新潟の糸魚川に、そんな学校がある。
「海」のプロを養成する学校。そこの一年生のKくんが
夏休みに東京に帰ってきて、そばを手繰りにきた。小学校の4年の時、
「そばもん」で予習をし、そば打ちをやって以来だ。その時は、身長が低いので、
ぼくの背に合わせた蕎麦台での作業に、背伸びしながらの初体験だったけど、
今では176cm、靴の大きさは29・5cm、
ジャイアント馬場さんなみになりそうな気配。
天真庵には、レトロなステンドグラスが玄関、客席に3枚ある。それを作ってくれたのが、
Kくんの母のあいちゃん。その作業の時、KくんO歳は、二階で小さな籠の中ですやすや眠っていた。
昨日も、「ぼくは、この家で産まれたような記憶がある」とつぶやいた。
いつも、能登路へいく途中、新潟の「道の駅あらい」に立ち寄る。そこのお土産さんに、
「新潟県立海洋高等学校 相撲部が監修したカレー」なるものが売られている。相撲部は毎年のように
全国大会までいくし、彼らのエナルギーの中核に「カレー」があるらしい。まだ食べたことがないけど、
こんど挑戦してみたい。秋には、学校のイベントで、「あんこう」を使った新作レシピの発表会みたいなものが
企画されているらしい。あんこう鍋以外は、頭に浮かばないばってん、相撲部の連中が工夫してこしらえると、おいしい
「あんこうちゃんこ鍋」になるかもなんばん。
Kくんは、ルアー釣りが好きで、キジハタ釣りにはまっているみたい。能登でも釣れるけど、高級魚。
九州では「アカアラ」という。
包丁を一本あげようと思ったら、まだ高校生、校則で刃物を持つのは禁止されているらしい。
小学校の時から「肥後守」のナイフをランドセルにいれて、エンピツを削っていた昭和の時代とは
ダンチだ。「酒は?」ときくと、「まだ飲めません」と優等生の答えが返ってきた。でも彼は一歳の
ころから、ミルクいっぱいの「ホボブラジル」を飲んでいる。昨日も懐かしそうにそれを飲んだ。
昭和の時代は、小学校の高学年あたりから、みな飲んでいた・・・九州だけ?
在学中に、能登へ遊びにくる約束をして、帰っていった。その時は
海の話をしながら、飲みたいもんだ。
明日の朝は「卵かけごはん」