ふるさと自慢

ゴールデンウィークが始まった。昨日は朝から☔だったので、比較的のんびりした一日やった。
近くに、コンピュータの学校と、千葉大学の建築デザイン?が近くにでき、昨年は自宅待機だった
若者たちも、最近は通うようになって、じいちゃんばあちゃんたちの徘徊する(ぼくもそのひとり)
うらぶれた十間橋に、若者が増えた。となりのトトロみたいに、となりのとなりに住んでいた伝説のジャズドラマーの
セシルモンローが「この十間橋通りは、ブルックリンみたいね」と口愚のように言っていたイメージになんとなく
近づいてきた。彼が海の事故で亡くなって、はや10年になる。吉祥寺のサムタイムにいくと、彼の愛用したドラムが
置いてあって、まだこの現象世界にいるような錯覚になる。

朝のニュースを聞いていると、新幹線や飛行機、高速道路も、帰省する人で混雑しているみたい。
二年ぶりにふるさとに帰る感慨や家族のありがたさを、噛みしめている人も多いのではなかろうか?
災害も地震も多い上に、隣国が戦争になってしまって、「今日と同じ明日がくるとは限らない」という
のが、常識になりつつある。「今ここ」を大切にして、毎日を感謝しながら通っていくこっちゃ。

終身雇用で、定年まで同じ仕事をして、0金利の銀行に貯金し、老後は年金で・・
という金太郎飴みたいな人生はもうおしまい。「卵をおなじ器に盛らない」という提言のように、
外貨貯金をしたり、仮想通貨にしたり、円が紙屑になりそうになったら、金とかに交換したり、それぞれが
リスクヘッジをする時代になったようだ。こないだ銀座の隕石カフェで、若い高校生が隕石を買っていた。
彼らの世代は、バブルも知らない、親の給与はあがらない、自分たちの時代は、年金制度も壊れ、ひょっとしたら
日本の国家も?みたいな意識がしっかりあって、「自分の道は自分で」という気骨があるように思う。
投資やビットコインのことなども詳しく、それで稼いだお金(もしかしたら仮想通貨)の一部を、「隕石で持つ」
ということらしい。新しいマネー学を聞いているような気がした。

ぼくは、お金持ちではないけど、「隕石粉のセラミック」は、たぶん世界で一番もっているかもなんばん。
そのうち、新しい基準の長者番付ができたら、なんやらいうアメリカの電気自動車の社長や、ビルゲイツやIT長者たちを抜いて
「気が付けば、時代の先頭」にいるかもなんばん(笑)

でも現実は、今日も朝から、「びん棒」という名の「のし棒」を振り回しながら蕎麦を打ち、能登七輪の上で
ガラガラと焙煎機を手回しし、なんとか命脈を保っている。そんな暮らしを中島みゆきは「しあわせ、といいます」
とは歌っていないか?でも「幸せなそのひ暮らし」というのは、なにとも比べようがなきくらい、いい。

今日明日は16時まで。それから「蕎麦打ち教室」
将来長崎で「そばや」をやるのが夢のそばもんくんがやってくる。
昨年特訓をした「くまもん」も、いよいよ熊本で蕎麦屋をやるらしい。
神楽坂で料理屋をやっていた主人が、島原に移住して、小浜と言う温泉地に料理屋を開店した。
「彩雲」という。女将が味噌作りにきたので、仕込んだ味噌を先月小浜におくった。
「豆の旅」だ。

ブラブラ徘徊散歩がいい。

能登にいても、東京にいても、時間がある時は、ブラブラ徘徊散歩をする。
能登でのは、海にいってタコを釣ったり、山にいっては、山野草をとったりして徘徊している。
東京では、タコよろしく、九つの脳をもったつもりで、自由自在にいろんな場所を徘徊する。
いつも、「どこにいく」という目標もなく出発。浅草通りをマッツグ歩き、浅草経由で合羽橋を徘徊。
職業がら?このコースは月に一回は必ずいく。

浅草通りと三つ目通りの交差するあたりで、突然左折して、現代美術館あたりまで徘徊し、まわりにある
カフェあたりで一息ビールを飲むことも、ままある。最近は「カフェの聖地」とかいわれる清住白川という場所。
錦糸町を徘徊した後は、豆源郷まで歩いて、豆腐やお揚げを買ってかえる。
亀戸にいく時は、骨董屋をのぞき、なんやらいう(鳥長?)お店で、親子焼き(卵焼き)と、シュウマイを
買ってかえり、そく飲みをすることもある。

