魔法のフライパン

お店をやる前から、そんな名前のフライパンを使っている。
15年ちょっと前に、買った。その当時は「注文して一年待ちのフライパン」
ということで、話題になった。三重の会社だったように思う。
魚を焼くのも、焼き豚をつくるのも、餃子を焼いたりするのもそのフライパン。
「魔法のフライパン」で検索すると、きっとでてくる。

昨日もいろいろな人が梅仕事にやってきた。最初は近所の「きなこ棒」のお嬢様。
「これ、できたて」といって、まだ暖かくてやわらかいきなこ棒を土産にもろうた。
その前に、先日のおばあちゃんが、約束どおり「五月ヶ瀬」をもってきてくれたので、
お返しに、お裾分け。ポリカリポリカリな原始的ぶつぶつ交換。

続いて、今年はじめて味噌作りにこられた若い夫婦が、蕎麦を手繰りがてら、梅をとりにこられた。
夫くんがそばを注文した後、外へ・・・「タバコ?」「電話?」とか思っていたら、近くのコンビニで
調達したお茶が10本はいった袋をカウンター越しにさしだし、「お茶です」とのこと・・・
「それはわかっているけど、こんなことせんでもよかよ」というと、「気持ちです」とのこと。
お返しに「いぶりがっこ」をあげたら、よろこんでもらえた。
さっそく「どれにしようか・・」と、ボトルを見たら、「からだおだやか茶」(認知機能の一部である記憶力を向上する・・と説明書きが)
が目について、それを飲みながら談論風発。「土日の混雑時、オーダーが覚えられなくて、ホットコーヒーを3つつくっていたら、カウンター
にいたお客さん『ひとつはアイスですよ』なんて指摘されることが多くなった」といったら、笑っていた。

その後、今年から畑仕事をはじめた珈琲のお弟子様が、でかまらよりでかい胡瓜や、なすび、万願寺ピーマン、枝豆などをもって
きてくれたので、「そばかす」(そば切りでできた半端なそばのカス ガレットの材料になる)と原始的ぶつぶつ交換。

さっそく、枝豆をさっと湯通し、笊にあげて、能登の塩をパラリ・・・夜の晩酌のつまみが一品。
万願寺ピーマン・・・なぜそんな風に名づけられたか、まったくピーマンだけど、竹ぐしで何か所か穴をあけ、
さっと蕎麦粉をふり、例の魔法のフライパンにごま油をひき、ガラスのふたをすると、できあがり、
志野のお皿にのせて、醤油をぱらりとかけると、ごはんにもお酒にもいい逸品ができあがり。

明後日まで梅仕事がピークで、来週の月曜日の夕方からまた能登へUターン。
一番暇な月なので、35年くらい前の会社の設立時に決算月にきめたのが、一番忙しい月になった。
老体に鞭打ちながら暮らしているけど、今朝も到来もののお茶を飲んで元気に蕎麦打ち。
ラベルを見たら伊右エ門の「特茶」。「体脂肪を減らすのを助ける」と書いてある。
昔昔、栄西が「喫茶養生記」なるものを著した。今でも、とりいさんや、いとうずえんや、こっかこーらさんなどに、
栄西さんのDNAを受け継ぐ坊さんが、おるがごとくですね~。感謝。

日本三銘菓って、知ってるよね?

お茶をやっているはもちろん、やっていない人でも、これを知らない
人は、日本人じゃない、そんなことをエッセーに書いた先輩がいた。
「長生殿(ちょうせいでん)」(石川)「 越乃雪(こしのゆき)」(新潟)「山川(やまかわ)」(島根)。
みんな日本海側、お茶の盛んなところばかりだ。「裏日本」なんて、俗な言い方はやめて、「麗(うら)日本」に
したほうがいい?

