能登で生きる

そんな小雑誌が手元にある。
3年くらい前にでたもので、能登に移住して、「能登で生きている」人たちに
スポットライトをあてたものだ。そばのお弟子様で、梅茶翁の主「しんごちゃん」
が載った。毎朝、漁船にのって漁をやり、昼間は畑や、梅林の手入れをやり、週末は
「梅茶翁」というカフェを営業している。タフで働きものだ。今年は養蜂にも挑戦。
日本ミツバチが、ふたつ巣をつくっている。今月中に、初のハチミツの収穫祭がありそうだ。

昨日は一緒に、一日野良仕事。午前中は梅林で梅とり、昼は三輪福さんの「そばパスタ」で腹を満たし、
午後に、みんなで田植えをした。スケットに東京から、もうひとりそばのお弟子様と奥様。田圃にお神酒とお塩で禊をし、
手植えをした。
アブやブヨが襲ってきたり、足は田圃の土に靴がとられて、身動きができなくなる。九州弁では「いぼる」なんていうような状態。
みんな童心より、もっと大古、米を作りはじめたころの「縄文人」になりきって、一反強の田圃の田植えを、機械をつかわず、
手でやり遂げた。「やり遂げた感」が体いっぱいになり、その後、みんなで柳田温泉にいき、汗を流した。ビールのうまかこと、筆舌が及ばんとです。のどがグビグビと鳴るっちゃん。調子にのって「竹葉」のお銚子を3本あけた。「生きてる」というのは、こんなことだろうと思う。

風呂からあがって、北國新聞を読んでいたら、「能登町の移住者が49人になった」という記事。
やはりコロナの影響で、都市に住む若者たちの移住が顕著になっているみたい。
スケットにきた二人に「きみらが来たら、51人になるぜ」といったら、目が輝いていた。
ぼくらは、反対ガシの志賀町というところに移住した。おもしろい家に縁があったので、そのような結果に
なったけど、能登町役場の人たちにもずいぶんお世話になった。珠洲も人気の「移住先」だが、
「能登に生きる」という目標をもった人には、「まず能登町役場にいってみたら」と進めている。

今朝は近くの海でタコ釣り。今年3尾めのタコを釣った。
まさに朝飯前に、能登前のタコを釣る。これから朝飯を喰ったら、梅仕事。
「何をしてなりわいをたてる」という次元で頭で考えていると、地団駄を踏むことになる。
新しいこの時代は、無目的で、ただ「生きる」というだけで、なんとかなる、そんな時代になった、
とまじめに思っている。好きなこと、これをやってると魂がウキウキする・・・そげなことを
おひとりおひとりが、やっていけば、「それでいいのだ」と思う。

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