連休中は、家から5.5k内の「近場」を散歩する人が多かったみたい。
連休が明けたら、間引き運転する電車は、以前のような満員電車だし、
感染者数は減らないし、重傷者数や、若者で感染して重症化する人が
多くなっている。緊急事態宣言が、延長され、今月いっぱい
福岡・名古屋を加えて、実施されることになった。中洲も栄の飲食店も大変だ。
「短気集中でコロナを絶対に押さえ込んで」とかいって、選挙演説よろしく
腹の底から言っていた政治家が、選挙後何もなかったように、手のひらを反す「腹芸」
ようなことが日常茶飯の中、また、あっさり延長された。
国民の命を大切にするのだったら、オリンピックを中止にする、のがまず最初に
すべきだろうし、このコロナ禍の中で、また再稼働の動きがある原発をやめるほうが、
「国民の命」を大切にするために、すべきことのような気がする。
能登の家は志賀町にある。今は止まっているけど、原発がある。
時々、福井県の恐竜博物館などに遊びにいく時、風光明媚な海岸線に原発が、くさびを
打つがごとく立っている。地元の人たちは、「原発銀座」などと揶揄しているが、
東京一極集中で、過疎の田舎を経済的に回す手段として、原発や風力発電が、墓標の
ように並んでいるのが、今のニッポン、チャチャチャ、なのだ。
ついこないだまで、世界中を席捲していて、日本の工業製品とか車などが、よその国に
押され、医療技術も最先端をいっていると思っていたけど、ワクチン開発のワの字にも至っていないのがもどかしい。
その上、子供たちが「将来希望を描いている度」が、尻から数えたほうがいいくらい、低い。
話はかわって、一昨日、焙煎教室で、焙煎した豆を米櫃(こめびつ)に入れ、のチャフをのぞく作業を表でしていたら、古い米櫃(こめびつ)の
底が抜けて、焼き立ての焙煎豆が道路にこぼれた。それを拾う作業をしていたら、押上小学校から家路を急ぐ女子小学生ふたりが
自然にしゃがんで「手伝いましょうか?」といった。さりげない風景だけど、下町の人情いっぱいの家で育った子のやさしさにふれた
ようでうれしかった。今の日本人になくなりかけた「人間味」みたいなものだ。
大変なアクシデントだったけど、焙煎塾の人たちも、幸せな気分になり、珈琲の残り香にも、ここちよい後味が一時間くらい続いた。
このごろ、「輪花ドリッパー」を使うようになって、自分の目指す珈琲の目標が、少し高くなった。
「天真庵が考える美味しい珈琲とは・・」
飲み口 ひと口めが すっきり
人肌にさめても まったり
あと口 余韻が 一時間
やはり一番大切なのは、「人間味」やろうな。料理とか手作りのモノも、そやろな!感謝。