たち、の大きな二グループが、お客さん
だった。社長たちは、おおかた、仕事がうまくいっている時は、外で遊び、女などをつくったり、
うまくいかなくなると、仮想を含め、離婚する、もちろん紆余曲折の時も、家族といっしょという社長も
いるけど、だいたいそんな感じかな?今は知らないけど・・・女や車や財産などにまったく興味のない若者も
増えているみたいだけど。

そうゆう時代やったから、池袋の天真庵のクリスマスは、居場所をなくした社長や、彼らがパブや
クラブなどで仲良くしている多国籍な女性たちが集まって、「忘年会」「クリスマス」「新年会」を
やる、のが年末年始の風物詩みたいやった。出家やないけど、家をでて、よそにころがっていく人たちは、
♪包丁いいっぽん さらしに巻いて・・・じゃないけど、料理を得意とする連中が多かったので、
お酒さへきらさなければ、毎日が豪華な夕餉だったような気がする。いろんな国の料理や美人さんたちも揃って
「難民」は冠につくけど、みな幸せそうだった(笑)「火宅の人」がいっぱいだったな~

一方の芸術家たちは、UNA(テキスタイル)が、毎年クリスマスに「マホマフ」(魔法のマフラー)
の展示会をやってくれたので、多士済々の芸術家たちが集まって、新作のマフラーを買って巻いたり、
みんなで持ち込んだ「クリスマスプレゼント」の交換会などで、ワイワイ賑わいを見せた。
「難民・・と芸術家」奇妙な組み合わせだけど、どちらかといえば、柔軟な頭を持つ芸術家たちが、上手に
あわせてくれて、奇妙なふたつの集まりが、うまく融合していたように思う。
そして、そんな芸術家たちが、中心になって改装し、2007年に天真庵が押上に引っ越してきた。

15年が過ぎて、ITの経営者たちも、鬼籍に入ったり、会社をたたんだり・・・で、最近はめっきり音沙汰がない。
もちろん上場して、CEOなんて名刺つくって、まだ現役選手もいるけど・・・
芸術家たちも「その道いっぽん」でいくのは、容易ではなく、世の中に妥協したり、違う道を選んで、「たつき」
を得るに必死の人が大半だ。サラリーマンも大変やけど、経営者も、芸術家も、生きていくのは大変な時代だ。
もちろん、ぼくたち飲食店関係の人たちは、みな青色吐息の人ばかり(笑)

昨日は閉店間際に、今日の「ゆるゆるヨガ」の女子や、能登の田舎暮らしイベントに参加した女子たちが、
偶然こられて、カウンターがいっぱいになった。
「寺子屋」と称して、いろんな勉強会をやってきたけど、コロナと、寄る年波の仕業で、みな解散状態。
かろうじて「ゆるゆるヨガ」と「そば打ち教室」と「UFO焙煎塾」、「味噌つくり」「梅仕事」
のみが残った。どれもが、能登と関係もあり、梅仕事や田畑の手伝い、剪定・・・中には「田舎塾」
ではないけど、タコ釣りに入門してくる人もいる。来年はもう一歩、能登暮らしに重心が進みそうだ。
昨日は「そば打ち教室」が終わって、金沢のヨッシーから毎年おくられてくるシュトーレンをつまみに、日本酒を飲みながら、
そんなことを思った。「イケミ」(金沢のイタリアン)のシュトーレンは、日本酒によう合う。

今日も16時まで。それから「そば打ち教室」「UFO焙煎塾」  二階では「ゆるゆるヨガ」(ヨガとそば・珈琲で2200円)
明日の朝は「卵かけごはん」(8-10)

年越しそば

毎年の人、初めての人、孫が増えて例年より多い人、家族がなくなったり、大学や就職で家を
離れて、数が減った人・・・悲喜こもごもな年越しそば。
そもそも年越しそばを食べるようになったのは、「つなぎ」(そばは、つなぎ(主に小麦粉)の縁起。来年も縁が続きますように、
つながりが続きますように、という願いがこもっている。ぼくの生まれ育った北九州は、うどん文化圏やけど、
大晦日だけは「そば」やった。自分でそばを打ち始めてからは、毎年そばを田舎へおくっている。田舎そばではないばってん。