20代後半に起業した街、秋葉原にもときどき歩いていく。不思議な癒しカフェ?などその当時はなかったばってん、
昔とったなんやらで、裏道などは猫にでもなった気分で徘徊できる。

水曜日は歯医者だったので、地下鉄をのりかえ、巣鴨で降りて、おばあちゃんの原宿通りを抜け、板橋の歯医者にいった。
20年くらい住んだ街なので、池袋、大塚、目白・・・いろいろな得意な徘徊道が目白押しだ。
歯医者で、隣に古い友達が座った。飲み屋や、カフェでなく、お互いに歯の治療していたので、話はできない。
ぼくの担当の女医さんが、上の歯の掃除がおわると「はい、野村さん、口をゆすいでください」
といった言葉に、その友達が反応して、「野村さん?」とつぶやき、その友達の治療をしている女子が「そう、あの野村さん」
と答えた。「あの」というのは、この歯医者を彼女に紹介したのがぼくだから、である。
それから15年以上たつけど、隔月で歯の掃除にきているらしい。

上池袋丁目に天真庵があった15年前までは、南條先生の寒山拾得の個展のほかに、芸大でたての人たちが「今のもの」
という展示会を毎年やっていた。加えて、近くの「ワイナリーイズミヤ」主催のワイン会などをけっこうやっていた。
歯医者の横に座ったこも、そのワイン会のメンバーのひとり。
板橋駅にいくまでの5分で、「お互いの15年の話」をするが、時間が足りない・・・
「ではまた次回」ということで、埼京線で新宿・・・・実は、吉祥寺のパルコで映画を
見にいく予定にしていたが、急用ができた。
そのまま押上にもどると、また懐かしい女子が、生まれたばかりの男子をつれて、珈琲豆と柚子胡椒を買いにこられた。

まったく、計画性も、準備もない毎日だけど、なんとなく有意義な毎日をおくっている。
今日から世間はゴールデンウィーク。こちらは、相変わらず、そばと珈琲の粒々皆辛苦の渡世の日々。感謝。

月曜の朝は、おかまの卵かけごはん

昨日はじめて能登珪藻土の竈(かまど)で、ごはんを炊いた。
15年前に押上の天真庵を結んでからこっち、冬は炭で暖をとっている。
池袋の天真庵も、サンマを焼く時期、冬に熱燗が飲みたくなった時、には、
炭を起こしていた。

少し大きめの火起こしで、炭をおこし、竈にいれ、その上に、小さな炭を足し、
空気穴をうちわでパタパタしながら火を強くする。
羽釜にお米を入れて何度か洗う(米を磨く)、ご飯と同量の水(能登の藤瀬の霊水をつかう)を入れ、
木の蓋をおく。
しばらく(5分ちょっと)すると、シューという音がして、白い湯こぼれとともに、米が対流している様子が
想像できる。重い鍋だけど、ズレ落ちる?くらいの勢いだ。
♪はじめちゃろちょろ なかパッパ・・・薪でやるとそんな感じかな?炭だと、いきなりステーキみたいに、
いきなり勢いがつく。
♪赤子泣いても蓋とるな・・・・だけど、常識のウソではないけど、一度蓋をあけ、しゃもじでさっとかき回す、のが僕流。
おこげはきらいでないけど、あまり多いのもなんなので、土鍋でお米を炊くときも、そうしている。

そのころには、炭が絶好調と叫びはじめる。そのタイミングで、空気穴の上にある「炭の扉」をあけ、
炭を半分くらいとりだし、「七輪」とか「火鉢」に入れる。ガスで、強火の後の弱火、といった感じか?
どのくらい減らすか、とかは、その人の感性。電気釜みたいに「スイッチ押すだけ」とは違う醍醐味がある。
後は、木の蓋からこもれでる湯気の香りの変化に神経をとがらせて、「このへん」という声が聞こえたら、
羽釜を鍋敷き、なければ雑誌の上において、しばらく蒸らす。
できあがったごはんは、お櫃にいれる、が正統的だが、無い場合は電気釜にいれ、「保温」のスイッチ。
お櫃にいれ、「藁泉」(わらいずみ)の中に入れると、高級料亭や高級寿司屋にいった気分になる。

