能登と東京の二股暮らしも4年が過ぎた。
毎月、珠洲には、塩や七輪や炭を買いにいくようになった。
途中、「輪島の朝市通り」(なぜか、道案内に表記されている)を素通りする。
コロナの前は、観光バスが朝から並び、にぎわっていた。学生のころ(40年以上前)
に、京都から一度旅にきた時、立ち寄った。そのころは、素朴な朝市で、「お互いさま」みたいな自然が
あったけど、だんだん「観光地」になっていった。京都の錦市場とおなじように・・
こないだ、三輪福さんが、舳倉島(へくらじま)の奥津比咩神社 (おきつひめ)に奉納舞にいった。宗像大社と同じ
田心姫命が祭られ、夏にはお祭りがある。そのお祭りは、輪島の重蔵神社も兄弟神社みたいに
参加して行われるようだ。今日まで、輪島では、そんな夏祭りが行われている。
由緒*延喜式内社にあてられる古社。往古は西宮あるいは舳倉権現と称えたという。近世初期、筑前国より渡来の海士又兵衛以下12名が舳倉島を根拠として漁業を営むようになって深く崇信し、海士の故郷宗像神社の信仰と相まって、当社を産土神と仰ぐようになった。近年になって漁業の近代化、化のため、昭和50年、市内鳳来山麓に社殿を新築し、本社と末社の祭神の御分霊を奉斎して祭祀を行う。当社所蔵の千石積み渡海船の模型一隻と板図2枚は市重要文化財。
輪島塗は、趣味というか、一応お茶の先生やらせてもらっているし、茶たくとか、茶事に使う重箱や椀・・・
ひととおり、そろえてある。お店の「花巻そば」に使う器も、能登の合六椀(ごうろくわん)を使っている。
その花巻が人気で「倍セット」(大盛りみたいなメニュー)が増え、その器がないので困っていた。
なんとなく、胸騒ぎみたいなもんがして、重蔵神社にお参りした後、近くに漆器を売っている「長屋」を見つけ入って
そんな器を見つけた。黒なんだが、赤い下地がところどころ見えて、まるで「根来」(ねごろ)の盆の反対やな~
と思った。係の人に、これと反対に、下地が黒で表が朱の器がないのか尋ねた。すると、係の人が電話をしてくれ、
その作家の奥様が5分後に届けてくれる、という。
そんな無駄のない縁で、ひとりの漆職人と邂逅。神社の守り神の大国主命の仕業だと痛感。
その後、毎月その作家の工房にいき、いろいろ無理難題な仕事を提案しながら、仕事の邪魔をしている。
その長屋の近所、通称・三味線通りというところに、不思議な宿がある。一階がラーメン屋。
その横手に玄関があり、玄関の横手は倉を改装した「ワーケーションルーム」。若者たちが、pcを持ち込み、
自分で珈琲を淹れ、仕事をしている。その反対側がゲストハウスになっている。
昨日は、生まれてはじめて「ゲストハウスデビュー」を三輪福さんたちとした。
一泊ひとり3500円ポッキリ。それを払うと、入浴券がもらえる。徒歩五分のところに、やはり古民家を改装した
風呂屋がある。お湯は、輪島温泉の源泉。身障者の人たちが、くつ箱や廊下をふいたり、「ようこそ」と満面笑顔で
挨拶してくれる。ゲストハウスの受付のおばちゃんはかなりの高齢者(ぼくと同じくらい・笑)。つまり、老若男女、
障害のあるやどうや、とか学歴や経歴に関係なく、そこでスタッフとして、元気に働いているのだ、がわかった。
そうかといって、今流行りの「助成金目当てのご当地リノベ」のいやらしさが感じられない。
湯上りに、お風呂に併設されたそばやで、そば前に「宗玄」をちびりちびり飲みながら、板わさや、卵焼きなど、
「そばやの定番つまみ」をつまみながら、若いお店の女子と談論風発。「輪島にかぶれてしまう」
のでは、みたいな気分になった。
「輪島KABULET」で検索すると、これまで書いたことが、しっかり紹介されている。
その拠点施設が昨年のバリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰において最高賞の
「内閣総理大臣表彰」を受賞した。
まだまだ一般的には「朝市」で有名な土地だけど、もともとは漆の職人があまたいた町で、
仕事が終わった後に、界隈の居酒屋にいき、自作の盃で酒を飲み、輪島前の海の珍味を楽しんだところ。
昨日は、そんな居酒屋の代表格みたいな「連」(自分で釣った魚を調理)というお店で、梯子酒をあおり、「うめのや」というゲストハウスまで千鳥足で帰った。
輪島がくせになる、というか漆にかぶれ、輪島のひとにかぶれる・・・そんな上機嫌な夜やった。
漆をはじめ、和の文化は「ごちゃまぜ」の文化。それでいて、調和されている。このプロジェクトにも、そんな「ごちゃまぜ」が使われている。コロナでまた旅行が微妙になりそうだが、一度死ぬ前にぜひ「能登」へ・・。