今年の梅仕事は5回目になる。
能登に天真庵を結んだのが3年前なので、その前から
やっている、ということだ。石の上にも三年、梅の木の上にも五年だ。
宗像(むなかた)の実家の庭に、松の木が五六(ごろく)本あった。
親父が90を迎えたころ、松の手入れを習って、6月と11月には、実家の松の
剪定を手伝った。2018年の春に親父が入院し、その年は、6月に実家の松を
手入れし、能登の梅仕事にいく途中、勧進帳の安宅の関あたりで、「父危篤」の連絡を受け、小松空港から
Uターンして、福岡にもどった。その年は、梅林ガールたちが梅仕事をがんばってくれた。人生いろいろ・・
その年の8月に父は93であの世に引っ越しをされた。翌年まで、同じように、松の手入れをしたのだが、
主のいなくなった松が、寂しの徒然で、殉死するように一本が枯れ、ほかの木も往年の雄姿からは、程遠いものになった。
昔から「古松(こしょう)は般若(はんにゃ)を談ず」という禅の教えはあるが、庭や盆栽の松は、ちゃんと手入れができる人
がいてこそ、般若の世界に導かれることを知る。
松と梅の話をしたら、ついでに竹の話もしておこう。
山口の宇部から毎月花を教えにきてもろうた原田先生と、8年くらい前、湯河原の「石葉」という旅館
に泊まって、近くの竹林から竹を切り、水を上げるのに、お湯を竹の節に穴をあけて入れる、という秘儀を
教えてもらったことがある。そこのスタッフたちも、毎月天真庵の原田先生の教室に通ってきていた。
まさに「道」である。花は習う、という。でも華道を習う、とはいわない。「道」だ。不思議な縁であるが、そのころ、パリの「YEN」というお店の料理長をしていた長屋
くんも、「石葉」を手伝ったことがあったり、般若くんが天真庵と同じような籐の椅子をつくって、お座敷
に具わっている。無駄のない縁で繋がっている感じ。
その後、パリから帰国した長屋くんが、早川に「ながや」という小さなお店を開いて、7年になる。光陰矢のごとし、歳月人を待たず、だ。
そして、この秋、舞台を同じ早川の一軒家に移し、新しいお店ができるらしい。とても楽しみだ。
池袋の天真庵では、季節ごとに不定期に長屋くんが料理をつくり、久保さんの器を季語のように選び、ぼくのそばで〆る、
という贅な宴を楽しんだ。そのころ彼は吉兆で修行中で、不思議なめぐり合わせで、パリの「YEN」に縁づき、
独立しても、その腕と人柄で、堂々たるお店になった。
だれの言葉か失念したけど、
「死ぬということは 悪いことではない 生きていることも悪いことではない 生きていることを楽しんでいれば」という言葉ある。
「古松は般若を談ず」というのも、そうゆう意味を含んでいるように思う。渾沌として、いつ、だれからみまかう、かわからないような時代。
でも、みんな100%死ぬのだし、人生は二度なし、なので、悔いのない人生を過ごしたいものだ。
明日の朝、もう一度梅を捥いで、そのまま車に積んで東京へ・・・
お店は土曜日から通常営業になりまする。感謝。