100年の梅仕事

おかまのMくんが、5年くらい前の梅雨時に「100年の梅仕事」という本を貸してくれた。
それを読んでいたら、能登に先に移住した三輪福さんから、50kくらいの梅が届いた。
急いで、梅干しなどをつくっていたら、「私もやりたい」という人たちが、筆子さんの指
にとまりはじめ、能登まで梅をとりにいく「梅林ガールズ」まで結成された。
二月の味噌作り、6月7月の梅仕事が、代表的な行事になった。

先週の朝、おかまのMくんが買い物袋にはいった「マンゴー」をもってきてくれた。
アルバイト先によくくるおばあちゃんが「Mさんに・・」とくれたもので、おばあちゃんの
メモ用紙まで入ってある。まるで、ラブレターみたいだと思ったけど、おかまとマンゴー・・・
なんか微妙な組み合わせで、舌がすべって、濁点を忘れたりすると、朝から明後日
になるので、「ありがとう」とだけいって、その日の夜に、おばあちゃんのマンゴーを食べた。

今日も雨がふりそうだ。梅雨とはよくいったもので、梅は雨がふるごとに、大きく成長する。
「生き物」なので、「今年はどうかな?」と心配が尽きないけど、今月末は能登で「梅仕事」と「田植え」
一物一体の原則ではないけど、「ぜんぶやる」というのが、勉強になる。
最近よくいわれる「食育」。ほんとうに、学ぶためには、田植えからやって、そこに凄む虫や鳥や微生物などと
もふれあい、農薬や除草剤のこと、もっといえば大きな意味で「この星の環境」まで、みんなで共に考え育つ、
本来の「共育」にしていかなければ、とつくづく思う。

明日は「珪藻土竈(かまど)で炊く卵かけごはん」
「おこげ」がおいしい、とX世代の人たちまで、くるようになった。
彼らの何人かが「能登の田植えを体験したい」といいだしたら、うれしい。
高度成長の時期から、田舎で生まれたぼくたちも、東京をめざして上京し出稼ぎのような人生をおくってきた。
今もその流れで、いろいろな問題を孕みながら、地方の過疎がすすみ、空き家や生滅する街が
いっぱいできそうな昨今。
ウクライナの戦争で、小麦を筆頭に食料危機も危惧されはじめた。チャンスというと聞こえがわるいが、
ピンチはチャンスのたとへのように、新しい動きが胎動するような気もする。
「自分で自分の人生を切り開いていく」、まさかの時代は、それしかない。

濁点のありやなしや の話。昔からこんな遊びが・・・マンゴで思い出した(笑)

世の中は 澄むと濁るの違いにて 刷毛(はけ)に毛があり 禿(はげ)に毛がなし

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です