福井に「五月ヶ瀬(さつきせ)」という和菓子屋さんがある。煎餅にピーナツが入っている普通の煎餅だけど、
永く北陸の人に愛されているお菓子で、石川や新潟の「お土産や」なんかでもよく見かける。
能登の畑には、五月の木がひとつあって、毎年春には野良仕事の休憩に目を楽しませてくれる。
その畑の隣に小さな畑があって、昨年まで85歳になるばあちゃんが、野菜を育てておられた。
今は海辺の家でじいちゃんと仲よく暮らしている。ときどきタコを釣っていると、「釣れた?」声をかけられる。
先日、ひさしぶりにあったら、「これ食べて。私のふるさとのお菓子で大好物なの」といって、「五月ヶ瀬」を
頂戴した。
よく「あなたの畑の五月(サツキ)には慰められています」といっておられた。

昨日も梅仕事、蕎麦打ち、と通常営業が重なって、てんやわんやな一日やった。
そばが前日に続いて、二時に売り切れた。
週に二度はそばを手繰りにこられる女性も、梅そろしそばセット+チーズケーキを所望され、仕上げ
に「玉露をひさしぶりに飲みたいわ」というので、星野村の玉露の新茶を、蓋碗(がいわん)つまり蓋(ふた)つきの
茶碗に淹れて出した。このかたも福井出身で、ときどき田舎の兄からおくられてくる野菜や果物を使って料理をし、
同じマンションに住む独居老人の友達などにふるまっておられ、ときどきご相伴にあずかることがある。
「五月ヶ瀬好きですか?」と聞いたら、「私は好きではないけど、いっぱいおくられてくるので、こんどもってくるわね」
と笑った。季節は過ぎたけど、なんだか五月晴れの気分。

「花のある人」というのは、確かにいるもんですな。
「人に元気をあげられる人は、みな、花のある人」で、そんな人が優美に広がっているように思う。
そんな人たちを見るにつけ「まだまだこの国は大丈夫」やと思う。

これから「卵かけごはん」
今日も梅仕事にいろいろな縁ある人たちがやってくる。感謝。

♪きみは稲妻のように・・

昔、アリスにそんな歌があった。冬の稲妻?
能登では、冬の稲妻のことを「ぶり起こし」という。
稲妻ごとに、ぶりが成長することを起こす、と表現し。それにあわせて漁師が網を起こす、
というのをかけている、というのが有力説らしい。

そもそも、なぜ雷を「稲妻」かというと、雷がドカーンとなると、地表面に約6000万個の
マイナスイオンが発生することが最近わかったらしい。滝の近くにマイナスイオンが多いので、昔から
遠足とかによくいったでしょ。あれといっしょで、雷の後は、空気がキレイで、人もブリにもいいし、
「稲の妻」いうんやから、稲の生育にもいい。日本の米どころが、日本海側にあまたあるのは、雷の
多いことと関係している。

昨日は、ひさしぶりにお店をあけたこともあって、一時間ちょっと、でそばが売り切れになった。
8割が「梅おろしそば」だ。梅茶翁の梅林でとれる梅は美味い。
梅雨、というけど、この季節の雨にうたれるたびに、梅は大きく成長する。
もちろん、梅林にもよく雷がなる。そのマイナスイオンと梅の味にも、お米と同様の効果
があるのではなかろうか。

話は、明後日に飛んで、30年くらい前に、フジテレビの番組で「日本海側になぜ美人が多いか?」
という特集に、でたことがある。「本日は、雷の研究家の野村先生をお呼びして・・」
というんではない。美人のアナウンサーとして、売り出し中の河野景子さんが、その番組をしきって
いて、「雪国の水が肌にいいので」とか、諸説紛々を紹介し、その番組のしめで、スナックのママさん役になり、
彼女の手をさわろうとして、しっぺ返しを食う、という役を頼まれた。当時、フジテレビが曙橋にあったので、
近くスナックで撮影された。正確には、ぼく横にいた友達が、彼女に手をだした。
結論からいうと、ぼくらの映像は、ほとんど映らず、その友達の手だけが大きく映った。
ま、「手タレ」の元祖みたいなもんかな?
話は脱線したけど、北陸に美人が多いのも、「雷さまのいたずら」のような気がする。水素とか電子とか
いう分野はおもしろいね。

今日は各地で雷が発生するらしい。少し緊張がゆるみ、人出が多くなって、また感染者が増えているので、
今日はまじめに巣ごもりがいいのでは・・これも恵の雨。
そして、雷がなると、美人になる、というのは、まさしく女性にとっても、それを愛でる男性にとっても、
大いなる恵なのです。

今日は16時まで
それから「蕎麦打ち教室」かたわらでは「梅仕事」
梅の言霊は、「産みなさい」「新しいことに挑戦しなさい」ということ。
いろいろな意味で、みんな再出発の時やね。がんばろう!

