電気代の節約法・・

昨日、電気代の請求がきた。
筆子さんが「キャー!高い」と声をあげた。
「夜の勉強会をやり、ずっと東京で暮らしていた(今は能登で10日。能登ではクーラーがない暮らし)時
と同じくらいの金額」。
しかも、昨年から車の上に天気のいい日は、ソーラパネルを置いて、蓄電池にため、二階のPCやミシンやスタンドは
ぜんぶ、それでまかなっている。に、かかわらずだ。原発が再稼働の動きにつながるのもイヤだし、工夫してみよう。

昨日は、「卵かけごはん」やった。夏休みも終わりに近づいて、「家族で朝ごはん」の人があまたきて、
6合炊きの竈で炊いたごはんが途中でなくなり、焙煎に使っている小さな珪藻土七輪で追加で3合炊いた。
ちょうど子供たちがいる間で、炭火の起こし方、米の研ぎかた、水の分量・・・はじめちゃろちゃろ・・の意味・・
などを伝授できてよかった。夏休みの自由研究が「そば」で、そば打ち体験をいたTくんも、興味深そな顔して、ごはんを
ほおばりながら見ていた。

残った炭火は、次に珈琲の焙煎に使い、その後麦茶を沸かし、最後にぞばの湯になるお湯を沸かす。
「オール炭化」みたいな感じ。ひと昔前に「オール電化」というフレーズが大流行りしたけど、時代は
中島みゆきよろしく、♪まわるまわる~よ 時代はまわる・・だ。

8月もあとふつか。夏の暑さが懐かしい冬がすぐやってくる。
3年前からお店では、ペレットストーブで暖をとっている。そのころは、石油ストーブやエアコンよりも
少し高くつく感じだったが、今年は「これにしておいてよかった」という具合になりそうだ。

こんどの日曜日の営業が終わったら、「能登やすみ」。
辛み大根の種を植え、柚子胡椒の仕込み、そしてタコ釣りのシーズンを迎えるので、けっこう忙しい。
「能登」という雑誌の最新号に、仲代達也さんの演劇、輪島カブーレ、素敵な古民家ゲストハウスなどが紹介されていて、
コーヒーを飲みにきた女子ふたりが、その場でスマホで、そのゲストハウスに予約したりするので、びっくり。
どんな時代がまわっていても、「命短し 恋(旅)せよおとめ」か。

明日は、案内をしていないけど「水について考える会」をやる。なんとなく定員5名の予定が倍近くになった。
能登と東京を往復するようになって、「水」について思うことが、あふれる水のごとく多くなったきた。
毎月、藤瀬霊水公園にいって、水を70L汲んできて、珈琲やお茶、そばを打つ時に使っている。
自分の体の中の70%以上になる「水」のメッセージみたいなもんが、何かを訴えているようだ。感謝。

新潟県立海洋高等学校

新潟の糸魚川に、そんな学校がある。
「海」のプロを養成する学校。そこの一年生のKくんが
夏休みに東京に帰ってきて、そばを手繰りにきた。小学校の4年の時、
「そばもん」で予習をし、そば打ちをやって以来だ。その時は、身長が低いので、
ぼくの背に合わせた蕎麦台での作業に、背伸びしながらの初体験だったけど、
今では176cm、靴の大きさは29・5cm、
ジャイアント馬場さんなみになりそうな気配。

天真庵には、レトロなステンドグラスが玄関、客席に3枚ある。それを作ってくれたのが、
Kくんの母のあいちゃん。その作業の時、KくんO歳は、二階で小さな籠の中ですやすや眠っていた。
昨日も、「ぼくは、この家で産まれたような記憶がある」とつぶやいた。

いつも、能登路へいく途中、新潟の「道の駅あらい」に立ち寄る。そこのお土産さんに、
「新潟県立海洋高等学校 相撲部が監修したカレー」なるものが売られている。相撲部は毎年のように
全国大会までいくし、彼らのエナルギーの中核に「カレー」があるらしい。まだ食べたことがないけど、
こんど挑戦してみたい。秋には、学校のイベントで、「あんこう」を使った新作レシピの発表会みたいなものが
企画されているらしい。あんこう鍋以外は、頭に浮かばないばってん、相撲部の連中が工夫してこしらえると、おいしい
「あんこうちゃんこ鍋」になるかもなんばん。