昨日は、近くのカフェのオーナーたちが、ぼくの予告編(来週から竈ごはんで卵かけごはんをやるで~)がきいたのか、
6合の羽釜で炊いたごはんが、完売した。
「月曜の昼は、能登牛すじカレー」という裏メニューもあるのだが、昨日は「そば」のみ。
そばも、あっという間に完売して、その後は「がれっとやさん」に専念。

昨日は、能登の「梅茶翁」の三輪福さんたちも、蕎麦を手繰りにきてくれた。今月、かまどではなく、ペチカを
完成させてほっと一息。6月には梅仕事と田植えをいっしょにやる。
梅茶翁にも「能登珪藻土の竈」がある。瑞穂(みずほ)という、お米のルーツの神話みたいな土地で、いっしょに田圃をやり、
収穫祭を祝い、竈でごはんを炊く。縄文時代の後半から連綿と紡がれてきた「時間」にやっと波動があわせられ、
「日本人になった」、そんな気分になる。まかないのごはんを食べていたら、表を「おかまのMくん」がチャリンコで通った。
「おかま」と「おなべ」・・・・いろんな形があるけど、みんな「おなじお釜のメシ」を喰えば、問題なし、だ。感謝。

能登にオムライスのルーツが?

毎朝、小村井(おむらい)香取神社にお参りにいく。
天真庵から徒歩10分。二年前に「有吉散歩 小村井」に、なぜだか天真庵が
紹介され、しばらく開店前にお店の前に渋滞ができていた。

その時、神社の近くのレストランも紹介された。「小村井飯」というメニューがある。
朝目覚めの頭では、理解不能かもしらないばってん、「オムライス」だ。
なつきくんが店長をやっていた「ぶんかん」の日替わり店長制の中でも、水曜日?やったか
「オムライス」が人気だったことがある。国民的な人気メニュー。

今回の「能登」という雑誌は「能登のオムライス」。
この雑誌の応援をしているので、5冊おくってきた。前回は天真庵も紹介され、
能登の郵便局とか糀谷さんとか、酒屋さんにいったら「のってましたね」といわれた。
ちょっとした有名人か?(笑)なんてね・・・

どこがオムライスの発症?というのは諸説あるらしが、大きく東と西にふたつにしぼられる。
東が銀座の「煉瓦亭」。時々食べにいくけど、まんま(ごはんではなく、銀座の良き時代のまんま)なのがいい。
西は 大阪の心斎橋にある「北極星」。そこの店主が能登の宝達清水(ほうだつしみず、といいます)出身の北島茂男
で、今年がちょうど100年にあたるので、この特集とあいなったらしい。

どちらのお店でも、最初は「まかない」だったらしい。オムレツとライスの合体料理なので、日本で発症したけど、
元かれ、元かな・・・元西洋料理な感じやね。
小学校のころ、宮崎の延岡でさかなやをやっていた母がたの祖父が北九州に遊びにきたとき、
井筒屋というデパートに連れていってくれて、最上階にある食堂(その当時は、そこが一番モダンやった?)
で「エーイチ、なんでもごちそうする」というので、「オムライス」を所望したら、
「おまえ、日本人だろ。そんなもん食べるな」と怒られた記憶がある。「ハワイでも住むようになったら喰え」
と二連発のワンツーパンチをくったみたいに打ちのめされた。それからこっち、オムライスをくった覚えがない(ニ三度あるか?)。

父がたの祖父は植木ややった。顔はそちらに似ていて、よく親戚からは「うりふたつ」みたいなことをいわれてきたけど、
最近、タコや魚を釣って、さばいたりする時、自分のDNAの中の「さかなや」が見え隠れすることがちょくちょくある。

昨日も今日も16時まで営業で、その後「蕎麦打ち教室」。昨日のブログを読んだのか、昨日の「そばもんくん」が
豆源郷の豆腐を差し入れてくれた。そのおかえしに、東京にくる日に釣れ、そのまま冷凍したタコをあげて原始的ぶつぶつ交換。

明日の朝は「(おかまの)の、ごはんですよ」の卵かけごはん。
能登珪藻土の竈(かまど)でごはんを炊いてみます。昨日テーブルのところに置いてみた。お客さん
の反応がすごかった。「モノ言う株主」とかいうのが流行っているが、「ものいわぬ竈」のほうが、平和な昭和を
彷彿させる。「迷った時は、昔の暮らしにもどそう」が一番かもなんばん。感謝。

銀座の隕石カフェ・・・スタバを超える?