東京は今日から営業。

能登の田圃仕事と、梅仕事で10日間はあっという間にすぎて、
昨日は「お仕覆」と「梅干し・・シロップ・梅味噌つくり」のワークショップが始まった。
味噌と同じく、マンツーマン、正確にはウーマンツーウーマン・・・
夜中の2時くらいにもどってきたので、少し睡眠不足だけど、能登でエネチューしてきたので、
夜おそくまで元気に仕事をさせてもろうた。
田圃の開墾仕事の様子は、「のむら暮らし」にアップ。その田圃の横に、梅林があり、日本ミツバチ
が元気に巣をつくっている。絶滅危惧種の楽園みたいなところ。

来月は、梅仕事の後半戦と、そうそうに「能登で蕎麦会」の仕事も入っているので、7月は5日から「能登休み」だ。

東京に出発する朝、近くの80近くになるおばあちゃんが「今朝、もぐってきた」といって、サザエをくれた。
雑魚さんたちは、捌いて、梅酢を吹きかけ、一夜干しして冷凍にしたので、心配ないけど、さざえは生なので、
昨日さっそく、留守中に水をまいてくれるお隣さん、裏の大家さん、押上文庫くん・・・あたりに「原始的ぶつぶつ交換」
した。残りは今朝の朝ごはん。贅沢な話だけど、能登では、これから毎日のようにサザエを焼いたり、さしみにしたり、つくだにに
したりしている。でも近くの漁師さんたちは、「味噌汁」にするのがならわし。だから、さざえと、「手前味噌」をぶつぶつ交換しているうちに、
アニメの「サザエさん一家」よろしく、毎日家にサザエさんがいるようになった。

押上文庫にいったついでに、お茶のお弟子さまの家にもさざえをお裾分け。
老夫婦といっしょに暮らす彼女が台所にいるものと、勝手に勘違いして、「おい、K」と外から台所のまな板の音を
書き消すように呼びかけたら、お母さんがでてきた。「これ、お裾分けです」と渡したら「能登のさざえでしょー」
と喜ばれた。料理法などを伝授していらたら、妖しい勧誘員でもきたのではないかと、二階からKが降りてきた。
「ごちそうさまです」の後に、「最近、玉露にはまっていま~す」とのこと。
お茶よりもおちゃけ派みたいなKだが、カテキンがまたコロナの予防に一役かっている話題も沸騰し、
毎日家族で玉露を飲んでいるらしい。
「星野村の玉露を、「還元くん」で淹れたら、次元が違う「玉露の水素茶」ができるっちゃ」
というと、「なんですか?」という話になり、そのまんまKを天真庵に連れてきて、不思議で怪しげな「還元くん玉露」を
ご馳走した。帰りに玉露を一袋買っていった。やはり、ぼくは怪しげな勧誘員?     

今日は16時まで。そこから3人の蕎麦打ち。かたわらで、いろんな人が梅仕事をする。濃い東京での一週間。
明日も同じパターンの日曜日。
月曜日の朝は「卵かけごはん」

松竹梅なはなし

今年の梅仕事は5回目になる。
能登に天真庵を結んだのが3年前なので、その前から
やっている、ということだ。石の上にも三年、梅の木の上にも五年だ。
宗像(むなかた)の実家の庭に、松の木が五六(ごろく)本あった。
親父が90を迎えたころ、松の手入れを習って、6月と11月には、実家の松の
剪定を手伝った。2018年の春に親父が入院し、その年は、6月に実家の松を
手入れし、能登の梅仕事にいく途中、勧進帳の安宅の関あたりで、「父危篤」の連絡を受け、小松空港から
Uターンして、福岡にもどった。その年は、梅林ガールたちが梅仕事をがんばってくれた。人生いろいろ・・

その年の8月に父は93であの世に引っ越しをされた。翌年まで、同じように、松の手入れをしたのだが、
主のいなくなった松が、寂しの徒然で、殉死するように一本が枯れ、ほかの木も往年の雄姿からは、程遠いものになった。
昔から「古松(こしょう)は般若(はんにゃ)を談ず」という禅の教えはあるが、庭や盆栽の松は、ちゃんと手入れができる人
がいてこそ、般若の世界に導かれることを知る。

