子猫のプリンちゃん誕生

先月から、能登の家の隣のばあちゃんが入院した。
じいちゃんは施設にはいっている。住む人のいなくなった家は、
すぐに草ぼうぼうになるので、すぐに「空き家だ」というのがわかる。
おばあちゃんがかわいがていたネコちゃんに、新顔が登場。全体が白で耳とそのまわり
がオレンジ・・・「プリンちゃん」と呼んでいる。野良や野良仕事のおばあちゃんが元気なとこは、みな元気だね!

この集落では、男は天気のいい日には、伝馬船にのって沖にでて魚を釣る。もしくは
網をしかけていて、魚をとる。女たちは、もぐってサザエやあわびをとったり、春は
若芽のわかめや黒藻などを収穫する。わかめ=若芽なんやな~
記紀で「道」のことを「美知」というのと同じくらい納得!
そんな「ゆたか」なところなので、ぼくたちも、そばとか焙煎した珈琲豆をもってきて、
あるいは、こちらで焙煎したりして、おすそ分けの山海の珍味と原始的なぶつぶつ交換を
しながら、半分の田舎暮らしを満喫している。ネコちゃんたちにとっても楽園だ。

今回は、梅茶翁でひさしぶりに、そば打ちを教えた。11月に長崎で蕎麦会をやることになった。
名刺には「そば」を消し、能登の家には蕎麦道具のひとつもおいてないけど、「そば打ち指南」
の要望が多くなってきた。また時代の振り子か揺れてもどってきてるのだろうか?
小麦は小麦粉になり、うどんやパンやパスタになる。出世魚のごとしだ。
それに対し、蕎麦は、そばという植物が、実をつけそば粉になり、そしてそばという麺になり人が手繰っていく。
なにか、初志貫徹、自分の信念に迷うことなく貫き通す「清さ」を感じる?そのぶん、今の世の中では
浮いていいたけど、また出番?「気がつけば時代の先頭」みたいな話がポツポツでてきた。

先月の地震で大きな被害を受けた「能登珪藻土七輪や」さんたちも、古い窯を修理して
また動き出した。アウトドアブームや、海外のマニアが、「バーベキューなら、能登のシチリンがよか」
と言い始め、たくさんの注文をもらいはじめた。壊れた窯の再興には、クラウドファンディングでやるらしい。
社長も社員も古希を超えておられるけど、生きる姿勢は若者だ。お見舞いにいって、反対に元気をもらう気分。
クラウドに興味ある方は「丸和工業」を検索して!

ぼくも寄る年波に向かって、伝馬船を走らす漁師のように、今日もその能登珪藻土七輪に炭を
おこし、世界中から旅しながらやってきた珈琲の生豆を、ガラガラと手回し焙煎機で焙煎する。
焙煎したての豆を挽いて、能登の霊水で淹れる。その一瞬の幸福を、何にたとえたらいいか、
筆舌の及ばない「今ここ」の刹那。蕎麦と通じる「ひとつごとワールド」だ。
明日の朝、藤瀬の霊水を汲んで東京に出発。
こんな二股暮らしをしていると、いつも「旅をしつづけている」ような感覚である。本来は
みな「この星にやってきたつかの間の旅人」なんだけど・・・

土曜日から通常営業。感謝。