ほうろくで焙煎して、もうろくを防止

昨日は月曜日。
「月曜の朝は卵かけごはん」。TKGは、世界に誇る日本の朝ごはんの王様。
「炭おこし」に、能登の大野さんの炭をいれ、そば用の大きなガスコンロの上で、炭をおこす。
それを能登珪藻土の竈(かまど)に入れ、6合用の羽釜(はがま)に、5合の米を研ぎ、同量の
水(能登の霊水)を入れ、うめ星(隕石粉入りセラミック・能登ジェラトン)を一個と、
大谷塩(揚げ浜式)をパラリとひとつまみ入れる。羽釜の蓋(木)をおもしにのせる。

「はじめちょろちょろなかぱっぱ おせんないてもふたとるな」の要領で、10分ほどすると、蓋の間から
お米が炊ける湯気があがってくる。そこで10秒くらい、「ふたとるな」の掟(おきて)をやぶり、
杓文字(しゃもじ)で、中のお米をまぜ、また蓋をする。次に、竈から炭を半分とって、もうひとつの
珪藻土七輪にいれる。湯気の匂いをかきながら、中の水分がなくなり、「そろそろお焦げができるぞ」
という声が聞こえる瞬間に、羽釜を縄の鍋敷きの上におく。
残った炭火ももうひとつの七輪に入れ、その上に、手回し焙煎機をのせ、珈琲の生豆を適宜いれる。
なんやかんやで、焙煎準備の10分くらいが、ごはんの蒸らし時間。寿司会の時は、ごはんを秋田杉の御櫃(おひつ)
に入れるのだが、卵かけごはんは、あつあつがいいので、電気釜に入れ「保温」のスイッチをポチ。

それから、珈琲の焙煎。最近焙煎教室に入門してくる人がぽちぽち増えてきた。
会社を辞めて、「なにか手に職を」というひと。そろそろ定年で「老後の楽しみ」とか、いずれ「カフェ」を・・・ひとそれぞれ。
最初は、煎茶の番茶やゴマ煎りに使う「ほうろく」でやってもらう。
この儀式を通過しないと、ロースター(焙煎人)にはなれない。五感を研ぎ澄まし、珈琲豆とじょうずに戯れるようになって、
はじめて一人前の焙煎人になれる。そして、毎日珈琲豆を煎り、珈琲を淹れ、2000回(3年くらい?)たつと、
「自分の珈琲」らしきものが、わかってくる。そんなところか?ただし、そばと寿司とか「かたち」にならないものだから、
「これがおれの珈琲だ」と、ジコマのセンズリ状態で自己満足している輩が巷にあふれているような気がする。
焙煎は、生豆が爆(は)ぜる音と、でてくる煙の色や匂いで、「今ここ」が感じられれるように瞬間が勝負。
珈琲の味は、自分の人生や感性の「らしさ」が、抽出されるようになると、味になる。
どちらにしても「ほうろく」という、日本伝来の「道具」が、ピアノのバイエルンみたいに大事な登竜門だ。

焙煎を4回(いつも四種類の豆を使う)終わると、残った炭を、有田焼の火鉢に移し、五徳(ごとく)の上に
薬缶(やかん)を乗せて、麦茶をわかす。それがさめたら「還元くん」にしこんだ玉露(ぎょくろ)
とまぜて、「水素茶」をつくり、冷蔵庫で冷やす。
それでもまだ炭は残っているので、赤いホーローの薬缶に水を入れ、お湯を沸かす。それがそばの窯のお湯になる。
つまり、朝起きて、正午までは、ほとんど「東京ガス」は使わない。よって、値上がりが云々。。というニュースには
馬耳東風で、涼しく暮らしている。

昨日の卵かけごはんは、暑い中9人きてくれて、5合のごはんがほぼ売り切れ。
午後に「夏休みの自由研修」に、近くの押上文庫の「沙織織(さをりおり)」の教室にきた小学生の姉妹に
残りのごはん(ひやごはん)を、試食してもらった。さめても美味しい竈ごはんを初体験の姉妹の目が
「おいしい」と語っていた。織物といっしょに食育。大事な夏休みの自由研修。

ぼくと久保さんは「おじいちゃんの夏休み自由研究」よろしく、「珈琲専用の焙煎用ほうろく」
をつくろうという課題で毎日明け暮れている。世界中の人の「朝の幸せな一杯の珈琲」を、自宅で簡単に、が、
実現できたら幸せなことだ。ほうろくつくりで、ふたりとも、もうろくになる流れに逆らいながら老体に
鞭打つ暑い夏だ。鈴虫がすだく秋までには完成したいと思う。焙烙(ほうろく)と耄碌(もうろく)のお話・チャンチャン!