能登の家は、鳥でないとこれないくらい辺鄙な場所にある。昔「寒山拾得」(かんざんじゅっとく)の詩に、そんなんがあった。
今は車があれば、なんとかこれる。
どこもそうだけど、田舎暮らしに車は必要なアイテムやね。買い物難民にならないためにも、現実的には・・
東京ではもっぱら「NHKFM」を聴いている。電波が悪いので、NHKFMが能登の家には入らない。
だから、ラジオはAMのみ「NHK第一放送かな?」。ひがなこのAMを聞いていると、昭和の時代にもどった気分になる。
しかも、毎日戦争の話ばかり。「マイ時間 〇時のNHKニュースです・・・」から始まる。
ときどき、北朝鮮の有名な女性アナウンサーのなんやらさんが、「チョンガラチョンガラ・・」怒ったような口調で
自国の大将の自慢話や、敵国アメリカなどを罵倒する映像などを垣間見て、「今どき、こんな国があるんや」と
思っていたけど、よくよく自分の国を見ていても、「同じようなレベル」だと思うことしきり。
日本は島国で、唯一無二な孤高な文化を育んできた民族やと思う。
これからもしも、この星がもとの平和というと言葉がいらないくらい平和になるのは、
そんなぼくたちの「なにか」がとても大事になるのではないかしらん。
山、川、草、木、虫、動物、鉱物、魚・・・生きとし生けるものはすべて、仏性をもっている。
縄文時代から「〇〇教」というくくりのない時代から、日本人の信仰の中心には、そんな「こころ」が
宿っているように思う。
昨日は気分転換に、「どうらく息子」というマンガを酒を飲みながら読んだ。落語のマンガ。
暗い話ばかり多い昨今、面白い長屋の下町人情話や、吉原の廓(くるわ)に通う話や、かっぽれや、
ほろりとしたり、大笑いしたり、こんな世相の中では一服の清涼剤になりそうなおすすめマンガ本。月曜日に能登で
注文したら、昨日18巻届いた。
古典的な「金明竹」もでてきた。ちょうど今回、東京から木庵の軸をもってきたので、床の間に飾り、おなじく久保さんの新作
の掛花をもってきたので、そこに有楽椿を投げ入れ、ぬる燗をちびりちびり飲みながら読んだ。
三遊亭圓生さんの話がネットででていたので添付させていただく。
少し煎茶や抹茶や骨董のことがわからないと、おもしろくない話だけど、こんな話が前座の小咄として「あたりまえ」
に聞いていた昭和の日本人に感謝したい。「日本人にもどろ」、そうすれば、日本人だけでなく、「和のこころ」が優美に
広がっていくのではないかしらん?
ある骨董商のお客さまからご注意で、「昔から聴いている『金明竹』では、『沢庵、木庵、隠元禅師』と言っているが、この人達の物を張りまぜにはしない。なぜかというと、沢庵の物なら別にする。張りまぜならば、隠元、木庵・即非の三人でなければおかしい」という。(中略)骨董屋さんの方では、隠元、木庵・即非、これを『隠木即』と言い、煎茶に用いる道具とされ、これに対して沢庵禅師の物は抹茶に用いるということです。 現在は骨董の品も少なくなって、隠元の物でも抹茶に用いることがあるかもしれないが、本来は煎茶でしか用いないというのです。
落語では沢庵と隠元の語呂でいっしょにしたと思いますが、道具屋の主人は品物の鑑定にも頼まれて行くほどの人だから、やはり道具七品も筋が通っていないと、おかしいと思いまして、あたくしは沢庵禅師は別にして、一行物として一品に数えました。(中略)
名人の円喬は、この『金明竹』の言い立てを三度言えば、三度とも道具の順序が違いました。使いに来た者は、道具七品の品目が頭に入っていて、それを言うのだから、順序が変わるのが当然で、一つの文句をそのとおりに何度も言うのはおかしいという理屈だろうと思います。そうできれば、そのように演ることも結構です。しかし、頭の悪い我々は、順が変わって言い違えたら、めちゃめちゃになるから、あたくしは平凡にやります。(三遊亭圓生)
今朝のあさごはんは、かさごの塩焼きと、富来(とぎ)のそばやのおばあちゃんがくれた「たくあん」をポリポリと食べた。
みそ汁の実には、隠元豆、椎茸、今朝前の海でとった「黒藻」・・・東京にもどったら寄席にいって「金明竹」でも聞きたくなった。感謝。