松と梅の話をしたら、ついでに竹の話もしておこう。
山口の宇部から毎月花を教えにきてもろうた原田先生と、8年くらい前、湯河原の「石葉」という旅館
に泊まって、近くの竹林から竹を切り、水を上げるのに、お湯を竹の節に穴をあけて入れる、という秘儀を
教えてもらったことがある。そこのスタッフたちも、毎月天真庵の原田先生の教室に通ってきていた。
まさに「道」である。花は習う、という。でも華道を習う、とはいわない。「道」だ。不思議な縁であるが、そのころ、パリの「YEN」というお店の料理長をしていた長屋
くんも、「石葉」を手伝ったことがあったり、般若くんが天真庵と同じような籐の椅子をつくって、お座敷
に具わっている。無駄のない縁で繋がっている感じ。

その後、パリから帰国した長屋くんが、早川に「ながや」という小さなお店を開いて、7年になる。光陰矢のごとし、歳月人を待たず、だ。
そして、この秋、舞台を同じ早川の一軒家に移し、新しいお店ができるらしい。とても楽しみだ。
池袋の天真庵では、季節ごとに不定期に長屋くんが料理をつくり、久保さんの器を季語のように選び、ぼくのそばで〆る、
という贅な宴を楽しんだ。そのころ彼は吉兆で修行中で、不思議なめぐり合わせで、パリの「YEN」に縁づき、
独立しても、その腕と人柄で、堂々たるお店になった。

だれの言葉か失念したけど、

「死ぬということは 悪いことではない 生きていることも悪いことではない 生きていることを楽しんでいれば」という言葉ある。

「古松は般若を談ず」というのも、そうゆう意味を含んでいるように思う。渾沌として、いつ、だれからみまかう、かわからないような時代。
でも、みんな100%死ぬのだし、人生は二度なし、なので、悔いのない人生を過ごしたいものだ。

明日の朝、もう一度梅を捥いで、そのまま車に積んで東京へ・・・
お店は土曜日から通常営業になりまする。感謝。

夏のおいしいお茶の飲み方

今年は全国的に梅が豊作みたい。
梅茶翁の梅も例年よりはやく実りを迎え、枝がしなるようにたわわに実がなった。
昨日は、40kの梅を摘んだ。汗を流した後、ごはんをアウトドアで食べ、帰りにじんのびの湯で汗を流した。
夕方6時近くになったけど、さすがに夏至。お日様がまだ上のほうにあった。
木曜日に、60kを摘んで、そのまま東京へいく予定だ。

三輪福さんは「夏越しノ大祓(おおはらえ)」(6月26日 桐生市有鄰館酒蔵)のために、上京するので木曜日は3人で梅仕事。

ネットで「還元くん」で検索すると、不思議な魔法瓶がでてくる。「還元低電位水素茶製造ボトル」だ。お茶をボトルに入れて、
40度の湯を入れると、12時間ほどで、還元力(抗酸化作用がある)のある水素水みたいな「茶」ができる、というすぐれもの。
電気をつかってつくるモノではなく、天地自然の理で体にいいお茶ができる。能登にもってきて、星野村の玉露をつかってやってみた。
最初のお茶は、畑にまいて、二回目のお茶を梅茶翁にもっていった。
玉露そのものも、40度から45度くらいで淹れる。それを不思議な魔法瓶に入れると、薬事法にひっかかるくらいすごいお茶ができる。

みんなでそのお茶を飲んでいた時、前日のブログに書いた山本周五郎著の「季節のない街」を思い出した。
長屋の重鎮でで彫金の仕事をする「たんばさん」は、毎朝仕事はじめに、大きな土瓶にお茶を入れ、それをおいしそうに啜る、ところからはじまる。
両手で大事に茶碗をもって、さも大事そうに啜る茶が、おいしいそうだ。こんな「ひとり茶」を楽しめる人生は「ゆたか」だと思う。

