今日は、「敬老の日」だ。カレンダーには、動物愛護週間とある。
あまり知られていない・・・マスコミには、放送禁止用語?みたいでもあるし、
動物愛護にも違反するし、ましてコロナ禍で、こんな奇祭ができるわけがないけど、
熊本に、昔から敬老の日に催される不思議なお祭りがある。
立命館大学時代に、なぜだかクラスに熊本の名門高・濟々黌(せいせいこう)高校、という気骨のある校風の
卒業生が何人もいた。バンカラもいいところで、酒はよく飲むし、酔ったら殴り合いをする、なんて日常茶飯事やった。
ある日、ぼくが「もう少し思いっきり殴れるように、今日は拳にタオルをまいて、ボクシングルールで
いこうや」と提案して、仁和寺近くの古い3階建てのアパートに住む、濟々黌のOBの人たちと、
酔狂のボクシング大会をやったことがある。ぼくは小倉生まれで、ケンカには少し自信があって、
何人かをKOしたところまで、覚えていたのだが、朝起きると、顔がはれ上がっていた。
「どうしたんだろう」とKO負けしたボクサーみたいに「?」な感じでいたら、横に
素面の松村くん(やはり濟々黌 でも下戸)が涼しい顔していた。
「きさん(おまえ)、いつからおるとや」と聞くと、「ふらっと来てみたら、みんな酩酊してボクシングばやっとたけん、
途中参加したと・・」と。「顔が無傷やん」と言うと、「みんな酔っとたけん、ガードは下がっとるわ、
動きはにぶかけん、ボコボコにくらせた(くらす 殴るという九州弁)」
その後、縁あって、松村くんは、わが社のコンサルタントになって、貢献してくれた。ばってん、
その若き夏の日の「こすさ」がどこかひっかかっている。
そんな縁もあり、熊本には昔から友達や、提携先があった関係で、敬老の日の「ぼした祭り」
は、かかせない行事やった。
「ぼした」というのは、「加藤清正(熊本の大名)が、挑戦を滅(ぼした)、という凱旋の祭りが起源
だ。こんな悪しき「ことだま」を冠にするような祭りが、NHKだけじゃなく、ニュースにでる
ことは、なかろうもん、っちゃ、だ。
昔は、馬にも酒を飲ませ、蹴られて人も死ぬし、祭りの後は馬も殺された。
残酷な話だけど、居酒屋にいくと「熊本といえば馬刺しやね」と平気で食べているのが、「いまのひと」だ。
もうひとつは「ぼぼした祭り」が、命名の由来。昔「ボボブラジル」というプロレスラーがいた。
ボボ、というのは、九州弁で「あれ」のことを現わす方言やけん、九州人は恥ずかしいけん「ポポブラジル」
といっていた。そして、今、そのなごりで、天真庵のブレンドのことを「ほぼブラジル」という。
ちゃんとした、歴史というか時の「ながれ」がある。
時代がかわり、「ぼした祭り」は「藤崎宮秋の大祭」と名前がかわり、お酒を飲んだり、
放送禁止用語をおらぶことはできなくなったばってん、このお祭りには、
「とりつかれる」「憑依する」・・・お祭りの原点があるし、このお祭りを体験すると、
加藤清正を今でも愛し、西南の役では不利な西郷さんを応援しながら死んでいった「肥後もっこす」
の魂みたいなものを感じる。
ぜひ、暇な人は、YouTubeで「ぼした祭り」を見てくだされ。
ビールや酒を飲みながら見ると、「みえないもん」が見えてくるかもなんばん。
でもけっして、今日は馬刺しを酒肴にしてはなりませぬ。感謝。