昨日は朝から、炭火を起こし、ガラガラと焙煎していた。
終わったら、徘徊散歩でもしながら、豆源郷の豆腐でも買いにいって、
能登から運んできたワカメのしゃぶしゃぶでもツマミに酒を飲もうか?
などと風流なことを考えていたら、ショートメールが・・・
「銀座の隕石カフェ」からだ。5日前くらいに、能登の海岸で焙煎して、いっぱい
送ったばかりなのに「豆が空になったので、よろちく・・・」とのこと。

さっそく、焙煎したての珈琲豆と、能登のワカメと、珈琲リキュール(元気ブラン)を
もって銀座の松屋の裏手のカフェへ・・・
貧乏長屋の空っぽの米櫃のように、あと20gくらいしか残っていない状態。
まだ二店舗、しかもカフェがそこだけなのに、すごい消費量だ。
焙煎したての珈琲豆で、エスプレッソを淹れてもらった。令和の「銀ブラ」(銀座でホボブラジル)
の味がした(笑)

珈琲リキュールも試飲してもらった。浅草のなんやらブランという不思議な飲み物がある。
それに対抗するわけではないけど、「銀ブラン」という名の新しい銀座の名物になってくれそう?

このカフェは昨年の夏から始まった。珈琲豆はぼくが焙煎している。
昨日は横に、IT業界では著名な人が座った。「入りにくい店だけど、あなたがカウンターに
座っていたので入りました」とのこと。カウンターの上に置いた「能登ワカメ」を見て、ビットがたった
みたい。「能登に住んでいるのですか?」と聞かれたので、「ふたまた暮らしで、昨日東京にきました」
というと、「ぼくも能登の門前に家があります・・・」とのこと。
先月門前(総持寺の門前町)まで歩いた。その途中にあるとこ。「車で5分のとこですね」
とお互いが顔をあわせてびっくりした。「このカフェの能登店でもつくりますか?」と愚にもつかぬジョーク
を・・・

帰り際に、振り返ってお店をのぞくと、カフェの看板が・・・
「隕石カフェ」だと思い込んでいたが、正式名称があるのだ。

「Star Comes Coffee」という看板。どこかアメリカからお店みたいな名前?

「Star Comes Coffee Powered by BigBang 隕石直売所 銀座本店」
というのが正式名称らしい。「食べログにもでてます」と王子がいうので
覗いてみた。夜の予算が¥100、000ですって(笑)
小宮山くんが社長の「銀座ルノアール」や、数々の名店がひしめく中、
少し頭角をあらわしてきた。

天真庵は今日から営業。
今日明日は12時オープンで16時まで。16時から「蕎麦打ち教室」
月曜日の朝は「卵かけごはん」。ごはんを能登珪藻土の竈で炭火炊きします。「おかまの卵かけごはん」。
最初のお客さんがおかまのMくんだったりして・・?

ひょっこりひょうたん島に素敵な温泉

「チルい」という言葉をかみしめながら、東京にもどってきた。
能登の家に戻る時は、近所のおばあちゃんに「おかえりなさい」といわれる。
東京にいく日は、「いってらっしゃい。コロナに気をつけてね」なんていわれる。
「これ食べたら、コロナにならないよ」と、家の前の海で採れた今年のワカメを
いっぱいもらった。乾燥したワカメは、近くの富来(とぎ)の「道の駅」に納品する。
金沢あたりの人たちも、「能登のワカメは美味い」ことを知っているので、すぐに完売する。
昨年、「少しわけて」とお願いして、東京のお店に並べるとやはりすぐに完売。
今年もお願いして少し買わせてもろうた。味噌汁に豆腐といっしょにいれると、湯気の中に能登
の海が蜃気楼のようにあらわれる?そんな能登自慢なワカメ。

