味噌作りが始まり始まり・・

今年の味噌作りが始まった。
この3年くらいは、100人超えの人たちが、手前味噌をつくりにやってくる。(毎日、3人くらいやってくる)
オミクジがたるような名前のシンコロが猛威をふるっている。
「家族がかかった」「子供が学級閉鎖になり」・・など、スケジュールの変更やむなき、
なことがいきなりおきている。でも、家族の「健康」の真ん中にでんと鎮座しているような味噌。
いろいろ工夫しながら、スケジュールを変更したり、「まるなげ」(ぜんぶ天真庵でやる)に変更
したりしながら、のやりくり。「なんとかなるさ」だ。

昨日のお昼、大豆をいれた寸胴をストーブの上で、ことこと煮ていたら、玄関があき、お菓子の箱をにぎった
手だけが、ニューと入店。「?」と近づくと、近くで、名前も看板もないカフェをやっておられる80歳のおばあちゃん
が立っていた。「コロナになったらいけないので、これだけお邪魔します。故郷のお菓子」とのこと。
彼女は、福井県出身。86歳になる実の兄が昨年末に旅立った。彼が趣味でつくっていたトマト「越のルビー」
の味は忘れがたい。亡くなる二日前に撮られた写真を彼女のスマホで見せてもらった。気骨ある北陸人に
思わず手をあわす。

お菓子は、「水羊かん」(有)えがわ。
能登の梅茶翁のすぐ近くに「マルガジェラート」という有名なジェラートやの本店がある。
冬でも、遠くから車できてジェラートを食べておられる。ぼくは、春一番にでる「ふきのとうのジェラート」
を冬眠からさめた熊よろしく食べるのを、楽しみにしている。
北陸の人は、冬でも、アイスクリームとか水羊かんを食べる、という
を発見したのである。南国育ちの小生、最初はびっくりしたけど、今は同じように食べている。

「水羊かん」は、丁稚(でっち)羊羹といわれていた。幼いころ、口べらしと手に職をもつために、
京都や大阪や東京に丁稚奉公にでかけた子供たちが、正月に帰ってくる。そんな彼らのねぎらいの意味で、母親が
水羊かんをつくり、囲炉裏端などで、団欒していた時のなごり。
そんな歴を思い浮かべながら、水羊かんを食べた。滋味深い味がする。

福井に住むもうひとりの兄さんが「そろそろ、こちらへ帰ってこないか」といったらしい。
迷わず「東京で暮らす」と答えたそうだ。理由が「ふるさと、というのは場所ではないのよね。ひとなのよね」
とポツリ。いい得て妙だ。
ほとんどの人が生まれた土地を離れ、都会に出稼ぎにくる。そこで出会った仕事や人とのつながりや、
帰れない事情があって、帰れない人が孤独死をしたりするのが当たり前になっている。「無縁社会」という
らしい。なんとも味気ない呼び名であるが、自然の摂理でもある。みなひとりでオギャーと生まれ、ひとりであの世に帰る。
彼女は、毎朝近所の認知症のおばあちゃんの朝ごはんを運び、食べさせ、薬をのませ、自宅にもどると、
常連のおばあちゃんたちのモーニングサービス。その後、また認知症のおばあちゃんと散歩。
散歩が終わって、かたずけが終わると、美容院にいったり、病院にいったり、美術館やカフェにいったり
するのがならわしで、週に二度か三度、天真庵で「ほぼぶらじる」を飲みながら談論風発。
彼女のまわりには、ふるさとにはない「ひと」が、いっぱい待っているのだ。「人生いたるところに青山あり」だ。感謝。