Kくんは、ルアー釣りが好きで、キジハタ釣りにはまっているみたい。能登でも釣れるけど、高級魚。
九州では「アカアラ」という。
包丁を一本あげようと思ったら、まだ高校生、校則で刃物を持つのは禁止されているらしい。
小学校の時から「肥後守」のナイフをランドセルにいれて、エンピツを削っていた昭和の時代とは
ダンチだ。「酒は?」ときくと、「まだ飲めません」と優等生の答えが返ってきた。でも彼は一歳の
ころから、ミルクいっぱいの「ホボブラジル」を飲んでいる。昨日も懐かしそうにそれを飲んだ。
昭和の時代は、小学校の高学年あたりから、みな飲んでいた・・・九州だけ?

在学中に、能登へ遊びにくる約束をして、帰っていった。その時は
海の話をしながら、飲みたいもんだ。

明日の朝は「卵かけごはん」

行旅死亡人が増えて増えて3万人超え

行政用語で、「こうりょしぼうにん」、と呼ぶ。旅行中に死ぬ、という意味ではない。
「行旅死亡人」とは、本人の氏名や本籍地・住所などが判明せず、遺体の引き取り手が存在しない死者のことをいう。自殺者がまた増えてきて3万人を超えている。そして、この「行旅死亡人」も数も年間3万人をはるかに超えているのが「今」の日本の現状だ。

ぼくも高校を卒業し、一年浪人して19歳のとき、家をでて京都の大学にいき、その後東京で暮らして40年で来月66歳になる。
筆子さんという配偶者はいるが、子供はいないので、三行半(みくだりはん)を下されたら、独居老人になるし、そのまま古いアパート
に住んで、クロキリオンザロックを飲んでるとき、そのまま息たえたら、♪クロッキリリクロッキリで立派な行旅死亡人になる。
「人生は、死にっきり」かもね。死に向かって、毎日の「今ここ」を感謝しながら生き、死んだら、それっきり!
これからかなりの人は、結婚をせずにそのままひとりで暮らす人も増えているし、子供や家族があっても、それから親の介護とか離婚とか、少し歯車が狂うだけで、「行旅死亡人」になるのが「ふつう」になりそうなのだと思う。

だれもみな100%、人生というつかの間の旅の途中で死ぬのだから、それが天地自然の理なんだけどね。鴨長明(かものちょうめい)よろしく、草庵に住み、「河の流れのように」、さらさらと、生き、途中で野垂れ死ぬのが、ちょうどいい。
ぼくたちも、安倍さんも、ある意味、みんな「行旅死亡人」予備軍である。そうすると、不安を払拭する壷を売ったり、買ったり
する人もいなくなるのでは・・へんな宗教が跋扈する余地もない。
行旅(こうりょ)・・そんなことを考慮したのかしないのか、安倍さんが2億以上の税金を使って、国葬するこになった。

個人的な話だけど、昨日は親父の4回目の命日だった。その後施設に入った母親に電話。90歳になるけど、電話にもでるし、
最近は切り絵にはまっているようで、「大文字焼き(どうも「焼き」をつける人が多いけど、いらない。煎餅みたいないいかたやな~、
と誇り高き京都人たちは、忌み嫌う)を切り絵にしたいんだけど・・・どんな色の火やったかいな?」みたいな楽しい老後を施設でおくっている。
4年前は、両親がそれぞれの「葬儀」のためにぼう葬儀社に貯金していたお金(65万づつ)、で家族葬をした。
93歳まで生き、若い時はガダルカナルで闘った経験もあり、戦友はほとんど戦死し、碁の仲間や親せきも鬼籍に
入り、妹夫婦と、孫たち10人くらいで父を忍んだ。前日の通夜も、ぼくがひとりで葬儀場で、魂を昇華させたオヤジの屍(しかばね)の横で
すごした。

