東京からお蕎麦と珈琲豆をもってくる。
能登を留守にする間、夏は畑の草刈りをしてもらったり、
冬は雪かきなどをやってくれたりする畑と家の、それぞれお隣さん。
「いつものお礼」のつもりでもっていく。でもいつも驚きの「ぶつぶつ交換」の倍返し。
大きなスイカ(畑でとれた)がふたつ。冷蔵庫のない時代、井戸水を汲んで盥(たらい)で
冷やした時代に絵になった大きなスイカ。
それに、サザエや畑になっている胡瓜やトマトやナス、ゴーヤ、トコロテン・・・・
昨日釣ったタコといただいた夏野菜で、カルパッチョをつくる。
タコの足は、そのまま刺身。地酒の竹葉が、グブグビ鳴りながら喉を嚥下していく。
能登門前の豆腐を奴。家の畑から、茗荷と長ネギを調達して薬味にする。
東京では「豆源郷」の豆腐をよく食べる。企業秘密?かもしれないけど、そのにがりは能登産。
もちろん大豆に一番気をつかっているけど、桃源郷でしか味わえないような豆腐。
でも、能登の豆腐は、どこもにがりが能登産であるし、大豆もおいしいので、桃源郷気分を
味わえる。人間の体は75%が水。水と塩(にがり)がしっかりしていれば、
ふたりにひとりの割合になりつつあるガンや、成人病や、心配な心肺機能も羅病する確率
がぐっと低くなるような気がする。「水 塩 空気で、みんな元気」
今朝は、北陸独特の演歌が似合うようなどんより雲で、雨も降ったりやんだり・・・
でもいつものように、unaバッグをショルダーにかけ、麦わら帽子、富夢さんが描いた「ふくろうTシャツ」
に短パン姿で、海にいく。
昨日も鼻歌に、演歌ではなく「真夏の果実」を口ずさみ
ながら、タコヤンをズル引きしていたら、歌が終わるまでに、大きなタコが釣れた。
今日も縁起担ぎで同じ歌を歌っていた。♪マイナス100度の・・のところでタコヤンが消えた!
あちらも必至で、海底の岩に8本の足の吸盤をはりつかせ、なかなか手ごわい攻防のすえ、
あわび?をかかえたまま、岸壁の母ならぬ、タコになった。かもがネギをしょってくる、みたいな
話だが、あわびではなく、そんな大きさの石だった。
筆子さんが、デジカメに撮り、インスタとかいうのにするらしい。
ぼくは朝飯前に、米ぬかをつかって、ぬめりをとり、ゆでだこをつくる。
生きたタコを調理するのは、都会の料理人にとって、たこがれ、いや、あこがれやと思う。
昨年は、13匹釣った。今年も一匹釣ると、終わりにしているけど、昨年を上回るペースだ。
「タコ焼き」では、新しくないので、海辺の家で、たこがれ(タコのガレット)のお店でもやろうかしらん。
朝まずめにタコを一匹釣る。そばを一回(15人分)を打つ。
メニューは、能登の梅おろしそば、タコガレットのみ。
売り切れじまいにして、夕方は夕陽を見ながら、好きな音楽を流し、雑魚をつまみに
地酒を・・・看板も電話もお店の名前もない。人は「ざこや」と呼ぶ。店長もときどき変わる。
でもけっして「マスターの過去を聞いてはいけない」がルール。
そして、ときどき、梅仕事や釣りの弟子たちがきて、車座になって酒を飲み、その後は雑魚寝。
明日からでもできそうだ。縁ある人たちが、和になっていけば、場所もお金もいらない。まさにどこでもそこは桃源郷。
若いころの「真夏の果実」は、後戻りができない、いや、けっしてもどりたくない、
少し脚色された刹那な甘美、みたいな味がする。林住期(りんじゅうき50から75歳)
の成果物は、素の味(味の素の真逆)、すこし艶冶で、ゆっくりしたゆとりみたいなものが含まれていて、「生きていてよかった感」
に満ちている。まさに、人生の黄金期、若いころには味わえなっかたアクメがある。「こころひとつのおきどころ」だ。