寄る年波で、そんな順番、というか、それらがみなアガっていく。
歯・目・マラ。
水曜日は、もと住んでいた板橋の歯医者にいく。
月に一度、歯の掃除。そこから押上に天真庵を結んで15年以上に
なったけど、歯医者で歯の掃除以外は病院にお世話になったことがない。
「無事これ名馬」だ。
違う意味のアガっていく話。
最近、その界隈の築19年のマンションを切り上げで億ションみたいな金額で、
知り合いが買った。2LDKらしい。今、都内の新築のマンションの平均価格が6600万。
それを、平均30年のローンを組んで購入するらしい。こんな混とんとした世の中で、「30年先」まで
借金を返す、というのは、たぐいまれな博打のような気がするけど・・
板橋界隈で15年住んだ。そのころはIT企業と、ギャラリーを経営していた。
家賃が50万。でもその前に池袋に事務所を借りていた家賃が40万くらいだった。
駐車料が5万。家のマンションが20万やった。だから50万で、「田舎屋敷」みたいな一軒家を
50万で借りる、というのはカクヤスで酒を買うより、格安だった。
バブルがはじけ、その豪邸の主人(上場会社の社長やった)がその家を担保に多額(3億)の借金をしていた。
そこで裁判所で裁判(みせかけ・・そのころは、いろいろ手をかえ品をかえ、不思議なことがいっぱいあった)をし、
「ぼくの会社が、その賃貸物件を借りていて、大家さんが立ち退きをせまっているのだが、頑固で立ち退かない」
みたいな設定になっていて、その結果、借主のぼくが、毎月50万を罰金として、支払う・・・ざっといえば
そんな筋書きだった。「即決和解」とかいうらしい。不良債権を金融資産にする今日日の「技」からすれば、
子供のおもちゃみたいなものか?
そんなわけで、ときどき裁判所に弁護士と一緒に出向いた。ちょうどそのころ、同じ裁判所で「オーム真理教」
の裁判がおこなわれていた。ぼくの会社が「アーム」(今も続いている)なので、いろいろややこしい
ことがあった。
今話題になっている「統一教会」とも、いろいろ不思議な接点があった。ぼくがその当時
「二十一世紀情報産業ネットワーク協同組合」という通産省認可の業界団体の理事長をやっていた。
多いときは130社くらいのIT企業が参加していた。仕事がら、いろんな会社を訪問する。
その当時の会社で、その「統一教会」に関係したところは、受付とかに教祖の文鮮明さんの写真を飾って
いたところが、あった。そんな会社には、優秀な社員兼信者がいて、普通のIT企業では
発想もできないことをやっていた。彼ら(宗教団体)は、優秀な大学の人たちを、「原・・」とか
「宗・・」とか・・・そんな不思議サークルに忍び込んで、青田刈りをしているのね、昔っから。
だから、二世三世のぼっちゃんじょうちゃんしかいない永田町は、いいカモが昼寝しているように見えるわね、きっと。
のちに、霊感商法や合同結婚式で、マスコミや世間が騒ぎ始めて、そんな宗教色は消え、その教団も
消えていたのだと、つい最近、安倍さんが暗殺されるまでは、そう思っていた。「世界平和統一家庭連合」になっていたんだ。
殺すほうも、殺されるほうも、「さみしい時代」を反映しているね。
池袋で無差別殺人をした39歳の青年も、そんな時代の象徴みたいなところがあってか、先日死刑が執行された。
そんな危うげで、だれもが明日をも知れぬ不安な気持ちで、生き暮らしている。
昨日は、いつものように、炭火で焙煎をした後、徘徊散歩。スカイツリーの中の本屋で、本を5冊買って、
外にでたあたりで、お茶の美人のお弟子さまからショートメール。
「昨日、紹介された豆源郷で、豆腐、揚げ、湯葉に豆乳まで買って、ビールでひとり飲みしました。どれも
味が自然で美味しく、幸せな時間を過ごすことができました。感謝。」
ささやかだけど、仕事を終え、豆腐でビール。「いつの時代もホンモノはみな簡素」。
スカイツリーの中のお店でも、近所のスーパーでも、どこでも豆腐を売っている。
うちも、左斜め前のアコレ、右のコンビニでも買える。
でも、暑くても、石原町の豆源郷まで歩いて買いにいく。
というわけで、スカイツリーをでて、浅草通をまっつぐ浅草方面に歩き、三つ目通りの一本先の
区役所通りを左折して、徒歩20分?の「豆源郷」に豆腐を買いにいった。
そこの豆腐は能登の「にがり」を使っている。持参のクーラーバックには、能登の珪藻土七輪で焙煎したばかりのホボブラジルを
アイス珈琲にして、土産にした。お互いに歳のわりには元気なのだが、重い「能登病」び罹病しているかもなんばん。