夕方、そこの葬儀屋さんの人が打ちあわせにきた。
「明日のお花はどうされます?」という。「ぼくは東京でお茶やお花を教えているので、明日は近くの山を散策して、
山百合(やまゆり)をいっぱい積んできて、知り合いの陶芸家がつくった花器に投げ入れます」というと、
「この施設は、花の持ち込みは禁止されています」とのこと。「それで・・・?」と聞くと、「生の花を花屋さんから
調達するのですが、10万円、15万円・・」なんてこと言い出した。「君、電通?その花は生でないの?」(もちろん、そんな今風なジョークはいってません)とはいわないけど、「10万」で妥協。「司会者は3万、音楽が一万・・・」とかいろいろ提案されたけど、
「司会はボクがやるし、音楽は大石学さんの『星の詩』を生前よく父が聞いていたので、そのCDを流します」と答えた。
母と妹が「やっぱりお父さんががんばってここまできたんだから・・」とかいうことで、花代や祭壇とか・・もろもろな
時価が積み上げられ、100万円くらいになった。もちろん、そんなヘンテコなビジネスモデルを構築させないと、その葬儀屋は
なりたたないし、その社員も職を失うと、行旅死亡人になる。そんなへんな悪循環型社会なのだ。

コロナの影響もあるし、経済的なこともあり、病院から直接焼き場にいき、火葬だけで、もろもろの宗教セレモニーを断捨離した「直葬」(ちょくそう)
というのが流行っているらしい。費用はアバウト10万円。
これから、ますます、家族や親せきとは、疎遠になっていく「無縁社会」をぼくたちは生きていく。
安倍さんの葬儀も「直葬」にして、余った予算の2億ちょっとのお金を、「みよりがなくなって、直葬ができないみなさんに
寄付します」(AIでそんなメッセージつくってもいくらでもない)というのは如何なものか・・?2万人分くらいになるので、しばらくの間、国民は、安倍さんのことに感謝するのではなかろうかしらん。

さきほどの母との会話の続き・・・
「いつ大文字を見たの?」と質問したら、「あんたが京都の病院に入院した時よ。ボケとらんね?夏やったろーが。
松崎くんの弟のつよしくんが、車を運転して比叡山まで連れていってくれて、その夜が大文字焼き(焼きはいらない、しつこい?)
やった」、とのこと。きっと余命宣告された子供のことを祈っていたのだろう。
家族も大事やけど、やっぱり「いい友達」を持つ、というのが大事なことやね。
いい友達を持つには、「まず、自分がいい友達になる」こっちゃね。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。(鴨長明)

おもうまい店をPCで見る

うちにはテレビがないけど、せっかく「津久司寿司」が全国放送の番組で紹介
されるので、PCで見た。ワンセグ、とかいうのね、便利な時代ね・・・。

能登へいきはじめた5年くらい前は、寿司やの大将は、親の介護とか、それに関連して
離婚になり、Aくんとふたりで、「能登で生きる」をはじめた矢先だった。

天真庵ではそのころ、「死ぬまで天真庵で寿司を握る」といって月に一度カウンターを
3年満席にした「佐賀のがばいじいちゃん」が、宣言どおり召される寸前まで、寿司会を
やってくれて、じいちゃん用に久保さんが作ってくれた寿司用の備前の皿が、遺品みたいに
カウンターの中に取りこそされていた。不思議な縁を感じ「これ、離婚祝いにあげる」
といって、能登の「津久司寿司」にもっていったら、大将がよろこんで、使うようになり、
そのころからいろんな雑誌なんかに取り上げられるようになり、一日昼だけで80人くらい
がくる繁盛店になった。先日のテレビでも光っていた。最近近くに、石川を代表するような「回転すし」がオープンしたけど、
そんなの相手ではない。金沢や他府県からも、「つくしのすしを食べたい」人がやってくる。

