今日10月2日は豆腐の日(10とう2ふ)

昨日、台風の雨の中、お昼そうそうにずぶぬれの青年が
きて、蕎麦を手繰っていった。まだ20代そこそこなのに、そばの
手繰りかたが絵になっている。「いいね」とほめたら、「生まれは東京で、蕎麦
は大好きなのですが、しばらく仕事で埼玉に住んでいて、今月からまた東京にもどって
きたので・・・」みたいなことをいう。
「仕事は?」ときくと、「水を売っています」とのこと。「ぼくといっしょだね、水商売・・」
というと、笑った。巣ごもり需要で、お水のサーバーサービス?が伸びているらしい。
蕎麦も珈琲も、還元茶も、能登の霊水を汲んできてそれで作っている。そして、ぼくたちの身体の
70%くらいは、水で構成されている。とても大事なものだ。
これから「水」も「空気」も、お金を出して買う時代になるね、いやもうなってる。

こないだの水曜日の休みに、神保町の古本屋を徘徊していると、別冊太陽の「木村伊兵衛」(人間を写しとった写真家)
を見つけて買って、近くのカフェで読んだ。
向島百花園の庭に佇む文人・久保田万太郎の横顔の写真がいい。ときどき百花園の主人も蕎麦を手繰りにこられるし、
娘さんは玉ちゃんの三味線のお弟子になって、天真庵で発表会などをやったこともある。昔から文人墨客が
通った場所である。

昭和50年時代・・の京都。
比叡山登り口にあった料理屋にいくと、秋から豆腐桶に備長炭を忍ばせて、湯豆腐がでてきたりした。
織部の蓋つきの燗鍋(かんなべ)もセットされていて、湯上りのような人肌の「名誉冠」などの伏見の女酒を
飲む秋の風情は、筆舌を超えた世界だった。その織部の燗鍋に

湯豆腐や 持薬の酒の一二杯

と書いてある。昔祇園で活躍した女将が「お江戸の人やけど 粋なおひとどすな 久保田万太郎さん」
と田舎からでてきたばかりの青二才ののむら青年に教えてくれたことを思い出した。
後日、そのお店でリクルート関係の人と酒を飲んでいた時、創業期のソフトバンク(その当時は日本ソフトバンクといった)
の記事を紹介してくれて「九州からすごか(その人は熊本のひとやった)ひとがでたばい」といった。
「これ、ぼくの小中の後輩ちゃ」と真顔でいうと、「そげん冗談ばいってから・・・」というので、女将に
頼んで、お店の電話(当時はまだスマホがでていない)から「日本ソフトバンク」にかけて「やっさん、もとい、孫さんはおらんと・・?」
でつながり四方山話をし・・・・次の週に、東京の市ヶ谷の東郷公園の横にあった倉庫と会社が一緒くたになったような
場所?で再会し、それから一年くらい商品部ちゅうところに在籍し、バイヤーというヤバイ仕事をした後独立して、しばらくコンピュータという大いなる「水商売」に携わってきた。
そして、50歳になった時、足を洗って、またもとの水商売にもどり、世界中を旅してきた生豆たちの足を能登の霊水で
洗い清め、炭火でゆるりと焙煎をするような日々をおくっておりまする。人生ぐるぐるまわるね。いつも酔っているみたい。感謝。