天真庵のHPに「二十一世紀の喫茶養生茶 還元くん」みたいな部屋がある。
ただの陶器の瓶、みたいだけど、ただではない。定価26000円也。
ただではないけど、ただものでもなく、魔法の瓶で、電源もいらず、機械的な施しもしていない。
毎朝、星野村(別になんのお茶でもいい)の玉露を5グラム、紙のお茶パックに入れて、
40度のお湯を、瓶の肩までいれると、「水素茶」ができる。そして、自分の身体も水素を発生する魔法の瓶に!
こんな風に書くと、なんとなく通販やCMの大袈裟な表現と、その向こう側の「え、ウソでしょう」
みたいな世界が広がる。
昨年の夏、梅の季節に、お店に浄水器をいれた。能登で毎月10日暮らし、帰りに七尾に
ある「藤瀬霊水公園」で、不思議な霊水を60Lほど汲んでから、東京に向かう。
蕎麦を打つときは、約半分は水。珈琲を淹れる時は、九分九厘が水。それを能登の霊水にしている。
梅の季節は、能登から梅を100K以上車に積んでくる。だから水のタンクを入れるスペースがないので、
友人の会社に頼んで、浄水器を設置した。その時に「おまけ」で、魔法の瓶「還元くん」をもらった。
さっそく、毎朝飲んでいる星野村の玉露を、魔法瓶にいれて飲みはじめた。
夏の暑い時に、旬の梅ジュースなどが体に染みるように、できあがった「水素茶」を飲むと、
美味しい酒を飲む時に、のどがグビグビ鳴るような感じで、いくらでも飲める。
一週間くらいすると、汗や排泄物の匂いが無臭に限りなく近づく感じを体感。
気持ちも軽く、こころなしか体も軽くなった気分で、毎朝の徘徊散歩の距離ものびる。(別に徘徊度がすすんだわけでもないのに)
そして、体もひきしまり、何年かぶりに、体重が70Kを下回った。
立ち仕事なので、血液の循環が悪くなり、ひざ下に血液がたまり、夜足がつったり、下肢動脈瘤になったり
しやすい。それが、水素茶を飲みはじめて、一度もつらなくなった・・・・
いいことづくめ・・で、周りの人、とくにヨガの人や、いろんな感性がいい人に広がっていった。
そして、今月は毎日のようの「菌活女子」(男子も一割弱いるばってん)が、手前味噌をつくる。
彼女たちにも、「還元くん」が、広がりはじめた。
その矢先に、半年ぶりに夜中に足がつった。「寄る年波か・・」
となかばあきらめていたら、一週間ほど前に「還元くん」を買っていかれた女子が「お茶が水素茶にならない」
とメールがきた。
ネットで、水素茶の値を計る計器を買い、自分ちの魔法瓶に入れてみた。夏から秋までは、たぶんマイナス500近く
になるお茶が、マイナス100くらいを右往左往している。
マニュアルを読み直したら、「部屋の温度が20度以下だと、水素茶はできない」とのこと。
昭和20年、東京大空襲で焼けた後にたてた築75年を超えた木造住宅の天真庵。
ペレットストーブ、アラジンストーブ、能登の炭の、三点セットでフル活動しても、15度以上に
ならない。さっそく、魔法瓶に毛布をまき、プチプチの袋に入れ、コールマンの小型のクーラ袋に
入れて、12時間まった。昨日の朝、水素茶をはかったら「マイナス500」になった。
このお茶のすごいとこは、電気仕掛けの「水素水」とは違って、弱酸性であるので、臓器に負担が
ないのと、自分の身体の中も、魔法瓶と同じように、水素を発生するようになる(本来の人間の身体はそれが普通だけど)
ことだ。詳しい説明は、HPにのせてある。いろんなところでネット通販しているので、どうぞ。
ちなみに、天真庵で買うお客さんには、星野村のお茶・紙パック・元気シールを一枚プレゼント(笑)
そんなわけで、昨日あたりから、また「水素茶」を飲むようになり、体も軽くなり、毎日が
「日々是好日」になりそうだ。
昨日も、ジョギ(女義太夫」の人たちが、味噌作りにやってきた。着物を来て、三味を弾く姿もべっぴんさんだが、
味噌をつくる手つきも女らしくて素敵だ。
この界隈は、昔から花街に近く、三味線を弾く音や、それを手入れする木賊(とくさ)が、庭や家の前に植わっていた。
今は昔。秋葉原で会社を創業した昭和の終わりころ、取引先の人をつれて、よく向島の料亭で飲んだ。
縁あって、2007年に向うから見ると、「川むこう」の押上に引っ越し、座敷芸の「かっぽれ」などをやりながら、
この街を楽しんでいる。無駄なことを、断捨離したり、排除したりする風潮がはやりだけど、「遊びの中にこそ文化がある」
と思う。ここ天真庵の町名は「文花」なのだ。
明日の朝は「卵かけごはん」
ずっと休みがとれないので火曜日は「味噌休み」で、火曜水曜木曜日と三連休をいただきます。感謝。