玉露を煎れる急須に、日本人は昔から取っ手のない急須を使った。それを「宝瓶(ほうひん)」という。宝が冠になっているところに、
「大切な」気持ちが内包されている。魔法瓶の「還元くん」や「宝瓶」を手に入れるのは、少し勇気がいるけど、それを
日常茶飯のリズムで毎日楽しめるようになると、人生そのものが「宝でいっぱい」になる。
まだまだ、家に閉じこもる生活を余儀なくされそな世相の中、せめて、朝いっぱいの珈琲や、お茶を入れる道具くらいは、
こだわりをもっても、バチはあたらない、と思う。感謝。

今日は梅仕事

今日は、ダンボールと本(雑誌)ともえないゴミの日。
東京よりも、細かく小分けしなくてはいけない。そもそも焼却炉の規模が
違うのだろう。古民家を受け継ぐ、と、掃除が3年かかる、と言われている。
もう三年になるけど、車庫兼倉庫(二階建て)と、母家の横にも二階建ての倉庫があるので、
まだまだ、いろんなモノが残っている。

昨日、家の横の倉庫にある本箱を整理していると、「山本周五郎語録」があった。
その場で読み始めたら、やめられなくなって、そのまま家の玄関まで運んで、一気呵成に読んだ。
作家が、質屋で修行(売れないころ)、たいへんその質屋でお世話になった話がよかった。
井伏鱒二の「珍品堂主人」もそうだけど、昔の人たちは、骨董を、自腹で買い、ときには騙され、自分の体の一部のようになるまで、
使いこなし、「育てる」ような体験をしている。今どきの「これを買っておけば値が上がりそうだ」とか「人間国宝だから」とか
「海外で賞をとった云々」を基準に、まず「お金ありき」で買ったり、みしらぬ国の星云々で、ただ食べるだけで美食家をきどっている輩とは
似て非なる「気骨」を感じる。

その質屋の主人が若き作家によく言った言葉が、実にいいのだ。

「おやじは、よくぼくにいった。わたしはいまお前にできるだけのことをやっているつもりだ。だがわたしが死んだあとで、
さいわいおまえが成功したとしても、残った家族に何をしなくてもいいんだよ。わたしがおまえのような好青年に巡りあえたことは、
わたしにとっても大きな幸せだった。だからお前が一人前になったとき、お前の前にあらわれた好青年にできるだけのことを
やってくれ。それが人間の財産というものだ。」

後日談もあって
「もしも、君の前に現れた好青年のために出きるだけのことを尽くしてやってくれ。もしもその時、経済的にそうは
できない状態であったならば、その心だけは続けてほしい。それが真実の人間の財産というものだ。」

こんな素晴らしい本を、ゴミ出しの日に出さずに、次に住む好青年?に残しておいて天国にいった親父さんに、感謝する「ゴミの日」
もちろんその本は、ぼくの部屋の本棚に鎮座している。またある日、縁のある人が、その本を読んだ時、同じような感動が受け継がれたら、いい。

とよあしはらみずほのくに

漢字で書くと、「豊葦原瑞穂国」 日本はそもそも、そんな風に呼ばれた。
清らかな水が流れ、葦がしげり、みなで協力しながら、米や穀物をつくる。
毎年、梅仕事をする梅茶翁は、能登町の瑞穂(みずほ)という地名のところにある。
すぐ近くに、マルガジェラートという有名なジャラートやさんもある。山紫水明どころ
のような土地だけど、「ゆたか」を感じる場所。まわりに空き家もいっぱいあるよ。

そこの「能登塩ジェラート」が大好きで、それを食べている時ふと、「能登ジェラトン」(隕石粉が入った器)
が、ちゃねって、陶芸家の久保さんに、「うめ星」を皮切りに、勾玉、煎茶の宝瓶、茶碗、酒器、珈琲カップ、ドリッパーまで
いろいろつくってもらった。「能登ジェラート・ストーン」の略。ブリジストンみたいだけど・・
ちんこい「うめ星」を入れた「まろさま」も評判になって、注文がポツポツたまってきた。
三輪福さんの手仕事の集大成、みたいな商品なので、生産が間に合わず、しかも6月は田圃、梅仕事、それに彼女の
アートイベントも始まったりして、「すいません。しばらく待ってて」状態。
「これが切り札です」というワクチンみたいに、切羽詰まった感がないので、しばらくお待ちください、
人類がコロナに買った証の後あたりに、ぽちぽち嫁いでいければいいと思っておりまする。