東京にくる時は、藤瀬(ふじせ)の霊水を汲み、ひょっこりひょうたん島のモデルになった能登島の
「水」という食堂で朝飯を食べ(いつもぶりのカマを焼いてもらう。総菜3品、ごはん、みそ汁付きで950円。先月から100円値上がり)、
和倉温泉の「総湯」という湯本みたいな(加賀屋もそこのお湯)に480円(440円?チケットを買うので、忘れた)で入る。
今月まで大改装中なので、今回は能登島の「ひょっこり温泉」(550円)に始めていった。朝9時半からあいている。
11時くらいだったけど、駐車場には、他府県ナンバーのキャンピングカーとか、ワンボックスカーなどがいっぱい
とまっていて、お風呂の入り口には「ただいま混みあってます」と書いてあった。ぬるい泡泡ぶろふたつ、暑い湯、露天風呂があり、
「混みあう」という感じでもない。ぬるいあわあわに浸かっていると、隣のあわあわに浸かった同じ世代の人に、
「どこからですか・・・?」と声をかけられたので、しかとしたいところだが、何かの縁なので「志賀(しか)からです」
と答えた。「ぼくは、埼玉からきました。定年を迎えたので終の棲家を能登にしようかと思い、これから二年ほど、
能登島に家を借りて住みはじめました」とのこと。話にのると、なんぼぬるい温泉とはいえ、ゆでだこになるので、
「そうですか、いい空気を吸って長生きしてください」とだけ伝えて、露天風呂にいった。

♪波をちゃぷちゃぷちゃぷちゃぷかきわけて
(ちゃぷちゃぷちゃぷ)
雲をすいすいすいすい追い抜いて
(すいすいすい)
ひょうたん島はどこへ行く
ボクらを乗せてどこへ行く
(ううううーううううー)。。。と鼻歌がでそうになるほど、気持ちがいい温泉。

3日前に、珠洲の珪藻土七輪屋さんにいった時も、所沢ナンバーの白いワンボックスカーから同世代の男の人が
降りてきて、七輪をあれこれ見て迷っていたので、「よくばり七輪」をすすめてあげた。やはり能登くらしを始めた初心者らしい。
ぼくらの世代になると「一生もの」の時間が短くなるので、「どうせなら、値段がはっても、一番いいもの」
を選んだほがいい、と、ぼくは思っている。23000円くらいするけど、魚や肉を焼いてもうまいし、
火消し壷にもなるよう、ピタット蓋がついている。なんなら、ぼくの「三日坊主の焙煎塾」に通って、ロースター(老スター)
の道をいく、という人生もあることを説明したら、目が輝いていた。マスクをはずし、「ぼくは〇〇いいます。こんな顔です。
覚えていてください」と挨拶された。ヤクザな人生を歩いてきたぼくとは、真逆の人生を歩いてきたような人だ。

ワンボックカーとか、キャンピングカーがはやり、「車中泊」が大人気になってきた。全国津々浦々、道の駅があるので、
トイレ、駐車場が困らないし、ところによっては温泉がいっしょになっているところも多い。
最近は「車中泊専用の宿」もあるのご存知?ぼくも地元の新聞を読んでいてはじめて知った。
カキと相撲の遠藤のふるさとの穴水に「田舎バックパッカーハウス」という宿?があるらしい。これからのトレンドやね!
つまり、車中泊では足りない「食べたり、調理したり」する共有スペースをお貸しします、という宿。
なかなか人気らしい。駐車場で、「炭火焙煎」させてもらい、宿泊する見知らぬ人たちにふるまったりすると、
「チルい」(落ち着く)といわれ、最後の「モテキ」になるかもなんばん?(自分でやったりして・笑)

北九州の台所「旦過市場」が焼けた!

昨日は夕陽がとてもきれいだったので、近くの「じんのびの湯」にいく。
能登の外浦(富山湾とは反対のこちらがわ)は、夕陽がきれい。
じんのびの湯はその最高峰の場所にあり、「ホテルビュースポットホテル」
に泊まったら、浴衣ではいることができる。一昨年の幻の?「ごーつーとらべる」の時、
梅林ガールズといっしょに泊まって、夕陽と能登の魚に舌鼓をうったことが懐かしい。

