昨日は、卵かけごはん。
炭火をおこし、珪藻土の竈(かまど)に羽釜をのせて、ごはんを炊く。
余った炭で焙煎を3回やり、残りの炭は、麦茶、そばの窯の湯と
使いまわし、無駄がない。その後にそば打ち。
卵かけごはんに、親子できたいた人が「夏休みの課題にそば打ちをしたい」
というので、今月のおわりに若いそばもんが誕生する。
午後には「60歳からはじめて人生が楽しくなる100のこと」(宝島社のムック本)を読んだ
というまだ60には届かないきれいな女性がカウンターに座った。
よくよく、この本を見ていると、お店と能登の家に、信楽(しがらき)の大壷が飾ってある。
時間差があって撮影されてあるけど、同じものだ。久保さんの信楽。
信楽の大壷は、昔から茶壷や、能舞台の床下において、音響効果に活用されたりしてきた。
まさに「用の美」である。もうひとつ「うずくまる」という小ぶりの信楽の壷がある。
人がうずくまるように見えたので、そう呼ばれてきたけど、茶室の床の間などでよく見かける茶人ごのみの壷。
反対に「鑑賞の美」だ。
さきごろ、問題になっている統一教会の「霊感商法の壷」はどんな壷なのでろうか?
先日書いた、ぼくが「二十一世紀情報なんやら・・」という業界団体の理事長をやっていたころ、
よく永田町の議員会館などにお邪魔した。防衛庁長官をやられ、長老の部類にはいる先生に、いろいろ
お世話になった。バブルのころで、そこの事務所の秘書(その中に友人がいたのだが)たちに、株や土地
など、なんやらキナ臭い話を、すすめられたりした。ちょうど、日経の株価システムとオンラインでつながるシステム
などを作っていたころだったので、そんなおいしそうな話に、まったくのらなかった。
彼らは、株も売れば、土地もころがせば、よくよく考えると今話題の「霊感商法の壷」を売ったりしていたかもなんばん?
その先生は、家が作り酒屋で、お父様も政治家やった。そのお父様が「広島カープ」の名付け親やった。
政界を引退される時、久保さんの黄瀬戸の壷をもって、挨拶にいったことがある。すぐに箱からだして、
赤子を抱くようにし、「やっぱりやさしいよね」といって、にこやかに笑われた。それが最後になった。
安倍さんがその宗教団体に恨みをもつ若者に暗殺され、その陰をひそめていた旧・統一教会がまた大きな問題になっている。
関係している議員が「なにが問題なのかわかかない」みたいなコメントをだしているようだ。
「今だけ、金だけ、自分だけ」の精神が、骨の髄まで浸透しているらしい。
はやく、そんな輩は政界を引退するのが正解だ。その時は、くだんの壷に自分の骨を入れて、あの世
にもっていくといいよ。新しい時代の「うずくまる」。鑑賞にも感傷にもならないばってん。