100人ごえの「味噌作り」も、最終コーナーをまわって、数える
ほどになってきた。大きな寸胴も、きれいに洗って、干して、大きなビニール袋にしまって、
来年まで屋根裏倉庫でお休み。
一番大きな寸胴(ずんどう)は、開店したばかりのころ、知らない女性が蕎麦を手繰りにきて
帰り際に「私、銀座でパスタ屋をやっていたのですが、先月閉店して、パスタをゆでる寸胴を
家にひきあげたのですが、よかったらこのお店で使っていただけませんか」という。
蕎麦をゆでる寸胴は、池袋時代からもっていたので、すぐに必要はなかったけど、何かの縁だからと思って
「使わせてもらいます」といって、頂戴した。
その次の年あたりに、「味噌作り」が始まった。最初の年がひとり。次の年が6人。その次の日が10人・・・
そんな感じでゆっくり優美に広がっていた。マーケティングの世界に「100匹目の猿」みたいな原理がある。
ある島の猿が、さつもいもを洗って食べるようになる。「いいね」と、仲間うちで広がって、100匹を超えた
ら、ほかの島や、本土の猿たちにも、広がり、どこに住む猿たちもみなさつもいもを洗って食べるような現象。
そんな風になり、その寸胴たちが大活躍をし、6年くらい前から100人以上の人が味噌をつくりにきて、
うちだけでなく、いろんなところで味噌作りが盛んになっている。
世界の平和も、そうあってほしい・・
銀座といえば、行きつけの骨董屋が何件もあり、休みになるとでかけて、いろんな骨董を買い、
そのほとんどが能登に移住した。「買ってくるぞと勇ましく」通った街だ。
「銀座の奇跡」みたいな骨董屋の主人たちも、みな80代になり店を閉じたり、人生を閉じたりするように
なった。
でも昨年は、押上から3年前に銀座に移転した「隕石直売所」が、二店舗目を松屋の裏あたりにつくり、
そこで珈琲も供している。そこの珈琲豆は、不肖のむらが炭火で焙煎している関係もあり、そこのスタッフも
味噌作りに参加した。新しい「隕石珈琲グッズ」も、この春にあまたできてくる予定だ。
明日は、筆子さんご用達の銀座のめがねやの関係者が味噌作りにくる。
「銀座のパスタ鍋」が原点で、銀座のひとたちがその鍋で、自分たちの命の素をつくりにやってくる。
昔から「因果応報」とかいうけど、「つながり」という縁は妙なものである。天恩感謝の日々。