水木は、定休日にしている。
水曜日、昨年まで大きな会社の社長で今は引退され、よく二階で「蕎麦会」をやっていただいた人から連絡を受け、
奥さんとふたりで、「これからのサロン」をやるので、遊びにきませんか、というお誘いを受け、
都内の素敵なマンションの中にある「茶論」にうかがった。
要介護のランクにより、施設にいったり、デイケヤーなどを利用しながら、画一的な老後を歩む一般的な老後に
少し疑問腑をもたれ、「それぞれの人の最後の10年(林住期)を輝かせる場」をつくりたい、とのこと・・
天目茶碗に注がれたお抹茶を飲みながら談論風発。小粋でお洒落な「東京時間」。
お金のうんぬん、調度品のうんぬんを超え、「こころ温まる一盌」というのは、至福の時間だ。
能登の家での「今後」に、大きなヒントをいただいた一日。天真庵で25年続いた論語の会を「順受の会」
といった。これからは、かような・伝授の会「出会う人たちと、いい化学反応をおこし、伝授していく」を
大事にしたいと思う。
木曜日は、午前・午後にわかれた「焙煎教室」。
午前中のベテランさんたちは、すでに卒業証書(紙はない)を渡しているのだが、毎月続けている。
午後は、都内の飲食店で働く若者ふたり。ふたり合計しても、小生の歳に追いつかない、つまり若い。
さすがに、手先も器用だし、珈琲に対するパッションが尋常でないので、ひさしぶりにこちらも、
「青春」気分で、珈琲のいろいろな技の伝授に燃えた。これも伝授の会、だ。
お昼ころ、近くの「お世話しあうハウス」のおばあちゃんから筆子さんに電話。
「ふるさとから野菜がいっぱいおくられてきたので、とりにこない」とのこと。
片道徒歩5分のマンションにいったのはいいが、30分してもかえってこない。
年代を超えた「井戸端会議」だと思っていたら、じゃがいも、たまねぎ、メロンの袋を右手、
左手にタッパーに入った「高菜飯」がはいった袋。
野菜のお返しに、と、福岡の妹がつくった高菜をもっていった。それを見たおばあちゃんが
「私流だけど高菜飯のつくりかたを教えるわ」といって、フライパンを熱しに油を入れ、最初は
卵をまぜていれ、その卵をフライパンの端っこによせ、ご飯、高菜のきざんだもの、じゃこを入れて
チャーハンをつくり、仕上げに卵とまぜる、という簡単レシピを習ってきたらしい。
これもまた立派な「伝授の会」だ。
今日・明日は12時から16時までの営業。それから「蕎麦打ち教室」。
能登でも来月からやりのだが、これも「伝授の会」。秋はひさしぶりに長崎でも「蕎麦打ちの会」。