昨日、めずらしくちゃんとしたスーツ(この界隈は、あまりスーツ姿の人はいない)を着こなしたサラリーマンの
人が、そばを手繰りにこられた。そば前(お酒)を飲み、〆のそばを食べた後に、そばのおかわりを所望された。
お勘定の時に、「自分で蕎麦を打つ会に参加してもいいですか?」というので、「どうぞ」と返事した。
出張なのか、単身赴任で東京にきておられるのか、聞いていないけど、「その蕎麦をもって金沢へ帰ります」
とのこと。昨日は金沢も積雪があったらしい。

基本的に年越しそばには、つけ汁をつけている。つまり「ざるそば」で食べるように。毎月、能登へいく時、
留守中に雪かきをしてくれたり、畑や栗の木、柿木あたりのお世話をしてくれる近所のかたへ、そばをもっていく。
もちろん「つゆ」もペットボトルに入れて。暑い夏などは、ざるで食べておられるようだけど、やはり冬は寒いので、
あたたかい蕎麦で食べるほうが多いみたいだ。能登のシイタケと塩で味付けすると、ほんとうにおいしい。

昨日は、秋にしこんだ「柚子胡椒」が完成して、瓶詰めをした。
それにも、能登の揚げ浜方式の塩を使っている。先月島原にいって、おいしい柚子胡椒を買って帰ってきたばってん、
塩は、能登がいい。柚子はあまりとれないけんど・・

調味料の値段が高騰して、家計も飲食店の経営も青色吐息の様相だけど、「自分でできることは、自分でつくる」
を中心にしたら、なんとかなるように思うし、料理のレベルがぐっとあがるし、健康になるんじゃなかろうかしらん。

来年のことをいうと、鬼やうさぎ(来年の干支)に笑われそうだけど、今年の6月の珠洲の震度6の
地震の時にひらめいてできた「珪藻土焙煎器UFO」にのって、各地を旅したいと思っている。(一瞬でどこでも飛んでいける・笑)
おかげさまで毎日のように、いろいろな土地に飛んでいっているし、だれが、どこで焙煎しても5分くらいでおいしい珈琲ができ、
ぼくの出番はなくなりつつあるけど、時間があまったぶん、縁あるところで、「そば会」を増やしていこうと
思っておりまする。感謝。

Z世代はもう酒を飲めるっちゃね?

Z世代とは、1990年代後半から2012年頃に生まれた世代のこと。14歳から27歳ぐらいの世代。
今年のはじめ、姪っ子のユズが「ご無沙汰してます」といって、お店に入ってきた。
マスクをして、化粧をしているので一瞬、ボケた老人のような「?」な顔になった。
すかさず、マスクをとり「えーちゃん、わからなかったでしょ? ゆずで~す」といって笑った。
母親とわかれてたのが一歳。人に言えないくらいの寂寥感や、さみしさはあったと思うけど、
二十歳の大学生になった。典型的なZ世代だ。

20年前といえば、インターネットが普及したころ。
つまり、このあたりで産まれた子たちは、物心つくころからインターネットがあった。
だから、まだ幼稚園にいく前から、ネットにふれていて、テレビよりもネットの影響のほうを多くうけている。
じいちゃんたちが、テレビのCMで青汁を買う、とは対照的に、ファッションや飲食店なども、ネットできめる世代。
その前の世代は「ゆとり」とか「さとり」の世代とか言われていたけど、Z世代の人たちは、環境とか政治とか、
日本の伝統的な文化などにも興味を示す世代でもある。先日、そんなことを痛感した。