寿司、といううのは不思議な食べ物だ。そんな掲載誌をカウンターにおいていたら、お客さんが
「ここに行きたい」という。確かに、その当時、ランチの寿司が550円、750円、みたいな感じやった。(地魚や神経〆した魚を使って)
でも東京から旅費と宿泊費をかけていったら、「銀座の高級すし」より高くつく。
でも、そんなのお店の度外視値段と同じく、計算外なのだ。でも何人もが、わざわざ能登まで寿司を食べにきた(笑)
そもそも、その銀座の寿司にしたって、分解して、しゃりとネタをばらばらに並べて・・・「これで3万」
と言われたら、どう???磨き上げられたカウンター、藁泉(わらいずみ)に入った御櫃(おひつ)、檜(ひのき)
の厚いまな板、よく研がれた有次、とか正本とかの包丁、備前の皿・・・そんな演出があったとしても・・だ。

まことに、不思議な元祖ファーストフード。
昨日は、合羽橋まで買い物にいく。途中、浅草をぶらぶら歩く。コロナがまた増えてきたけど、
「そんなの関係ない」という若者が、あいかわらずチンチクリンな浴衣をきて闊歩している。
ある老舗のお漬物屋に、不思議なPOPが・・・・「糠漬けのワークショップの案内」だ。
9月3日、と3候補の日付が書いてあり、ふたつは「満席」とのこと。参加費は2500円。
ご飯を炊いて、みそ汁をつくり、糠漬けなどの香のものがあれば、立派な一汁一菜だ。
しばらくやっていないけど、「自分で寿司をにぎる会」を、ポチポチ復活させようかしらん・・・
そんな気分の今日このごろ。

おもうまい寿司屋が能登にある!

昨日は銀座のカフェ用にたくさん焙煎をし、卵かけごはんの日をこないした。
どちらも、能登珪藻土の七輪を使って、炭火で焙煎したり、羽釜でごはんを炊いたりするので、
いっけん、「メンドウ?」と思われているフシがあるけど、そんな風に思う目は節穴かもなんばん。
誰にもこの仕事はわたしたくない、くらい楽しい仕事なのです。(夏はすこし暑かばってん)

今日営業したら、水木が休みなので、「明日はゆっくりしよ」なんて思っていたら、赤坂のお店から
「癒される珈琲豆至急頼む」のメールがきた。ので、今朝も、朝はやくから、せんべいやのジイジよろしく、
手回しの焙煎機を、珪藻土七輪にのせ、朝飯前にガラガラと焙煎。
その後、新聞のテレビ版を見ていたら、「おもうまい店」が7時から、と。しかも
「寿司の天才?」とか「親子で・・」とかいう見出し。その番組は「これでもか・・・というオマケやびっくりサービスを
するお店がターゲット」みたいね、見たことないけど・・でも今日紹介される「つくし」は、ほんとうに、天が与えてくれた才能を
フルに発揮しているようなお店。小学生のAくんと、ふたりで「能登で生きる」をやっている。

つくしさんから、徒歩3分くらいのところに「ふくべ鍛冶」がある。北前船の時代から、能登の船乗りたちは
そこの「マキリ包丁」を使っている。イザの時は船のロープを切り、釣った魚をさばき、陸にあがれば、里山にいき、
鉈(なた)のかわりに、草木を伐り、獣たちをとって捌くのにも使ってきた。文化包丁と次元が違う「万能包丁」だ。
能登で暮らすことを決めた日に、すしを食べ、ふくべさんにいって、「マキリ包丁」を頼んだ。その当時で一年待ちだったけど、
今では毎朝、釣り道具が入ったショルダーバッグの中に入れている。大きなタコがとれた時は、それで彼らの急所の目と目の
間を〆る。山菜の季節になると、タラの芽なんかをチョイチョイと採集するのもオテノモノだ。

