木曜日、東京にもどる日の朝、
能登は晴れていて、いつものように、タコヤンをもって、近くの海へ・・
未だ5時半なのに、おばあちゃんが、ウェダーをきて、テトラポットで
仕事をしている。あまり知られてないけど、釣りなどをしていて、テトラポットで
足を滑らせて、天国に直行という事故がけっこう頻繁にある。
「おはようございます・・・(足もと気つけてね)」と挨拶しようと思ったけど、
小さなころからの日常、( )の中は、胸にしまいこんで挨拶。
この季節は、岩とかテトラポットにへばりついてる「いぎす」をとっているのだ。
小さな籠いっぱいにいぎすをとったおばあちゃんが、「いつ東京にもどると?」
と聞くので「これから」と答えたら、「これ土産にどうぞ」と、皺だらけの手で一握りの
「いぎす」をもろうた。ウナがつくってくれた「タコ釣り用ショルダーバッグ」の中に、
玉露をいれてあったので、すぐにぶつぶつ交換。
「おばあちゃんは、これどうやって食べるの?」と聞くと、「味噌汁にじゃがいもといっしょにいれるんが、大好物」
だとのこと・・
そんな話をしていると、ピンク色の疑似餌(ルアー)のタコヤンが、日本海独特のどんよりした雲のように、
海面下で黒く覆われた・・・・タコがタコヤンをだきかけた。普通の魚の場合と違って、そこであわせず、
一息おいて、ゆっくり棹をあげる。大きな真蛸がとれた。
おばあちゃんも「おばけみたいなタコね」と笑った。「ほんとばけもんみたい(おばあちゃんに似てない?)」と口から
でそうになったけど( )の中は、ぐっと飲みこんだ。
9時には出発する予定だし、タコはすぐに下ごしらえしなくては、美味さがにげるので、急所(きんたまではない)
の目と目の間に、マキリ包丁をいれて、その場でしめた。
テクテクと釣果をぶらさげて、さつきの畑のところにある倉庫に釣り道具をしまうと、隣のばあちゃんが
箱いっぱいのじゃがいもをかかえてもってきて、「東京のお土産にして」とくださった。おかえしは大好物だという「ホボブラジル」。
イギスとじやがいも(きたあかり)が土産になった。東京が留守の時、となりのおっちゃん(くまもん)が
植木たちに水をあげてくれる。後ろに住んでいる大家さんは、郵便受けの手紙やハガキを毎日とって保管してくれる。
文庫ちゃんも、夕方に水をあげにきてくれる。それぞれに、タコの足2本とイギスとじゃがいもをお礼にもっていった。
これも高齢、もとい恒例になった「原始的ぶつぶつ交換」。
文庫ちゃんのおじいさんは、長崎大学の医学部の教授だった。ので、長崎にも縁がある。
「イギスって、長崎でも食べますよね」というので「そう、あっちはオキュートみたいに、羊羹みたいにかためて食べる」
と答えた。マキリ包丁も、九州を出発点に、日本海側を行き来した「北前船」の遺物、というか文化が化学反応してできたもんだ。
「いぎす料理」も、島根や鳥取あたりでも、今でも郷土料理としてどうどうと残っている。そんなものを、ゆっくり旅して味わう
旅もとても素敵な旅やと思う。ゆっくり、泊まるとこもいく場所もきめずに・・・
夜中に東京につき、少し眠ってから、仕込みにかかる。午後から「お仕覆の教室」があったので、5時くらいまで、
汗をかきかきチーパッパで、焙煎したり、そばの汁をつくったりした。
いつもだったら錦糸町のブックオフまで徘徊散歩・・・が東京にかえってきての日のならわしなのだが、
繁華街は、なんやらいう新しいウィルスが跋扈しているみたいだし、向島のブックオフにいくことにした。
能登にいると、釣りをする隣の港まで徒歩15分。往復する30分の間に、あっても二人か三人のおばあちゃん、
港でタコ釣り名人、漁師くらいだが、さすが東京、あまたの人たちとすれ違う。お店の常連さま、洗い張りやの女主人、
散髪屋のおやじや、うなぎやの女将・・・東京オリンピックをひかえた高揚感みたいなものは皆目感じられないけど、
花のお江戸はやっぱり、日本一の大都会なのであります。
今日は12時から16時まで営業。ほんとうはその後、ジャズピアニスト大石学さんのソロライブだったのですが、
「中止」になりました。感謝。