お昼すぎに、お店に若い女子が入ってきた。テーブル席が、埋まっていたので「カウンターにどうぞ」で、
座ってもらった。「友達と待ち合わせなので、珈琲を先に注文して、あとで蕎麦を食べてもいいですか?」というので
「OK牧場よ」と答えた。近くにできた大学の一年生で来年成人式らしい。Z世代だ。
メニューを見ながら、「論語の会、私参加したいです」とのたまう。「25年続いた会だけど、先生も生徒も
それだけ歳をくい、鬼籍に入ったり、入口だったりの人が多いので、コロナ禍のこともあり、今はやっていない」
「残念、受けてみたかった」  でも、若い女子が入門することをきいたら、草葉の陰からでてきたりして(笑)

10分くらいしたら、同級生の女友達がきた。メニューを見て「やっぱり、蕎麦屋は、そば前よね」
といって、いきなりステーキならぬ「アゴ酒」を所望。15年店をやってきたけど、女子大生が、
そば前に「あご酒」というのは初めてだ。黄瀬戸の片口に、焼きアゴを入れ、能登の地酒の「宗玄」の熱燗を
継ぐ。おちょこを選んでもらった。「この緑の猪口が素敵」といっった。
「この六角形のちょこは、オリベの六角いうねん」というと、「素敵!大学では教えてくれない」
「そうか、わしのいった立命館では、ちゃんと教えてくれたんだけど・・」(ウソ)

40以上も年下の彼女たちと、談論風発しながら、時代の変遷を思い知らされる。
〆の蕎麦を手繰って、お勘定の時に、「あご酒姫」がいった。
「『古民家カフェで~す!』とかいって若い子が挨拶するような店は、がっかりするけど、
お店の建物の古さとオーナさんが同世代で一緒になっているようで、とてもいいですね」とのこと。
おもわず「ありがとう」と答えた。
この天真庵が立ったのは、昭和20年。今年で77年になる。細かいことはいいけど、
そのくらいの年齢に見えているのかもなんばん。

ニコタマの女将さん・・・

ニコタマの姉さん、というか女将さんからメールがきた。
「UFOで深入りのモカを焙煎したら、とても幸せになりました・・・(略)
いただいた能登の大根を風呂吹き大根にしたら、またびっくり。
東京で暮らす・・・を考え直したくなりました」

さすが、若い女性だ。ぼくは、能登の大根は、なかなか歯がたたない(笑)
しかも、能登では、ブリ大根などを居酒屋で頼むと、10cmくらいの高く切った大根
がでてくる。自分で料理をする人だとわかるけど、ちゃんとつくった大根を、厚くきって
味をしみこませるのは、「ふたてま、みてま」くらい手間をかける必要がある。
「チンする」が、料理の真ん中みたいな時代だけど、ちゃんと作った野菜を、昔ながら
の調理器具で、ゆっくりていねいに、料理するって、大事だよね。

今日は、早朝から、焙煎をしている。銀座と新規の神田のカフェから、「年末年始用」の珈琲豆の
注文があった。商社からのメールで、「本日11時までに注文すると、年内配達ができます」のリスト!
電話で「・・・・・一俵(60K)頼みます。よいお年を・・」で注文。
あわただしくなってきた。

いよいよ年末の「年越しそばモード」
こないだ能登のお店で、ボクサーたちがトレーニングに使う「チューブ」を買って、毎日
トレーニングをしている。先日、よくいっしょに後楽園ホールにボクシングを観戦にいく医院長が
それを見て、ほしそうな顔をしたので、「クリスマスプレゼント」にあげたらよろこんだ。
「これでトレーニングしたら、おっぱいのカタチがよくなりそう」(笑)
古希とは思えない元気なお医者さんだ。感謝。

UFO売ります!

これまで、店内に焼き杉の短冊入れに、白いペンキで「珈琲豆売ります」
という看板をぶらさげていた。最近は、珪藻土の焙煎器UFOで自分で焙煎する人
が増えてきたので、この看板の裏に「UFO売ります」と書いて、ショーウィンドウ
の中に飾ってみた。「TQ処理された元気シール」、「隕石グッズ」など、これまで不思議な
ものが店内にはいっぱいおいてあるので、常連さんたちはびっくりしないけど、
店の前を初めて通る人たちには「なにここ?オカルトショップ?」みたいな顔して
いく(笑)笑わば笑え、でもどんな時代も、捨てる神あれば拾う神ありだ。

