毎朝、小村井(おむらい)香取神社にお参りにいく。
天真庵から徒歩10分。二年前に「有吉散歩 小村井」に、なぜだか天真庵が
紹介され、しばらく開店前にお店の前に渋滞ができていた。
その時、神社の近くのレストランも紹介された。「小村井飯」というメニューがある。
朝目覚めの頭では、理解不能かもしらないばってん、「オムライス」だ。
なつきくんが店長をやっていた「ぶんかん」の日替わり店長制の中でも、水曜日?やったか
「オムライス」が人気だったことがある。国民的な人気メニュー。
今回の「能登」という雑誌は「能登のオムライス」。
この雑誌の応援をしているので、5冊おくってきた。前回は天真庵も紹介され、
能登の郵便局とか糀谷さんとか、酒屋さんにいったら「のってましたね」といわれた。
ちょっとした有名人か?(笑)なんてね・・・
どこがオムライスの発症?というのは諸説あるらしが、大きく東と西にふたつにしぼられる。
東が銀座の「煉瓦亭」。時々食べにいくけど、まんま(ごはんではなく、銀座の良き時代のまんま)なのがいい。
西は 大阪の心斎橋にある「北極星」。そこの店主が能登の宝達清水(ほうだつしみず、といいます)出身の北島茂男
で、今年がちょうど100年にあたるので、この特集とあいなったらしい。
どちらのお店でも、最初は「まかない」だったらしい。オムレツとライスの合体料理なので、日本で発症したけど、
元かれ、元かな・・・元西洋料理な感じやね。
小学校のころ、宮崎の延岡でさかなやをやっていた母がたの祖父が北九州に遊びにきたとき、
井筒屋というデパートに連れていってくれて、最上階にある食堂(その当時は、そこが一番モダンやった?)
で「エーイチ、なんでもごちそうする」というので、「オムライス」を所望したら、
「おまえ、日本人だろ。そんなもん食べるな」と怒られた記憶がある。「ハワイでも住むようになったら喰え」
と二連発のワンツーパンチをくったみたいに打ちのめされた。それからこっち、オムライスをくった覚えがない(ニ三度あるか?)。
父がたの祖父は植木ややった。顔はそちらに似ていて、よく親戚からは「うりふたつ」みたいなことをいわれてきたけど、
最近、タコや魚を釣って、さばいたりする時、自分のDNAの中の「さかなや」が見え隠れすることがちょくちょくある。
昨日も今日も16時まで営業で、その後「蕎麦打ち教室」。昨日のブログを読んだのか、昨日の「そばもんくん」が
豆源郷の豆腐を差し入れてくれた。そのおかえしに、東京にくる日に釣れ、そのまま冷凍したタコをあげて原始的ぶつぶつ交換。
明日の朝は「(おかまの)の、ごはんですよ」の卵かけごはん。
能登珪藻土の竈(かまど)でごはんを炊いてみます。昨日テーブルのところに置いてみた。お客さん
の反応がすごかった。「モノ言う株主」とかいうのが流行っているが、「ものいわぬ竈」のほうが、平和な昭和を
彷彿させる。「迷った時は、昔の暮らしにもどそう」が一番かもなんばん。感謝。