手押し車

天真庵の前の通りを、十間橋通りという。おおかたが「じゅっけんばし」
と発音するので、それが正解なんかしらへんけど、ちょっと前までは「じっけんばし」
というのが、正しい呼び名なだった。時代とともに、日本語もかわってくる。

通りをわたったところに、「アコレ」というスーパーがある。「あれこれを買う」から
命名されたらしい。これから暑くなって、
かちわりの氷が足らなくなったら、徒歩数秒のところに冷蔵庫がある、がごとくの便利な都会生活だ。
能登では、徒歩25分のところにある「総合デパート 中根酒店」が一番近い。
ときどき氷を買いにいくけど、夏本番の時は、さすがに保温バッグに入れても氷が解けてしまう。
家の前の海は、季節の魚や貝や海藻を恵んでくれて、「冷蔵庫のごたある」と思うことしきりであるが・・

「アコレ」は朝8時に開店。じいちゃん、ばあちゃんは朝がはやく、体内時計も少しずれておられるのか、
手押し車を押してお店の前にきたら、7時50分だった、みたいな光景をよく見かける。
コロナ禍の中で、見えないストレスもたまっていて、ささくれじいちゃんが、
「いつあけるんか」みたいに、定員に喰ってかかったりするのも日常茶飯になってきた。
雇われている定員さんたちは、お客さんを無碍にできないマニュアル世界におられるので、「8時になったら、
開けますので、少々お待ちください」といって、ささくれじいさんにやさしく答える。

昨日、11時前に、おばあちゃんふたりずれが、まだ暖簾もだしていないお店に入ってきて、
「もうそばが食べられるよね」と、定員さんみたいな小生にのたまわれた。
「12時からなんで、あと1時間後によかったらきてね」と答えたら、「じゃ ここで待たせてもらうわ」と椅子に座ろうとしたので、
「これから、掃除して、空気を入れ替えて、珈琲淹れて、やっと12時にあけるとよ」
とやさしい九州弁でいって、お帰りいただく。だいたい、こんな場合は、12時にまた再度来店という確率が0%に近い。
別に「がんこ親父」をきどっているわけではないけど、なんでんかんでん「お客様は神様ばい」という接客態度は、
日本人の「礼節」を絶滅危惧種にするような気がしてならないし、性格上そげな技は使えへん。
でてきた珈琲やそばを、パブロフの犬のようにスマホに撮ろうとする輩のマナーは、犬以下やし、そんなことを
お店がゆるしていると、日本人は「一億総露出症」になってしまうと思って、天真庵では写真を固くお断りしている。

「手押し車」は、年寄りの必需品になってきた。デザインも進化し、電動のものも登場したり・・・
ぼくも「ワクチンの優先するよ」の年になったけど(正確には秋やけど)、まだ手押し車はもっていないし、
カタログももっていない。ばってん、こないだ能登の各地で、じいちゃんおばあちゃんたちが、手押し車を、
路傍に置いて、蓬(ヨモギ)や、ぜんまい、わらびなどを採っている光景をあまた見て、
「田舎では、手押し車は、立派なアウトドアグッズ」だと、悟った。
見方、視点を変えたら、「不安な老後」も、ウキウキした気分で待ち遠しくなったりするもんだ。

先日、久保さんから、新しい志野と鼠志野のお皿が届いた。一昨日は、ヨガの日だったので、カレーを鼠志野の器で食べた。エッジが
少し角度をつけて、老人でもお米がスプーンですくいやすくなる工夫が施されてある。
ただ今、中ヒット中の「輪花ドリッパー」の輪花も、志野も鼠志野も、桃山時代から日本人に愛されてきた技巧を
使っている。桃山時代は、珈琲もカレーもなかったから、これもまた「時代の要請」である。
夭逝せずに、60代まで元気に生かされていたことを、つくづく感謝しながら、カレーを完食。
明日はスーパームーン。もう一つの志野の皿で、ペペロンチーノでもつくって食べようかしらん。
桃山陶の志野・織部・黄瀬戸で、料亭や老舗旅館の器をつくってきた久保さんの最近の、
珈琲カップ・輪花ドリッパー・カレー(パスタ)皿・・・時代を超越した超絶技巧で、いい感じで、いろいろな
「居場所」に嫁いでいる。感謝。