夏休みの能登

台風の影響か、いつも仮眠をとる松代あたりの夜の温度が29度
あった。しかたなくもうしばらく先の黒姫山なんじゃらのパーキングまで
いってやっと26度。普段の夏なら20度前後で避暑にきてる爽快感があるけど、
少し暑い。トイレの近くの草むらでは「くつわむし」が、鳴いている。
この世で一番風情のない虫のすだき。すだく、というより、おらぶごた~(おらびたくなるような)。

氷見の「すしのや」で、朝昼兼用のランチを食べて、鉛色した能登路を走る。
和倉温泉の「総湯」で、禊のような温泉で汗を流し、「どんたく」という地元のスーパーで、
一週間ぶんの食料を調達。といっても、シマノのクーラボックスに、そばやそばかすや、カレーや
叉焼・・・お店の冷蔵庫の中のものを、いっぱいいれてくるので、昨日の買い物は、豆腐一丁、パラダイス酵母(無限シードル)用の
100%リンゴジュース2本、と「能登」という地元の雑誌を買う。2000円弱。どんたく専用のクレジットカードに
あらかじめお金はキープしてあったので、ぼくの財布はGパンの中で静かに眠っている。そして能登にいる限り、その財布は
どこにおいてあるかもわからない痴呆状態だ。「原始的ぶつぶつ交換」を基本にした自給自足に限りなく近い暮らし。

最新号の「能登」の冒頭に村上春樹が、大学時代に能登を旅して、地元のおっちゃんに「このトマトおいしいから持っていきな」
といわれ、もらって食べた話が紹介されていた。ぼくも昭和51年の夏に京都から能登へ旅したことがある。
その時はトマトはもらわなかったけど、おいしい空気に感動し、東京にいってからも、毎年のように能登を旅するようになり、
3年前に古民家を買って、その家を改装しながら月の10日は能登で暮らすようになった。東京の荷物を能登にもっていき、能登
の倉庫にある器や本などを東京に運ぶ、往復ビンタのような引っ越し作業が3年続いた。やっと荷物が減り、能登からの帰りの車には、
「能登の霊水」の20Lタンクを3,4本詰めるスペースができた。その水で、珈琲やそばを打ち、一日二回、星野村の玉露で
「水素茶」をつくっている。現代版の「北前船」だ。今回は偶然、読みかけの「1Q84」(村上春樹 新潮社)を三冊もってきた。

明日からしばらく天気予報が☔マークなので、今朝は5時に起きて、ビニールゴミをだし、ウナバッグをショルダーにかけ、
タコヤンをもって海へ・・
途中草刈りをする漁師さんに「まだ台風の風で波があるので、注意せんとね」と諭され、「はい」と答えたけど、
躊躇することなく、海へ・・
波が強く、漁港の湾内の海水も濁っていて、ビタミンカラーのエビの疑似餌・タコヤンも、よく見えなかったけど、
5分くらい「ずる引き」していたら、そのタコヤンが突然視界から消えた。タコが覆いかぶさったのだ。
ゆっくり呼吸をして、左手をリールのあるところから先50cmくらいのところにやり、右手をテコのように使い、
「えいやこら タコやん」とばかりに、竿をあげると、元気なタコがあがってきた。
朝飯前に、そのタコを米ぬかで丁寧に洗い、ひとつまみの塩をきかせた鍋の湯で、ゆでだこにし、その炊いた汁で、
具だくさんの野菜の味噌汁をつくった。

ヨッシーからメールがきて「娘の生まれてはじめての一人旅 よろしく」というのがきた。
天真庵で出会い、結婚して、生まれた娘に、ぼくが「M」と命名した。その子が小学生3年生になり、
今週金沢から能登の羽咋まで、電車にのって旅をする。
木工屋とビオラ奏者の夫婦を選んでやってきたMは、「うたい」に興味を持ち、作文の文体も
小学生とは思えぬ「はなれ技」を発揮し、まわりを驚かせはじめている。
いつかエッセーでも書く日がきたら、「初めての旅」になるし、「タコ釣りの弟子になりたい」
というので、それにふさわしい舞台つくりに勤しみ、孫のような娘が喜ぶ姿を思い浮かべながら、ほくそ笑んでいる。感謝。

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