コロナ禍になって、ふくべ鍛冶さんに、もうひとつの人気商品ができた。家庭で料理をする人が増えたので、
「砥石で研ぐ必要のある本格的な魚用包丁」の需要があがった。
筆子さんが昨年、その包丁を頼んだ。なんと名の冠に、待ち時間がつけられている。「24か月待ちのイカ割き
確かそんな風だ。あと一年もすると、出来上がるハズだ。イカ割き、とあるけど、アジやキス、鯛・・なんでもOK牧場。
これまで、大量生産品や、時短で便利なものがもてはやされてきたけど、「時間の流れ」や「モノの価値」が
ずいぶん変わってきたように思う。時間とかモノの価値も、オシツケみたいなものに支配・洗脳されてきたようなもんで、
ひょっとしたら、「自分のモノサシ」がなかっただけなのかも知れませんね。
これから、能登は魚も酒も美味い季節になる。来月からは、仲代達矢さんの「いのちぼうにふろう物語」(9月4日~10月10日)も
能登演劇堂で始まる。原作は山本周五郎の「深川安楽亭」。江戸の人情もの語りを能登で聞く・・これまた一楽なり。感謝。

月曜の朝は卵かけごはん 明日は寿司?

土曜日、日曜日と、小学校4年、小学校1年の元気な「そばもん」を指導した。ふたり
とも、お母さんのおなかの中にいたころから天真庵にきて、母親がそばを手繰りながらお中の子に向かって「そば いきま~す」みたいな、
胎教のような食育をうけた。うまれて初めてのそばを、箸を使える前に、手で口に運んだ、そんなふたりだ。
当たり前のように、そば打ち初体験を、童貞を失う前にした。

今日は、「卵かけごはん」。蕎麦を打っている間に、洗った米をざるにあげ、そばが打ち終わったころ、
炭火をおこし、能登の珪藻土竈で、羽釜で炊く。今日も珈琲の焙煎にまけないくらい、幸せな湯気をたてて、
おこげといっしょに、上手に炊き上がった。能登の「梅茶翁」も、同じ竈でごはんを炊きはじめた。
そこで食べる人たちとは「同じ釜の飯をくった仲」になる?

先週、梅茶翁にいく途中、能登町の「津久志寿司」(つくし)にいこうとしたら、たくさん並んでいたのであきらめた。
あとできいたら、お昼だけで90人きたらしい。能登、いや石川で一番の寿司やになった。激戦地、というより、石川の寿司は
「日本一」だと思う。
竹葉で有名な「数馬酒造」から徒歩一分。ナビも「数馬酒造」で
検索するといい。

明日かな?「おもうまい店?」そんなテレビ番組があるらしいが、「石川県の寿司」というタイトルで、
「つくし」さんが登場するそうだ。今でも、めちゃくちゃ混んでいるのに、どうなるのだろう?
神経〆したり、器は久保さんの焼き〆とか糸巻など(銀座の高級すしやでもなかなか味わえない味と器)、
それで昼は1000円ちょい(こないだまでそれでおつりがきていた。小学校の算数の成績が欠点やったみたい・笑)
それでは悪い、と思っていくたびに久保さんの器をプレゼントしてきたら、その器に見合うだけ、腕をあげた。
ぼくはテレビはもってないので、見ないけど、時間がある人は、ちょっと見てやってください。
バカがつくくらい、寿司のことしか考えていないおっさんです!
来月は、予約して夜の部を堪能する予定。以前は3500円で、酒は持ち込み、という「家のみレベル」だった。
やっと6000円になった(笑)久保さんの織部の盃をもっていこっ、と。

もうひとつの土曜日

今日明日、12時から16時までの営業。
その後は「そば打ち教室」。いつもの土曜日だけど、もうひとつの土曜日。
昔、カラオケでそんな浜省の歌を歌っていた時代があった。♪ゆうべ 眠れずに 泣いていたんだろ~
その歌とは違う、もうひとつの土曜日は、小学校4年の子がおかんと「そば打ち体験」、夏休みの自由研究のテーマに
するらしい。明日も近所の小学2年生が、おとんといっしょにくる。