昨日風呂からあがって、休憩所で北國新聞を読んでいたら「旦過市場が火事」のニュースがテレビ
で流れた。小倉うまれの小生、ものごごろついた幼少のころからこっち、大変お世話になったとこ、台所だ。
北九州予備校に通う浪人時代も、毎朝、市場を通って通い、帰りには古色蒼然とした食堂で、一杯(予備校時代は熱燗一本だけ)
飲んだりした。近所のおばっちゃんがインタビューうけていて「人生が半分なくなってしまったみたいっちゃ」と小倉なまりで語っていた。
「そんげそんげほんなこつ」である。

福岡は、「博多」と「北九州」のふたつの100万都市がある。(正確には北九州は100万をきった)
博多は「若者の街」で、最近はリトル東京ばい、という感じの街になりさがった。
北九州は「鉄の街」として栄え、競輪・焼うどん・パンチパーマの発症の地。
今は地盤沈下しているけど、栄えた時代のインフラ(病院・公園・カフェやレストラン)が残っているのと、ちょっといけば
釣ができる海、温泉などの自然も多く、関門大橋を渡れば下関で唐戸市場(からといちば)もあり、「老後に住みたい街」の筆頭にある。

博多は東京の一緒で2021年の話題の新語「チルい」ブームの街だ。
原田曜平さんの新著「寡欲都市TOKYO」(若者の地方移住と新しい地方創生)」(角川新書)を読むと、
「これからの東京(やリトル東京)」がよくわかる。

「チルい」とは、chill outを語源として、「落ち着く」という意味らしい。
これからの大都市の人たちは、確実に「チル」る。そして「チルい」選手権で
東京はぶっちきり世界一の都市になるらしい。

それとは反対に、コロナの影響もあり、世界中の若者が田舎へ移住する傾向も顕著になってきてるらしい。
世界に名だたるIT企業も従業員が郊外に引っ越し、リモートで仕事をしているので、規制(給与形態とか)を
かえてきているらしい。とくに「シレニアル世代」(1981年以降の生まれ)や「Z世代」(1990年半ば以降の生まれ)
は顕著で、「大都市生活にストレスを感じているひとたち」らしい。
「落ち着く」場所、居場所、人が、活躍する時代がきたみたい。

地震の備えに必須のアイテム・・

今朝はとっても暖かいので、ウナ帽を家においたままタコ釣りにでかけた。
海は伝馬船が海岸近くでとまっている。浅瀬でわかめを収穫している。
磯でも女性たちが、ワカメや黒藻などをとっている。桜が満開だけど、この季節は
わざわざ花見、ではなく、磯仕事、畑仕事、田植えの準備をしながら、里山の桜を愛でる、
というのが能登の人たちの桜。

タコは釣れなかったけど、タコ釣りの師匠にワカメと黒藻と、缶コーヒーをもろうた。
「これゲンキー(地元の薬や食品を扱うスーパー)でいつも買うんよ。」とのこと。
いつも、いろいろいただきものをするために、釣り用のショルダーバッグに、海苔、お菓子などを
入れていて、今日は師匠に「ほぼぶらじる」をあげようと思っていたけど、やめた(笑)。

昨日はビンと缶の回収日やったので、そこにいくと、「ネコの餌の缶詰」がたくさんあった。
やさしいじいちゃんばあちゃんたちが、飼い猫や野良猫にあげるんやね、きっと。
先日紹介した「Fのさかな」の冒頭には、いつも1924年生まれの元気な料理研究家の辰巳芳子さん
のエッセー「いのちを育む食卓」が紹介されている。今回の「タコの特集号」には、「非常時の心得は、国頼みでなく」
で、「常備いいとしておくと思うもののひとつが、お粥の缶詰」とあった。「なるほど」だと思った。
長いことお米を食べてきてるだけでなく、イザという時に、国がなにもしてくれない、自分で自分や家族をまもりなさい、
ということをよく知っておられる。

その後、輪島のお店に珈琲豆を納品し、珠洲の塩のじいちゃんところで塩を調達し、七輪やさんにいって、
長崎のじゅんちゃんに頼まれた「竈(かまど)」と、珈琲のお弟子様の依頼の「よくばり七輪」(ぼくは、
いつも間違えて、わがまま七輪といってしまう)を買い、もう一度輪島にもどり、知り合った塗師(ぬし 漆を塗る職人)
の家にいって、少し大ぶりの「漆器(しっき)」を買った。