今回は梅仕事の前に、梅林の横の田圃の準備を4人で協力しながたやった。虫やへびや鳥たち・・田圃は生物の楽園である。
何年放置されたかわからないけど、一反強の田圃が棚田のように、3段くらいある。
昨年は、一部を田圃にして、田植えをしたけど、イノシシさんがみんな食べてしまった。
今年は一反強を田圃にする予定。地名からいっても、湧き水のうまさからいっても、おいしいお米がとれるところだ。
パラダイス酵母の入ったリンゴジュースで休憩している時、懐かしい羽音が聞こえてきた。
この春、梅林に設置された蜂の巣箱に、日本ミツバチが巣作りをはじめ、二つの箱に蜂が蜜を運んでいる音だ。
幼きころ、幼稚園を中退して、宮崎の美々津(みみつ)で養蜂をやっていたおじきの家にしばらく居候しながら、
遊んだころを思い出した。

先日北陸も梅雨入りして、昨日は一日雨がふった。梅雨という「ことだま」のとおり、この時期の雨のたびに、
梅は大きくなる。明日から、「梅仕事」が始まる。
お米をつくり(これはまだ)、梅干しや梅味噌をつくり、味噌をつくり、野菜を少し育て、二日に一尾タコを釣り・・
まで、なんとかきて、自給自足に近い生活が見えてきた。
昨日は、しんごちゃんからアジを20尾くらいもらったので、その前日にもらったサバ、イワシなどを含め、
40尾くらいの魚を捌いて、梅酢を吹きかけ、倉庫の中で一夜干しにした。帰りの車は梅でいっぱいになるから、
どうやって魚さんを東京へもってかえろうか、悩んでいる。これもまた日々是好日。

田舎暮らしは、「ゆたかさ」
に満ちている。能登くらし、6日目。使ったお金が、田んぼ仕事の後に入った「じんのびの湯」の500円、と
風呂からあがった後に飲んだポカリスエット160円。総額660円也。財布がどこにあるかもわからない、キャッシュレスな能登くらし。
年金が少ないと嘆いている人、アルバイトや仕事がない、家賃が高い、税金が高い、エンゲル係数が高い・・・
「お金」が生活の中心になって悩んでいる人は、ちょっとコペルニクスになった気持ちで、田舎暮らしにシフトするのもひとつの道かもなんばん。
明日は夏至。今を生きる人たちにとって、大きな分水嶺になりそうな日やね。天恩感謝。

タコって、宇宙人?

今朝の能登は、日本海独特の覆いかぶさるような雲。
「こんな日はタコが釣れる」と、寝間着かわりのUNAT(うなのTシャツ)のまま、
うなが新しくつくってくれた「タコ釣り用ショルダーバッグ」に、タコヤン、タオル、ビニール袋(釣れたタコを入れる。
なぜだかオリンピック(東京のスーパーの買い物袋)の袋、はさみを入れて、釣り竿かかえて、海へ・・・

20分くらい「たこやん」をずる引きしたら、一尾釣れた。今日は梅茶翁の「田植え」があるので、オリンピック袋に
いれて、テクテク歩いていたら、軽トラにのったおばちゃんに声かけられ「釣れた?」と聞くので、「タコがいっぴき」
と答えた、ととたん、軽トラがとまって、「これ、タコといっしょに食べて・・」といって、イワシ5尾、鯖2尾をくれた。
知らないおばちゃん突然いただきものとは、なんとなくびっくり、で、しかも、タコ以外なにもお返しがなく、
立ちすくんでいたら・・・「前浜の人やろ  テレビみたよ」とのこと。ますますタレントかなにかになった気分だったけど、
そのうちまた何かおかえしをしよう、などと思いながら家についた。

冷蔵庫に、昨日近所の人にもろうた「ざざえ10個(ひき?)、きじはた、とびうお、鯛、いとより、ハチメ、かさご・・」
などが、やまんごた入っている。
これから朝ごはんを食べたら、一気呵成に捌いて、網にいれて干すことにする。
みんな「趣味でやっている程度」と謙遜するけど、豊かな海が目の前で、生まれ生きた証みたいに、釣り名人たち
だ。いろいろ魚をさばくけど、タコはどう見ても、地球外生物のような感じがする。

というわけで、これから、準備を整え、瑞穂の国へ、田植え祭りにいってくる。感謝。