先日、若い女性が開店前に入ってきた。いきなりステーキみたいに、いきなり「UFOください」
とのたまう。どうぞ、と3つ用意して、一個選んでもらった。ほぼ毎日のように、どこかに嫁いでいく。
いきなり11000円の売り上げ(正確には、蕎麦を食べたり、生豆を買ってかえられたので、その倍くらいの売り上げ)
蕎麦を手繰り、ホボブラジルを飲みながら、談論風発。来年そうそうに、二子玉川にカフェをオープンさせる
女(ひと)らしい。ごはん、みそ汁、一汁一菜を安全重視をテーマに、旬のものを「できたて」で提供する、がコンセプト
らしい。それで、珈琲も焙煎したて、をだしたいと思って、押上在住のスタッフと店の前を通たっら、
「UFO売ります」という看板を見つけ、ちょうど「能登休み」だったので、本日まいりました、とのこと。
羊頭狗肉以上に、怪しげな「UFO売ります」の看板だけど、羊でも狗肉でもない、UFOが「ニコタマ」に飛んでいった。
「私、先週念願のUFOを初めて見ました」という。能登の梅茶翁のワークショップの時、UFOが
梅茶翁の上空に現れた。どうも、そのUFOと、焙煎器のUFOは連動しているのかしらん?ぼくはまだ未経験なんだが・・

「スタッフは何人でスタートするのですか?」と質問したら「女2人男1人です」とのこと。
「それは、まさしくニコタマですね」と答えたら、珈琲を噴き出すほど笑われた。
ぼくは、「うめ星」の二つ入りを作って、「ニコタマ」にしてOEM契約にしようか?
とも思ったけど、また珈琲が吹き出しそうなので、次回までプレゼンを温めていよう、と思った。

そんなわけで、来年から「ニコタマ」で、新しいことが始まり始まり、の気配。感謝。

青山に不思議な森の精たちが集まった!

3年前に、この世から迷い込んだみたいに、大分の杵築の「カテリーナの森」にたどり着き、
手前味噌みたいな珈琲を飲みながら、「いつか東京で・・」と約束したbaobabのコンサート
が青山であった。出かけ際に、そんな手前珈琲「ほぼブラジル」を手土産にしようと、用意していたら、
「小さな会場でのライブじゃないから、手渡しできないよ」といわれる。でももっていく。
チケットの手配を彼女に任せていたので、「青山」とだけきいていたのだが、「草月ホール」
が会場だった。

「池坊」「草月流」「小原流」が華道の三大流派。煎茶道は、「織田流」(わが流派も青山に拠点)が筆頭に(ウソ)・・・2000年前後に、南條先生や久保さんの作品展をニューヨークで企画した時、現地の「草月」の人たちが、久保さんの黄瀬戸や織部の花器に花を投げ入れてくれたことを思い出す。青山一丁目で降りて、草月ホールにいったら、人がずら~と並んでいる。
土日の二日間のコンサートが、丹下健三が設計した526人のホールを満席にした。1000人超え!
コロナ禍で、音楽家たちは、活動の場所を失い、大変な思いで活動しておられる。でも彼らは、不思議の森の中で、鳥のさえずりや、
木々の移ろいなどに心をよせ、楽器をつくり、田畑をやりながら、音楽も食も「ほぼ自給自足」の自然の営みの流れに身をよせて
おられる。目を閉じて、彼らの音を聴いていると、森の精や、虫のすだき、風の音が聴こえてくるようだ。