東京から能登へいく高速道路の糸魚川の手前に「能生」という場所がある。ノウ。そこに新潟県立海洋高等学校がある。
そこに、うちのお店のステンドグラスをつくってくれたあいちゃんの嫡男がこの春入学した。
寮生活をしながら、海のことを学んでいるらしい。その子の名前の冠には「海」が入っている。ことだまみたいに、
その方向へ舵をとりはじめた感じだ。その「海・・」(海坊主ではない)が、小学校4年のとき、ぼくの「そば打ち教室」
にきたことがある。「そばもん」というマンガ本を3度読破し、「予習してきました」と挨拶した時は、笑った。

わらわれの時代は、定年になると、みんなが「そばもん」になるのを夢見た時代があった。画一的な教育方針に
したがい、偏差値至上主義でバブルも経験し、「ロハス」みたいな明るい老後のマーケティングのカモになりそうな
世代だったけど、いつしか勝手が違ってきて、「老後の資金が2000万いる」とか「親の介護と自分たちの介護で・・」
とか、最近は「戦争になったら」とか「食料危機云々」や、「不安がいっぱいですよ」の洗脳記事みたいなんにのって
右往左往していて元気がないようにに思う。

お金がなくても、好きな女の子が、彼からの電話を待って泣いている姿に、恋をし、
友達から借りたオンボロ車にのって、週末に「海にいこう」なんてロマンティックな男気を発揮していた青春は
どこへいったんだろうか?
YouTubeで「もうひとつの土曜日」を聴いてみたくなった。

霊感商法よりぶつぶつ交換

ぶつぶつ、いうより、ずぶずぶ、という音が聞こえる。
旧統一教会と、政治家の関係が、「みんなでやれば怖くない」状態、ずぶずぶ。
はやく、禊をするか、首を洗って、出直しをしたほうがいいのでは・・・
これでもまた、これからの選挙で自民党が圧勝するのなら、ぼくたち国民も
みな入信するか、入水自殺でもしましょうか状態。ちゃんと、立て直さんとね!

昨日無事に上京してきた。出発の何日か前、近くの神社まで散歩をしていたら、神社の近くの畑から
ぼくと同年代(昔は女学生だった)の女性が「のむらさ~ん、アイコがいっぱいなっとるけん、
食べて~」といって、収穫したばかりのアイコ(ミニトマト)を袋いっぱいくれた。お返しは、
その前日に買った「能登パン」。くるみの食パン。

アイコとは、サカタというたねやさんがつくった新種のミニトマトで、プランターなどでも育てている人が
いるくらい人気のトマトになった。家に帰って、朝ごはんの時食べたら、あまくて幸せな気分になった。

アイコ、といえば、知り合いの陶芸家・渡辺愛子さんの信楽の壷・「うずくまる」を能登の家の床の間に
飾ってある。統一教会ではなく、彼女がデビューした時、炎色野(ひいろの)で買った。もちろん、霊感商法で取り扱われているような壷ではない。
壷とか絵とか、美術品や普段使いの器なんかも、気にいったものがあったら、「自腹」で買うことだ。
そうじゃないと、身につかない。身の回りのものが、ほとんどヒャッキンで買えたり、大量生産のコピーモノ
まわりが跋扈する中、断捨離とかいって、いっけんストイックなものが流行っているけど、いってみれば、
一生ものの価値なんかないもので、あふれている、というこっちゃねん。ちゃんと、自腹で調度品なんかを買う
クセがついたら、モノの価値がわかるようになり、危うい霊感商法などにひっかかりにくくなる。

政治家も、「今だけ、自分だけ、お金(票)だけ」が当たり前になっているので、こんな体たらくな状態が続く。
統一教会とつきあう時間があったら、倒立(さかだち)したり、銀座や青山のギャラリーでもいって、壷を
買ってみたらどうだろう。渡辺愛子さんの壷も、銀座の黒田陶苑あたりにいくと、歳費の一か月分の半分以下で買える。
できたら、歳費や、怪しげな金でなく、ちゃんとした自費で買ったほうがよい。身銭(みぜに)って、知ってるよね。

