2007年の4月1日に、池袋から押上に天真庵を移した。
来年は15周年になる。そのころ小学校に通っていた近所の子どもたちも、
「成人しました」とかいって着物姿で珈琲を飲みにきたり、このお店で出会った
カップルの家族が増えたり・・・大人の15年は、白髪がふえた、足がいたい、腰がいたい、ハメマラが云々・・
とかだけど、子どもはしばらくあわないと、みな刮目してあうべし、と👀をパチリとさせられることが多い。
昨日は、天真庵の椅子や玄関などをつくってくれた般若くんの娘たちから、クリスマスのメッセージが届いた。
今日は「風興の会」といって、原田先生が教えてくださった花の会の会報誌をつくっていた武内由希子さん
が突然風のように召されて4年目になる。まだ50代やった。
天真庵がまだ改装中のある日、おかまのMくんが差し入れ持参でやってきた。
「ここで、お花の教室をやらない。すごい先生を見つけたの・・・東京で稽古場を探している・・」とのこと。
翌日に、おかまのMくんと、九段の喫茶店で待ち合わせをして、武内さんとあう。
そして、9月から原田先生が月イチで、山口の宇部からお花を教えにきてくれるようになった。
N響の人やピアニスト、アーティスト、料理人・・・多士済々の人たちが、集まって季節の花を生ける指導をうけた。
天真庵のメニューの中に、その時のことを書いた会報誌が残っていれてある。
風興の会の同心、「おかまのM氏」(実際には、本名が書いてある)のご縁で、2007年9月に
原田先生のいけばな教室がスタートした天真庵。実はいけばな教室が開講した、ほんの数か月前に池袋から
墨田区文花の地に越してこられたばかりという絶妙なタイミングで出会いは実現したのでした・・・(略)
「『和楽』2004年5月号に池袋時代の天真庵の記事が掲載されたことがあり、ちょうど原田先生の
師匠・岡田幸三先生の立花が掲載されていて、いつかこんな花を習ってみたいと思っていました。
不思議なご縁ですね」という筆子さんのコメントも残っている。
風の時代になった、とかいわれる。昔から風興、とか、風狂という言葉が使われる。
花鳥風月の中にも、目には見えない「風」の文字。
この二年で世の中の仕組みや、生活の様式や、いろいろな勝手がまったく違う世界になってきた。
風流にいきる「ゆとり」が、だんだん薄れていくような流れではあるけど、
自分で風を吹かせ、その風にのっていくように、飄々と生きていきたいものである。
たとえ、どんなに小さな微風であっても、「自分流」がここちよい。感謝。