行政用語で、「こうりょしぼうにん」、と呼ぶ。旅行中に死ぬ、という意味ではない。
「行旅死亡人」とは、本人の氏名や本籍地・住所などが判明せず、遺体の引き取り手が存在しない死者のことをいう。自殺者がまた増えてきて3万人を超えている。そして、この「行旅死亡人」も数も年間3万人をはるかに超えているのが「今」の日本の現状だ。
ぼくも高校を卒業し、一年浪人して19歳のとき、家をでて京都の大学にいき、その後東京で暮らして40年で来月66歳になる。
筆子さんという配偶者はいるが、子供はいないので、三行半(みくだりはん)を下されたら、独居老人になるし、そのまま古いアパート
に住んで、クロキリオンザロックを飲んでるとき、そのまま息たえたら、♪クロッキリリクロッキリで立派な行旅死亡人になる。
「人生は、死にっきり」かもね。死に向かって、毎日の「今ここ」を感謝しながら生き、死んだら、それっきり!
これからかなりの人は、結婚をせずにそのままひとりで暮らす人も増えているし、子供や家族があっても、それから親の介護とか離婚とか、少し歯車が狂うだけで、「行旅死亡人」になるのが「ふつう」になりそうなのだと思う。
だれもみな100%、人生というつかの間の旅の途中で死ぬのだから、それが天地自然の理なんだけどね。鴨長明(かものちょうめい)よろしく、草庵に住み、「河の流れのように」、さらさらと、生き、途中で野垂れ死ぬのが、ちょうどいい。
ぼくたちも、安倍さんも、ある意味、みんな「行旅死亡人」予備軍である。そうすると、不安を払拭する壷を売ったり、買ったり
する人もいなくなるのでは・・へんな宗教が跋扈する余地もない。
行旅(こうりょ)・・そんなことを考慮したのかしないのか、安倍さんが2億以上の税金を使って、国葬するこになった。
個人的な話だけど、昨日は親父の4回目の命日だった。その後施設に入った母親に電話。90歳になるけど、電話にもでるし、
最近は切り絵にはまっているようで、「大文字焼き(どうも「焼き」をつける人が多いけど、いらない。煎餅みたいないいかたやな~、
と誇り高き京都人たちは、忌み嫌う)を切り絵にしたいんだけど・・・どんな色の火やったかいな?」みたいな楽しい老後を施設でおくっている。
4年前は、両親がそれぞれの「葬儀」のためにぼう葬儀社に貯金していたお金(65万づつ)、で家族葬をした。
93歳まで生き、若い時はガダルカナルで闘った経験もあり、戦友はほとんど戦死し、碁の仲間や親せきも鬼籍に
入り、妹夫婦と、孫たち10人くらいで父を忍んだ。前日の通夜も、ぼくがひとりで葬儀場で、魂を昇華させたオヤジの屍(しかばね)の横で
すごした。
夕方、そこの葬儀屋さんの人が打ちあわせにきた。
「明日のお花はどうされます?」という。「ぼくは東京でお茶やお花を教えているので、明日は近くの山を散策して、
山百合(やまゆり)をいっぱい積んできて、知り合いの陶芸家がつくった花器に投げ入れます」というと、
「この施設は、花の持ち込みは禁止されています」とのこと。「それで・・・?」と聞くと、「生の花を花屋さんから
調達するのですが、10万円、15万円・・」なんてこと言い出した。「君、電通?その花は生でないの?」(もちろん、そんな今風なジョークはいってません)とはいわないけど、「10万」で妥協。「司会者は3万、音楽が一万・・・」とかいろいろ提案されたけど、
「司会はボクがやるし、音楽は大石学さんの『星の詩』を生前よく父が聞いていたので、そのCDを流します」と答えた。
母と妹が「やっぱりお父さんががんばってここまできたんだから・・」とかいうことで、花代や祭壇とか・・もろもろな
時価が積み上げられ、100万円くらいになった。もちろん、そんなヘンテコなビジネスモデルを構築させないと、その葬儀屋は
なりたたないし、その社員も職を失うと、行旅死亡人になる。そんなへんな悪循環型社会なのだ。
コロナの影響もあるし、経済的なこともあり、病院から直接焼き場にいき、火葬だけで、もろもろの宗教セレモニーを断捨離した「直葬」(ちょくそう)
というのが流行っているらしい。費用はアバウト10万円。
これから、ますます、家族や親せきとは、疎遠になっていく「無縁社会」をぼくたちは生きていく。
安倍さんの葬儀も「直葬」にして、余った予算の2億ちょっとのお金を、「みよりがなくなって、直葬ができないみなさんに
寄付します」(AIでそんなメッセージつくってもいくらでもない)というのは如何なものか・・?2万人分くらいになるので、しばらくの間、国民は、安倍さんのことに感謝するのではなかろうかしらん。
さきほどの母との会話の続き・・・
「いつ大文字を見たの?」と質問したら、「あんたが京都の病院に入院した時よ。ボケとらんね?夏やったろーが。
松崎くんの弟のつよしくんが、車を運転して比叡山まで連れていってくれて、その夜が大文字焼き(焼きはいらない、しつこい?)
やった」、とのこと。きっと余命宣告された子供のことを祈っていたのだろう。
家族も大事やけど、やっぱり「いい友達」を持つ、というのが大事なことやね。
いい友達を持つには、「まず、自分がいい友達になる」こっちゃね。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。(鴨長明)