今日は朝から、焙煎したり、水出し珈琲を仕掛けたり・・・・のいつもの「能登休みあけ」の準備。
明日の12時から16時で通常営業がはじまる。感謝。

輪島の元駅前にあるレトロな喫茶店

せっかく、輪島に泊まったので、ひさしぶりに「朝市」をのぞこうか?
などと思っていたら、ザーザーと雨が降ってきたので、どこかの喫茶店でモーニングを
食べて解散しようということになった。

 駅前、正確には元がつく。鉄道は平成13年(2001年)3月31日で廃止となっており、いまはその駅跡地が「道の駅輪島」として整備され、“ふらっと訪夢(ほうむ)”の愛称で親しまれている。有名な金沢のゴーゴーカレーが食べられる。

そのみちの駅の蓮向かいに「翁」がある。ぼくのそばの師匠のお店と同じ名前。
朝6時から営業していて、モーニングが3種類。パン・ハムエッグ・珈琲で490円也の松竹梅でいうと、竹を
頼んだ。家族経営で、一番長老のおじいちゃんが、懐かしいシルバーのトレーに水のコップと塩・胡椒をもってきてくれた。

メニューを見たら、卵サンドイッチや野菜サンドや、ホットサンド、ホットケーキ、ナポリタンなど、昔の街の喫茶店の
定番メニューが写真付きでのっていた。ついつい、「野菜サンドをお願いします」と、おじいちゃんにお願いしたら、
「からしつき、なし、どっちにしますか?」とのこと。こんなこと聞く喫茶店も少なくなった。もちろん、からしありに
してもらった。三輪福さんが「小倉チーズトースト・・おいしそう」と笑う。ぼくの生誕地のコクラではない。オグラ、
つまり餡子(アンコ)のことっちゃ。アンバタートーストにチーズが加わったもの。それも注文して、4人でシェアした。
なかなかの美味だ。そういえば、前日飲んだ居酒屋の連には、「焼きチーズおにぎり」という不思議なメニューがあった。

どこの土地にいっても、「普通の喫茶店でモーニング」、という日常を楽しむのに苦労する。その町のひとが、
当たり前のように眠そうな顔してやってきて、いつもの席に座り、新聞を読みながら珈琲を飲んだり、お店の人と会話をしたり
・・・そんな、そこに住んでいる人たちが暮らす人たちの会話などに光を観る、というのが、本来の観光。
ずっとその町にあって、なくてはならない存在になっていて、家族のようなお客さんが茶の間に集まるようにやってきて、
談論風発。昔の「喫茶店」には、そんな空気が漂っている。

昨日は夜中も大雨が続き、能登のある地域には避難勧告まででているようだ。
今回は天気がいい日が少なかった。今日あたり、海岸で焙煎をしようと思っていたけど、
玄関でやらざるをえない。
朝ごはんを食べたら、炭をおこし、能登珪藻土の七輪でガラガラ焙煎をし、明日の朝、東京へ出発。感謝。

輪島カブーレ・・・漆にかぶれる?

能登と東京の二股暮らしも4年が過ぎた。
毎月、珠洲には、塩や七輪や炭を買いにいくようになった。
途中、「輪島の朝市通り」(なぜか、道案内に表記されている)を素通りする。
コロナの前は、観光バスが朝から並び、にぎわっていた。学生のころ(40年以上前)
に、京都から一度旅にきた時、立ち寄った。そのころは、素朴な朝市で、「お互いさま」みたいな自然が
あったけど、だんだん「観光地」になっていった。京都の錦市場とおなじように・・

こないだ、三輪福さんが、舳倉島(へくらじま)の奥津比咩神社 (おきつひめ)に奉納舞にいった。宗像大社と同じ
田心姫命が祭られ、夏にはお祭りがある。そのお祭りは、輪島の重蔵神社も兄弟神社みたいに
参加して行われるようだ。今日まで、輪島では、そんな夏祭りが行われている。

