昨日は、中能登の天日陰比咩神社 ( あめひかげひめじんじゃ )で、三輪福さんが
奉納舞をした。今月6日に、同じメンバーで、珠洲で奉納の舞をしたらしい。
珠洲の大野製炭所の工場だ。毎年、11月に炭焼きの「火入れ」をする。木が枯れた秋
のほうがうまく焼けるらしい。大野長一郎さんは、まだ40代だけど、「未来を炭で変える」を
モットーに、自分で木(クヌギ)を植え、育て、それを伐採して炭をつくる、をなりわいにしている。
そこの集落に、祭りが途絶えて久しい。祭りがなくなると、自分たちの子供たちが都会にでていった後に、
田舎にもどるきっかけがなくなる。そんなことから、三輪福さんに白羽の矢が飛んできた。
福岡の仙崖和尚は、「親死ね子死ね孫死ね」と、揮毫した。順番に死ぬのがよかろう、という節理。
炭屋の親は、その孫が生きていくために、木を植え、子供が木を育て、孫が伐採して炭を焼く。
産業革命という、今の資本主義の原点になる前の世界は、きっとそんな暮らしが当たり前だった。
革命によって、暮らしが便利になったぶん、なくしたものの多さに、気づくことが多い昨今。
ぼくも、能登にきて、はじめていったところが、大野製炭所と、その近所の珪藻土七輪屋・丸和工業。
今日も、東京のカフェから注文がきたので、大野さんのクヌギの炭を珪藻土七輪に入れ、珈琲を焙煎した。
少しおそめの朝食がおわり、焙煎したての「ほぼぶらじる」を飲みながらブログを書いている。
6日の火入れには、神秘的な火が使われた。能登の七尾の中島の小さな集落で、300年の間、一度も
消えることなく村人に守られてきた火。「火様」という。
これからどこもかしもも限界集落になる。「卵はひとつの器に盛るな」の諺のように、珠洲の大野さん
のところも、火様の守(も)り人になることを決めた日にもなった。
能登の人たちは「ひぃさま」という。とても素敵な重なる暮らし。
「持続可能・・・」「脱炭素・・・」と、オウムが日本語を練習しているような掛け声は勇ましいが、
なにも実態のない政治家たちに、見せてあげたい。「ひぃ~」と驚くか?
神社の帰り道、近くの道の駅「織姫の里」で、中能登の地酒「池月」を買って帰った。
囲炉裏に「ひぃさま」ではないけど、炭をおこし、鉄瓶に錫(すず)のチロリを入れて
晩酌をしていたら、近所のばあちゃんから電話「今、月が見えるよ・・」。何百年に一度
の皆既月食?つぎの何百年後にも、この星に炭が残っていたり、その炭と珪藻土七輪の焙煎
をする人がいたら、いいな~。そんな夢みたいなことを思いながら盃を重ねていたら、一升瓶が
ほぼ空になった。静かに「ひぃ~っ」と叫ぶ(笑)