天災や戦争などで、ライフラインが失われたら、「火を自分で起こす」必要がある。
カセットコンロは必須だけど、長期戦になった場合、七輪くらいもっていたほがよさそう。

そんな時代でもあるので、能登の珪藻土竈を、東京にもっていくことにした。
「月曜の朝は卵かけごはん」のごはんを、来週の月曜から「かまど炊きごはん」にします。
残った炭で、月曜の朝は焙煎をしているので、「月曜の朝は、もくもくサロン」といわれるかもなんばん。
炭火焙煎、かまどごはん・・・だんだん縄文時代のくらしに近づいてくる。

金明竹(きんめいちく)

能登の家は、鳥でないとこれないくらい辺鄙な場所にある。昔「寒山拾得」(かんざんじゅっとく)の詩に、そんなんがあった。
今は車があれば、なんとかこれる。
どこもそうだけど、田舎暮らしに車は必要なアイテムやね。買い物難民にならないためにも、現実的には・・

東京ではもっぱら「NHKFM」を聴いている。電波が悪いので、NHKFMが能登の家には入らない。
だから、ラジオはAMのみ「NHK第一放送かな?」。ひがなこのAMを聞いていると、昭和の時代にもどった気分になる。
しかも、毎日戦争の話ばかり。「マイ時間  〇時のNHKニュースです・・・」から始まる。
ときどき、北朝鮮の有名な女性アナウンサーのなんやらさんが、「チョンガラチョンガラ・・」怒ったような口調で
自国の大将の自慢話や、敵国アメリカなどを罵倒する映像などを垣間見て、「今どき、こんな国があるんや」と
思っていたけど、よくよく自分の国を見ていても、「同じようなレベル」だと思うことしきり。

日本は島国で、唯一無二な孤高な文化を育んできた民族やと思う。
これからもしも、この星がもとの平和というと言葉がいらないくらい平和になるのは、
そんなぼくたちの「なにか」がとても大事になるのではないかしらん。
山、川、草、木、虫、動物、鉱物、魚・・・生きとし生けるものはすべて、仏性をもっている。
縄文時代から「〇〇教」というくくりのない時代から、日本人の信仰の中心には、そんな「こころ」が
宿っているように思う。

昨日は気分転換に、「どうらく息子」というマンガを酒を飲みながら読んだ。落語のマンガ。
暗い話ばかり多い昨今、面白い長屋の下町人情話や、吉原の廓(くるわ)に通う話や、かっぽれや、
ほろりとしたり、大笑いしたり、こんな世相の中では一服の清涼剤になりそうなおすすめマンガ本。月曜日に能登で
注文したら、昨日18巻届いた。
古典的な「金明竹」もでてきた。ちょうど今回、東京から木庵の軸をもってきたので、床の間に飾り、おなじく久保さんの新作
の掛花をもってきたので、そこに有楽椿を投げ入れ、ぬる燗をちびりちびり飲みながら読んだ。

三遊亭圓生さんの話がネットででていたので添付させていただく。
少し煎茶や抹茶や骨董のことがわからないと、おもしろくない話だけど、こんな話が前座の小咄として「あたりまえ」
に聞いていた昭和の日本人に感謝したい。「日本人にもどろ」、そうすれば、日本人だけでなく、「和のこころ」が優美に
広がっていくのではないかしらん?

 ある骨董商のお客さまからご注意で、「昔から聴いている『金明竹』では、『沢庵、木庵、隠元禅師』と言っているが、この人達の物を張りまぜにはしない。なぜかというと、沢庵の物なら別にする。張りまぜならば、隠元、木庵・即非の三人でなければおかしい」という。(中略)骨董屋さんの方では、隠元、木庵・即非、これを『隠木即』と言い、煎茶に用いる道具とされ、これに対して沢庵禅師の物は抹茶に用いるということです。 現在は骨董の品も少なくなって、隠元の物でも抹茶に用いることがあるかもしれないが、本来は煎茶でしか用いないというのです。
落語では沢庵と隠元の語呂でいっしょにしたと思いますが、道具屋の主人は品物の鑑定にも頼まれて行くほどの人だから、やはり道具七品も筋が通っていないと、おかしいと思いまして、あたくしは沢庵禅師は別にして、一行物として一品に数えました。(中略)
 名人の円喬は、この『金明竹』の言い立てを三度言えば、三度とも道具の順序が違いました。使いに来た者は、道具七品の品目が頭に入っていて、それを言うのだから、順序が変わるのが当然で、一つの文句をそのとおりに何度も言うのはおかしいという理屈だろうと思います。そうできれば、そのように演ることも結構です。しかし、頭の悪い我々は、順が変わって言い違えたら、めちゃめちゃになるから、あたくしは平凡にやります。(三遊亭圓生)