由緒*延喜式内社にあてられる古社。往古は西宮あるいは舳倉権現と称えたという。近世初期、筑前国より渡来の海士又兵衛以下12名が舳倉島を根拠として漁業を営むようになって深く崇信し、海士の故郷宗像神社の信仰と相まって、当社を産土神と仰ぐようになった。近年になって漁業の近代化、化のため、昭和50年、市内鳳来山麓に社殿を新築し、本社と末社の祭神の御分霊を奉斎して祭祀を行う。当社所蔵の千石積み渡海船の模型一隻と板図2枚は市重要文化財。

輪島塗は、趣味というか、一応お茶の先生やらせてもらっているし、茶たくとか、茶事に使う重箱や椀・・・
ひととおり、そろえてある。お店の「花巻そば」に使う器も、能登の合六椀(ごうろくわん)を使っている。
その花巻が人気で「倍セット」(大盛りみたいなメニュー)が増え、その器がないので困っていた。
なんとなく、胸騒ぎみたいなもんがして、重蔵神社にお参りした後、近くに漆器を売っている「長屋」を見つけ入って
そんな器を見つけた。黒なんだが、赤い下地がところどころ見えて、まるで「根来」(ねごろ)の盆の反対やな~
と思った。係の人に、これと反対に、下地が黒で表が朱の器がないのか尋ねた。すると、係の人が電話をしてくれ、
その作家の奥様が5分後に届けてくれる、という。
そんな無駄のない縁で、ひとりの漆職人と邂逅。神社の守り神の大国主命の仕業だと痛感。
その後、毎月その作家の工房にいき、いろいろ無理難題な仕事を提案しながら、仕事の邪魔をしている。

その長屋の近所、通称・三味線通りというところに、不思議な宿がある。一階がラーメン屋。
その横手に玄関があり、玄関の横手は倉を改装した「ワーケーションルーム」。若者たちが、pcを持ち込み、
自分で珈琲を淹れ、仕事をしている。その反対側がゲストハウスになっている。
昨日は、生まれてはじめて「ゲストハウスデビュー」を三輪福さんたちとした。

一泊ひとり3500円ポッキリ。それを払うと、入浴券がもらえる。徒歩五分のところに、やはり古民家を改装した
風呂屋がある。お湯は、輪島温泉の源泉。身障者の人たちが、くつ箱や廊下をふいたり、「ようこそ」と満面笑顔で
挨拶してくれる。ゲストハウスの受付のおばちゃんはかなりの高齢者(ぼくと同じくらい・笑)。つまり、老若男女、
障害のあるやどうや、とか学歴や経歴に関係なく、そこでスタッフとして、元気に働いているのだ、がわかった。
そうかといって、今流行りの「助成金目当てのご当地リノベ」のいやらしさが感じられない。
湯上りに、お風呂に併設されたそばやで、そば前に「宗玄」をちびりちびり飲みながら、板わさや、卵焼きなど、
「そばやの定番つまみ」をつまみながら、若いお店の女子と談論風発。「輪島にかぶれてしまう」
のでは、みたいな気分になった。

「輪島KABULET」で検索すると、これまで書いたことが、しっかり紹介されている。
その拠点施設が昨年のバリアフリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰において最高賞の
「内閣総理大臣表彰」を受賞した。

まだまだ一般的には「朝市」で有名な土地だけど、もともとは漆の職人があまたいた町で、
仕事が終わった後に、界隈の居酒屋にいき、自作の盃で酒を飲み、輪島前の海の珍味を楽しんだところ。
昨日は、そんな居酒屋の代表格みたいな「連」(自分で釣った魚を調理)というお店で、梯子酒をあおり、「うめのや」というゲストハウスまで千鳥足で帰った。
輪島がくせになる、というか漆にかぶれ、輪島のひとにかぶれる・・・そんな上機嫌な夜やった。
漆をはじめ、和の文化は「ごちゃまぜ」の文化。それでいて、調和されている。このプロジェクトにも、そんな「ごちゃまぜ」が使われている。コロナでまた旅行が微妙になりそうだが、一度死ぬ前にぜひ「能登」へ・・。