コンサートが終わり、余韻を楽しみながら、青山通りを歩く。「コンプス」があったビルの前で立ち止まって黙祷。
11月の28日に75歳で旅立った嶋倉社長と仕事をした場所。昭和58年に「パソコンらくらくレッスン」
というPCの入門ソフトを、コンプスにつくってもらった。独立してはじめてのソフトだったけど、日経パソコンの「教育ソウト」
のランキングで3年間一位やった。いろいろな技術者と触れ合ってきたけど、彼は類まれな天才だった。嶋倉昭男・金沢生まれ。
二番目にだしたデーターコンバータも、一流企業や国の研究機関などへ飛ぶように売れた。「横車」という名前だったけど、「UFO」にすれば、3倍くらい売れたかもなんばん(笑)大塚商会の技術顧問をしながら、いろんなものをつくり、マージャンも釣りもプロレベルだった。
突然「野村君、鯛が釣れたんで、おくった」と電話がかかってきて、翌日に大きな鯛がくるみたいな感じだった。
今でも厨房に、寒ブリをらくらく捌ける大きな出刃が研いであるのは、そんな流れが続いていた証拠。
ふたりでよく飲んだ青山のお店に顔をだして、「ほぼブラジル」を手渡し、故人を忍んだ。

コンプス、織田流煎茶道、骨董通り・・・青山というのは、実に縁のあるところだ。

今日は16時まで営業。それから「そば打ち教室」&「UFO焙煎塾」
明日の朝は、卵かけごはん。そばもお米も「新」の冠がつく季節になった。感謝。

カテリーナ古楽器研究所

大分の杵築(きつき)にこの世とは思えないような不思議の森がある。
3年前に、親父の墓参りに延岡に行き、帰りに国東半島(くにさき)のお寺の蕎麦屋で
ある女性と知り合いになった。運悪く、その蕎麦屋は定休日で、その女性の案内で、素敵な
レストランで食事をすることになり、「初めまして」からの会話の中で「なぜ、休みの蕎麦屋にいたのですか?」と質問したら、
「カテリーナ音楽研究所という古楽器をつくることを家族でやっていて、子供たちが楽器をつくり、音楽を奏で、CDを
つくって、それを蕎麦屋さんが営業中にかけてくれて、追加のCDを納品してきました」とそんな話だった。
「蕎麦屋でかかる音楽か~」と思った。

不思議で無駄のない縁を感じて、「そのCD一枚ください」といって、その場で買わせてもらった。
「カナタ」・・・今でも天真庵のオープニングは、そのCDが定番になっている。
「baobab カナタ」で検索すると、聴けるんじゃないかな~ 不思議な森の動画も。。 気にいったら買ってください。3年毎日聴いてもあきない。15年間、いろいろなライブをやってきたけど、彼らの音楽は、なんか異次元のものを感じる。
その流れで、食事の後に、不思議の森まで行ってしまい、「ほぼブラジル」を飲みながら談論風発。
自画自賛でないけど、あれほど自分の珈琲の美味さを感じたことは、後にも先にもない。
「カテリーナ古楽器研究所」で検索すると、HPがある。写真を見るだけで、空気感が伝わっている。
今、NHKFMで、ピータバルカンさんの声が聞こえているのだが、彼との対談の写真も載っている。

今日、彼らのコンサートが青山である。
朝からウキウキしている。人生には、不思議な邂逅というのがあるもんだな、と彼らのCDを聴くたびに思う。

♪雪の降る夜は 楽しいペチカ・・・

いよいよ本格的に冬がやってきた。
今朝は、プラゴミの日だけど、風雨がすごくて家を一歩もでれず、断念。
なにせ、網戸をギッコンバッコン左右に揺らす能登外浦の冬の風物詩。
ブリお越し、といわれる雷も元気に鳴っている。この荒波の中、大きな目を見開いて、
裸で泳いでいるブリは(ほかの魚もそうだけど)すごい、と思う。

能登の家は、石油ストーブと炭で暖をとっている。炭は、焙煎や焼き肉などにも使うので、
ほんとうに重宝している。石油ストーブと囲炉裏の炭の上では、やかんに水を入れているので、
珈琲やお茶をいれたり、洗い物に使ったり(なにせ、ガスを契約していないので、貴重なお湯)
と大活躍だ。それでも余る場合は、湯たんぽに使う。これが思った以上に暖かく、寝る時はふとんが
薄くてもOK牧場やし、朝顔を洗う時は、湯たんぽのぬるいお湯で充分に洗顔できる。
アベノマスクは、あまり活用されなかったが、岸田ユタンポがもしか実現できたら、燃料費の節約と、
国民の健康、内閣支持率も上がるかもなんばん?

