ホンモノはみな簡素

昨日は、簡素な「しゃぶしゃぶ」を食べた。
鍋にたっぷりのお湯を入れ、そば出汁を適宜いれる。
その中に朝どれの「生わかめ」を箸でしゃぶしゃぶして、食べる。
肉とか魚とか豆腐とか、余計なものをいれない。
「ただ」それだけ。能登の地酒「竹葉」をぬる燗にして飲む。
のどがグビグビと鳴って、いくらでも飲める。

「しゃぶしゃぶ」とは、名前からして簡素なものだ。「足るを知る」
の原点みたいな夕餉。
「懐石料理」というのも、読んで字のごとく、簡素で質素な料理だった。
修行僧が坐禅をする時、おなかが空いてたまらなくなる。そんな時、石を懐に抱いて
我慢をした、そんなところから生まれた精進料理。それがいつのまにか、山海の珍味とか、
季節季節の贅をつくした料理が、これでもかこれでもか、とでてくるようになった。
本来は懐に石を抱くような質素な料理が、懐具合を心配するような高価なものになった。

どの世界でも、そのような現象がある。もちろん、ピンキリで、ホンモノで価値があるもの、
大量生産で安価なモノという分類も、どの世界でもある。

世界が先月から、戦争モードになった。原油価格が急騰しているので、能登にくるまでの
ガソリン代が高くなった。
珈琲の値段もあがっている。遠い国からアジアの島国まで運ばれてくるものだけに合点はいくけど、
半世紀近くこの業界にいて、初めて経験するくらい、高騰している。
これから、小麦もますます上がってくる。パスタやさん、パンやさん、お好み焼き屋さん
も大変だろうけど、そばやも8割以上が外国産の蕎麦粉を使い、輸入物の小麦粉を「つなぎ」にする。
もっといえば、醤油の材料になる大豆も、大半が外国産のものが幅をきかせている。
反対に、それらをみな国産にすると、一時的にはもっと高価なものにつく、という矛盾。
お店といわず、家庭においても、同様のことが始まったといえる。

先週、蕎麦業界の重鎮で、マンガ「そばもん」にもでてくるひとが、蕎麦を手繰りにこられた。
「質問があります」といわれ、ホボブラジルを飲みながら・・・「そばと珈琲の共通点は何ですか?」
とのこと。石臼で、珈琲をガリガリしながら、「まず、道具が石臼(これは、少数派?)だし・・」
というと「ふむふむ」と頷かれ、「道具も簡素やけど、材料に水を加えるだけの、簡素なもの、ですかね」
と返答した。それでに、どちらも蘊蓄を語りたくなる世界、言ったものがちが、大きな顔して跋扈している世界でもある。

「なして、そげなことを質問したくなったとですか?」(彼も九州人なので、「九州弁」で質問)したら、
「湊かなえさんの『リバース』というミステリーを読んでいたら、そばと珈琲の話が中心になっていたので、ふと、
天真庵さんに聞いてみようと思った、と。」のこと。
読んですこし後味が悪い「イヤミス」とかいう言葉さへうまれた彼女の小説。昨日読んでみた。
確かに、不思議なイヤミスもあったけど、珈琲とそばが、こんなに見事に小道具になった小説ははじめてだ、
という心地よい後味もした。感謝。