今年は異常気象のため、毎年頼んでいる自然農の九州の大豆がほぼ全滅やし、自分が
つくっている鼠大根も昨年よりでぎが悪かった。自然のことは
人間がああだこうだいったって、あちらさまのほうが偉いし、天地自然の理に利がある。
こちとらちっぽけな人間としては、「ありがとうございます」と感謝して通るのがいい。
ご近所の居酒屋「酔香」の店主・すがちゃんが、いぶりがっこを
もってきてくれた。やはり今年は不作で、「はやいもんがち」の様相になった。
彼は立命館の3つ後輩で、ぼくと違って優秀な成績で卒業し、大手出版社の編集長を
していたが、50歳を期に早期退職して、うらぶれた十間橋通りにお店をだした。その勇気と行動力と努力に脱帽する。
日本の社会は、「会社」に属していないと、給与も失業保険も年金も・・つまり
この国で生きていくセーフティーネットから外されるシステムになっている。
「野に下る」というけど、世間からは「くだらない」という冷ややかな目の中で生きていくしかないのだ。
でも「会社人間が幸せか?」というと、さにあらずが大半のようで、ぼくのところにも、「会社やめたい人間」
がよく相談にこられる。そばや珈琲のお弟子さまたちも、ほとんど会社に属しておられるのが現状だ。
「死ぬ気になったら、そばやでも珈琲屋でも、居酒屋でも食堂でも喰っていける」と叱咤する毎日。
ぼくは、幼稚園も大学も中退で、しかも「会社」というところに属したことがない、いれてくれる会社もなかったと
(正確には、ソフトバンクという会社が、まだ日本ソフトバンクといった時代に一年間だけ社会人らしきことを経験したばってん)
そんなぼくも、今月から「年金」が入るようになった。65歳。でも日本年金機構さまから
「70歳からの需給にすると、得します・・・みたいなスマホ(ぼくはガラケーですが)
プランみたいなラブレターがきた。そもそも自分が払ってきたお金を、予定通りに返してもらう約束
が債務不履行になりそうな気配・・
この手紙の内容からして、年金制度がそろそろ限界にきていることがうかがえる。
迷わず、「65歳からもらうばい」と返事した。
ほとんど自営の人は、「国民年金」に入っている。名前は日本国家を代表するような立派な
名前だけど、毎月16000円を40年払って満額(家のローンに比べたら楽?)になるけど、
毎月もらえる額が65000円。これだと、東京や大阪のみならず、田舎にいって暮らしても、
厳しいな~。でもこれから後の人たちは、きっとどちらの年金も、破綻しているかもなんばん。
でも会社をこれから辞めよう、という人は、おおいに結構だし、ぜひ決行してください、といいたいけど、
ちゃんと、そのへんのところや、保険(これも、会社があるから、セーフティーという仕組みで、会社を
辞めた人は「国民年金」に加入するしかないばってん、保険料が高く5世帯に一世帯が滞納し、いざ病気になっても病院にいけない、という現実)
のことも頭に入れて、会社を辞してくだされ。な~に、飛び出したら、飛び出したで、なんとかなるもんだし、
「人間って、こんなに自由なんだ」という基本的人権の原点みたいなものが、体でわかる。
それに加えて、コロナで経済がとまり、国がばんばんお金を印刷して、いろんなところに「給付金」という名前の
ものをくばりまくっている。昔習った「社会」の本には、「そげんこつになったら、その後インフレとかハイパーインフレがやってくるばい」
みたいなことが書いてあった。これからまた税金とかが高くなりそうな気配。
高齢者社会になって、新しい資本主義がどうじゃらかあじゃら、よくわからないことを新しい総理が
説明しているけど、スマホ(しつこいけど、ぼくはガラケー)の割引プランや乗り換えプランみたいで、
いくら聞いてもチンプンカンプン・・
やっぱり、我が国そのものが、後期高齢者みたいなもんになって、おぼつかなくなってきているんだと思う。
そんなわけで、この国は「会社」に依存し、わたしたちも、そんな国を頼りになるもんだという「妄想」を抱いてきた。
そろそろ「現実」を見極めながら、自分たちの未来を切り開いていくしかない。来年はそんな年になるのではないかな~。
そんなことを思いながら、昨日はすがちゃんがくれたおまけのいぶりがっこをポリカリしながら、遊穂(ゆうほ)を飲んだ。
ポリカリするイブリガッコの音も、年年歳歳、すこしトークダウンしてきた。
来年は老体を鞭打ちながら、世界初だと勝手に自負している「ノマド型七輪焙煎」をガラガラやりながら、旅を続けよう
と思う今日このごろ。感謝。