先日、梅茶翁にいったら、今年完成したペチカに火がともっていた。欧州からロシア経由で日本にやってきたレンガを使った暖房器具。輻射熱(レンガをあたためて、じわっと、部屋中がポカポカしてくる)の威力をまざまざと体感した。来年の1月にでるDIYの雑誌に紹介されることになったらしい。3年くらい前から、薪ストーブも使っていたけど、初期費用、薪の消費量、メンテ・・・総合的に「ペチカ」のほうに軍配が上がりそうだ。ペチカの火を見ながら、珈琲やウィスキーを飲む、なんて究極の至福時間。
私腹肥しに忙しい政治家たちに、ぜひ体験させてみたいものだ。思わず、北原白秋作のペチカが鼻歌になってでてくる。

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
昔 昔よ 燃えろよペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ 表は寒い
くりやくりやと 呼びますペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ じき春来ます
今にやなぎも もえましょペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ だれだか来ます
お客さまでしょ うれしいペチカ

雪の降る夜は 楽しいペチカ
ペチカ燃えろよ お話しましょ
火の粉ぱちぱち はねろよペチカ

桜切るバカ 梅切らぬバカ

こんな「言い伝え」がある。
昨日は、久しぶりに雨があがったので、梅茶翁の梅林にて、梅の剪定(せんてい)をやった。
6回目になる。春を告げるように、桜の前に梅の花が2月ころ咲く。その前年の11月から12月に
剪定をするのがいい、といわれている。雪の中でやったこともある。20本近い梅の剪定をするのは、
けっこう重労働やし、脚立などを使って、木にのぼったりするので、危険も多い。
草刈り機やチェーンソーが一般化して、便利になってきたけど、それで事故も多くなっている。
どの世界も両刃の剣。

毎年、実った梅の収穫もするので、どの木のどの枝に、たわわになる、とか、日当たりがいいので
枝が元気なんだけど、お互いが邪魔して、風の通りが悪い、とかいうのがわかってきた。
石の上に3年、梅仕事も5年くらい続けると、いろいろな理(ことわり)が、わかってくる。
「切り上げ剪定」といって、太陽に向かって上向きの枝を残し、下向きの枝を切る、というのを基本にしているけど、
上を向く若い枝でも、その上の老枝を邪魔するような枝は、思い切って、切る。
正月に飾り餅の下へ飾る葉を「ゆずり葉」という。新旧が入れ替わる縁起で正月に飾る。この世の中、そんな
天地自然の理が生きているのがわかる。

つるべ落としのように、午後4時くらいになると、梅林も暗くなる。イノシシがでる可能性もあるので、
店じまい。先週は梅茶翁でワークショップの後、上空にUFOがでた。
なんとなく「UFO日和」な空を見上げながら、忘年会で予約した居酒屋「風来坊」にいく。
ブリも先週より脂がのって、旬を迎えている。来月15日は「ブリ祭り」。これから正月にかけて、
富士の高嶺のような値段になるけど、そのころは、鏡開きのように、庶民価格にて提供される時でもある。

桃栗三年柿八年 柚子の大馬鹿十三年

なにごとも、手間をかけて、実をむすぶ。苦労もせず、すぐに成果を求める昨今の人間
のおろかな生き方を、糺すような諺でもある。

もも尻3年 胸8年・・・(さりげなく女性に触るまで、かかる日数?)そんなことを言った俳優もいたけど、今は鬼籍にいらっしゃる。
YouTubeで、『戦友別盃(せんゆうべっぱい)の歌』を検索すると、いい味で朗読をしている人(笑)

今日あたりり、能登は初雪になりそうだ。「能登はやさしや土までも」・・・冬の能登は厳しいけど、この冬を
体験しないと、「やさしさ」が感じれないのも事実だ。

やることは 山んことあるが 日が暮れる

東京と能登の二股暮らしもはや4年。年年歳歳、こんな毎日を痛感しながら、老体に鞭うつ毎日。感謝。