今朝のあさごはんは、かさごの塩焼きと、富来(とぎ)のそばやのおばあちゃんがくれた「たくあん」をポリポリと食べた。
みそ汁の実には、隠元豆、椎茸、今朝前の海でとった「黒藻」・・・東京にもどったら寄席にいって「金明竹」でも聞きたくなった。感謝。

タコは、三つの心臓と九つの脳を持つ?👽だ!

能登の道の駅とかスーパーにいくと、ときどき面白いフリーペーパーが並んでいる。
「Fのさかな」という。
月に10日ほど能登で暮らす、という「二股くらし」を始めて4年になる。
ときどき、この雑誌を見かけると、「やった!」という気分になる。

先日、近くの道の駅で見つけ、「真蛸!タコは、三つの心臓と九つの脳を持つ」という特集を読んだ。
「YouTube」を師匠ときめ、何度も見て、「タコヤンという疑似餌でタコを釣る方法」を学んだ。
最初の6か月は、天気のいい日に散歩しながら、先輩の「タコすかし」という能登の伝統的な漁法を
しているのを遠くから見ていた。曇っている日はここ、ピーカンの時はあそこ、寒い日はこのへん・・・
小学校のころから、北九州の芦屋海岸でキス釣りやカレー釣りをしていた自称「釣りバカちゃ」なので、
なんとなくイメージがつかめ、今はふつかに一尾のペースでタコが釣れるようになった。

タコは頭に鉢巻きまいたイメージで、口みたいなんが目の下についているけど、それは口じゃない。
「漏斗」(ろうと)といって、敵がきたら墨をはいたり、海水をふいたりするとこ。
だから、知らない人は、足をもったりするけど、8本の足の真ん中が口で、そこには、するどい歯があり、
へたすると、大けがをするので要注意。吸盤に吸い付かれたれても、そこが真っ赤になるほどだ。

そんなわけで、タコが釣れると、急所の「目と目の間」に、日本橋の木屋で買った「釣り用の出刃」を
さし、〆る。その時も大きなタコは、包丁の柄から手まで手をのばして、まとわりついてくる。
あたかも北斎の春画のタコみたいだ。おすは、赤チン(赤いチンチン)がついている。
というのは、まっかなウソ。ときどき、足一本が「後からはえたんやろか?」というくらい短い
のがいる。その足の先には吸盤がついとらんと・・・それが♂。
メスとオスが交尾するとき、ゆうこときかん♀を、その足でむりくり、ハグするのだろうか?
「Fのさかな」には、そげなこと解説していないけど、そんなことを想像した。
これから、そんな恋の季節だ。

日本人は世界一のタコ喰い民族。東京あたりでは、「アフリカ産」がスーパーに並んでいる。
石油が高騰しているので、漁船もそれを運んでくる船や飛行機の経費も高騰しているので、輸入品(もちろん国産も)
高くなり、ちゃぶ台の上にのぼる機会がすくなるなる可能性大だ。
タコには、「タウリン」というのがたくさん含まれていて、動脈硬化とか心臓など血管系にいい。
別名「セックスミネラル」といわれる「亜鉛」も多くとれる。春画を見るまでもない。
さしみで食べたり、「タコガレ」(たこがれっと)や「たこやき」(きじを蕎麦粉)にしたり、
タコメシによし、柔らか煮、酢もの、おでんのネタ・・・・全天候型の食材。

8本の足が、それぞれ命令系統が別みたいに融通無碍に動くので、脳がプラス8、心臓がプラス1?
と思われているみたい。知れば知るほど、タコは地球外からおいでになった生き物だと思う。
昆虫もしかり、もちろんぼくたちも・・・もしかしたら、この星に生きとし生けるものは、みな地球の外から
きた生物ではないか、と、タコが釣れるたびに、思うとです。今日は土曜日。
能登では、土曜日は「船をださない。あらゆる漁をしない日」。環境のことを考えているのです。なにごとも「ほどほど」がよか。