奇跡の水 女鳥羽の泉

水曜日、いつものように、ぶらぶらと歩いて錦糸町のブックオフへ・・・
裏道を歩き、錦糸公園を横切って、夏休みで子供たちが遊んでいるのを見ながら、
駅前のロッテ会館の3階にあるブックオフにいく、のが、水曜日の日課になっている。
コロナでどこへもいけなくなった子供たちは、大きな都心の公園に中で屈託なく遊んでいる。

木陰のベンチに座って、かばんの中に入っていて、読みかけの「こころ」を読む。予備校時代以来の「こころ」。
地方から東京にでてきて、書生をやり、田舎の家の親の病気とか、死とか、相続とか・・・
いろいろな「家の問題」が綴られている。新幹線や高速が津々浦々まで整備され、ネットやテレビで
都会と田舎の「差」は一見、なくなりつつあるけど、人が「どこで生きていく そして死んでいく」
という問題は、今も昔も変わりない。今朝の新聞のコラムにあったけど、今の東京で生きていく子供たちは
ある意味、「絶滅危惧種である」とあった。いっけん逆説的だけど、そのじつは、そうかも知れない。

家から徒歩5分の宗像高校に通い、一年間小倉の北九州予備校に通っていたのも、「つい先月」
のような感じ。予備校の食堂の「すうどん」の味も、小倉駅の「かしわうどん」の味も、その「こころ」を珈琲を飲みながら読んだ喫茶店の雰囲気も、
ちゃんと覚えている。あ、という間に、半世紀がいく。「人生は思ったよりもはやく終わる」のを、痛感する。
ここからは、運と健康次第で、黄金期(アクメ)を迎えられるかどうかが分かれる。
先月から、福岡県の星野村の玉露を、不思議な魔法瓶にいれて、「水素茶」にすることを身に着け、実行している。
汗の質感がサラサラしてここちよいのと、職業病のような足のむくみが解消され、錦糸町から、豆源郷で豆腐を買って、
返るという「約一万歩」のコースでは物足りず、浅草に足を延ばしたり、亀戸の骨董屋をひやかしにいったり、
すこし「回春」気分。回春とアクメ・・・チョイスケベは健康のバロメーター。命短し、恋せよ乙女、男も。

その後、文庫ちゃんから電話。久しぶりに帰省したらしく、「松本の銘酒の仕込み水をもっていきたい」とのこと。
早歩きして帰って、その「仕込み水」と、その水をつかった銘酒「女鳥羽(めとば)」をいただく。
彼も「水素茶」仲間なので、お返しに「天神麦茶」というはだか麦茶と、原始的ぶつぶつ交換。
「つながり」が少なくなり、巣ごもりや同調圧力とやら、どこ見ても「ささくれ人間」ばかりになった昨今、
新しいコトを始めることによって、それに波動のあう人たちの輪が、すこしずつ優美に広がっていく。
そんな素敵なことはない。「水」というのは、不思議なメディアでもあり、人の「思い」をちゃんと伝達しながら、
命を紡いでくれる大事なものだと、つくづく思う今日このごろ。感謝。