「能登休み」で東京で留守の間、隣のおっちゃん(ぼくよりひとつ下)
が、毎朝ほうきでお店のまわりを掃いてくれ、プランターや鉢の植物などに、水やりを
してくれる。下町人情というか、もともとの江戸の人は親切なもんやな、と感心して
いたら、「くまもん」やった。奥様も同郷で、仕事にけりがついたら、熊本へ帰る予定らしい。
毎月、能登から帰ってくる時は、タコやさざえなど、能登の土産をさしあげる。
そこでぶつぶつ交換が成立しているのに、「熊本からおくってきた」とかいって、
お野菜などをちょうだいすることしきり。まるで、押上くまもと村?
くどいけど、寒山拾得(かんざん・じゅっとく)というのは、唐の時代の人物で、
寒山は深山の岩崖に住み、寒山詩を残した。京都や奈良のお寺などに、ふたりの姿を
描いた屏風がよく見られる。寒山は筆をもったポーズで描かれる。
いっぽう拾得は、お寺に拾われ、寺の庭掃除や、畑をやり、台所で包丁をにぎった。
だからほうきをもった構図で描かれていることが多い。今でいう「典座(てんぞ)」である。
天真庵は、四国で寒山拾得の絵ばかり描いてきた南條正一さんの絵を飾る場として、1996年
にスタートした。その絵のほとんどが能登の天真庵に飾ってある。
今朝も5時に起きてそばを打っていると、その「くまもん」さんが、拾得よろしく、外をはいて
くれる音がし、続いて、ホースから元気にでる水の音がした。
朝散歩する老人が「なんで、隣のお店の掃除や水やりしてんの?」と声をかけた。
少し素っ頓狂な裏声で「ヒマだから」と答えている。
無目的で「ただ」というのがえらい。まさに普賢菩薩の化身だと伝えれれる「拾得」の弟子みたいな人ばい。
近くのマンションで、ひとりで住むおばあさんが、毎日のように珈琲を飲みにこられる。
そのマンションは、お寺の敷地内にあるこのあたりでは古い分譲マンションで、彼女はこの秋、齢(よわい)80歳
になるが、まわりの住民さんたちは95歳とか平均年齢が卒寿を超えているらしい。
そのおばあさんは、毎朝5時におき、かつおぶし(月にいちど築地までバスで買い出し)と利尻昆布
と干し椎茸で出汁をとり、みそ汁をつくる。エレベーターをつかって、まず下の階に住む長老の95歳のおばあちゃんの部屋に、
味噌汁とごはんとお惣菜をもっていき、あさごはんを食べさせ、薬を飲むのを見届けて、自分の部屋にもどる。
すると、いつものメンバーが(気のおけない、それでいて、ごはんがかたい、とか、入れ歯だからトマトは湯引きして、
とか、てんぷらには天つゆより塩、しかも抹茶がはいったのがいい・・とかいうワガママな独居老人たちが3人から
5人)やってきて、朝ごはん。さながら「テキパキババアのカフェ」だ。食後は、珈琲か抹茶。
友達がくれたエスプレッソマシンで珈琲を淹れるらしいが、圧倒的にお抹茶を所望されるらしい
。おばあちゃんは名にしおう裏千家の先生。
その後、リハビリ中の90歳のおばあちゃんといっしょに、
一時間の散歩・・・・というのが日課らしい。大島と押上コースがあるらしい。
「もちろん全部タダ」だと笑う。年金は一年に150万らしく、
ほとんどが、そんな献身的なコトに使われているらしい。なかなかできないことをサラリとやっておられる。
隣接するお寺の掃除もすすんで箒をもって、ボランティア。まさに「典座」であり、寒山拾得の拾得なのだ。
時計の横に飾ってある「生」の筆字を見て、「これひょっとして、いや、間違いなく白井晟一の書よね」といった。
14年そこに飾ってあるけど、いいあてたのは「ふたりめ」だ。
火曜日の二時すぎ、30度を超える暑さの中、そのおばあさんが、トマトを一抱えもってきてくれた。
「福井の兄がつくった『越しのルビー』。今年が最後になるわ」と寂しそうにいった。その越前のお兄様は
ガンで今年のはじめ、余命6か月を宣告された。それでも毎年当たり前にするように、トマトの苗を自前で3万円買い、
育て、成果物は近所の老人ホームにタダでさしあげ、東京でひとり暮らす妹に、ほかの野菜とともに箱いっぱい送る。
「お嫁さんや子供たちには、頑固で厳しい兄だけど、私は目の中にいれてもいいくらいのやさしさで接してくれるの」だそうだ。
休みの水木の二日は、おばあちゃんのお兄さんがつくったナスや胡瓜やトマトなどを、天座よろしく、
精進料理の材料として、調理してみた。むろん、般若湯よろしく、お酒のアテとして、しみじみいただいた。
土の味であり、兄さんの魂が込められた野菜たちに、涙腺と汗腺の隠し味。感謝。
越しのルビー ふるさとの土 兄の汗 南九