能登珪藻土七輪が合羽橋から消えた?

木曜日、浅草経由で合羽橋を徘徊散歩。
月に一度は、仕事がら、合羽橋にいく。
珈琲の道具も、そばの道具も、自分なんりに工夫をしながら、
まわりのアーティストみたいな職人さんたちに、つくってもらったものが多い。

珈琲のサーバー、ドリッパーや、珈琲カップは、久保さんのお願いしている。
最近は、銀座の「隕石カフェ」(ビッグバン・隕石直売所)も加わり、共同で不思議な
カップやドリッパー・サーバーをつくったりしている。来月は、いろんな新作が揃う予定。

蕎麦道具は、包丁は師匠、まな板は般若くんにつくってもらった。各地で「蕎麦会」をやってきたけど、
島原には道具を置いてあるし、梅茶翁にもそろっている。道具がない場合は、車に積んで、どこでも
いつでもOK牧場だ。

まんぼうが解除され、春休みになり、桜の開花宣言も重なり、浅草は若者でごったがえしていた。
コロナ前は、中国人が猿回しの猿みたいに、ワーワーいいながら、安っぽい着物来て、界隈を闊歩していた。
同じような安っぽい着せられ、日本の若いこらが、歩いている。馬子にも衣装、というか、着せ替え猿みたいだ。
帯の締める位置が高い(そのほうが歩きやすいのかな)のか、歩き方がO脚でがに股なせいか、「いつでも前をはだけて立ちション便ができる」
といった格好。それで、もんじゃや(いつの間にか、もんじゃやがいぱいできた)で、もんじゃ食べながら、ビールを飲んでいる。
いらぬお世話だけど、小便にいって、用を足した後、もと通りに、居ずまいを治すこと(もとの恰好にする)ができるのかしら?なんて心配になる。

そんな春の風物を垣間見ながら、浅草六区経由で合羽橋へ・・・
コロナ前は、やはり外国人が、刃物屋さんに跋扈して、日本のホンモノの包丁を土産や、転売目的で買っていく風景が目立った。
日本人は、文化包丁や安くて手入れの少ないステンレスの包丁しか使わないので、どの店も以前の賑わいがない。
「空き店舗」の看板が目立つ。やはりマンボウは解除されたが、飲食店が冬のまま、春の気配がうすい。

そんな中、いつも立ち寄る道具屋で、「能登七輪」のコーナーが、「入荷の時期不明」という張り紙。
能登の道の駅も同じような状態。ながびくコロナによる、巣ごもりで、自宅や別荘で過ごし、家族や仲間と「焼肉」などを
する時、重宝されているようだ。ソロキャンプや家族でキャンプも流行りはじめ、需要と供給のバランスが悪くなっている。
加えて、地震や災害や、有事になった時の「供え」として、準備を始めるひとが急増しているみたい。
東京はマンション住まいの人が多く、契約上、七輪など使えないことになっているけど、イザの時は、車の中や、避難所や、
ひょっとしたら、路上で生活することにもなりかねない。一家にひとつ七輪があってもいいかもなんばん。

能登の梅茶翁から「珈琲豆2k」の注文が入って先日おくった。先週末から10日コース?で、「ペチカ」のワークショップを
やっている。徒然草の時代から我が国の暮らしは「夏の暑さ」対策に重点をおいてきた傾向がある。
でも、化石燃料を使うには限界があるし、これからしばらく有事時代が続けば、冬の暖をどうする、が
もっと問題になってきそうだ。東京で「ペチカ」は難しいけど、各自が工夫をしていかねば、来年の冬はより寒く
なりそうな気配。だいぶ温かくなってきたけど、今朝も炭おこしに炭を入れ、それを有田の火鉢に移し、その上に薬缶をおき、
お湯がわいたら珈琲を淹れ、新聞を読む、ところから天真庵の一日が始まった。日々是好日に感謝。

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