昭和30年代の昔?、そんなアニメがテレビで放映されていた。カラスが二羽でて、おもしろおかしく、
ドタバタしているようなアメリカのアニメ。トムよジェリーほど人気を博さず、
記憶の底からも消去されていた名前を浅草で思い出さされた。
水曜日に、合羽橋の蕎麦道具まで歩いて、くるみ油を買いにいった。「びん棒」という名の
のし棒につける油。おかまのMくんとこから、12年ぶりにもどってきた檜の無垢のテーブルと椅子も
それをつけて拭いてあげると、ピカピカによみがえってきた。
東京の緊急事態宣言も解除され、桜も満開になったので、仲見世をぶらぶら徘徊していたら、後ろから
「おとうさ~ん」といって、肩をたたかれた。産んだ記憶も、仕込んだ記憶もないけど、飲み友達で
三味線のたまちゃんの弟子だったT子だ。仲見世のお店で働いているけど、時短で3時まで働き、
週何日かは、近所のカフェでアルバイトをしているらしい。観光地のお店や宿泊飲食、などどこも
まだ緊急事態宣言だ。「ちゃでも飲むか」と誘ったら、「新橋にジャンボプリンのおいしい喫茶店があり、
来月からそこでもアルバイトすることになったので、いきません?」と逆提案さて、銀座線の人になり、
その喫茶店に到着。
キーコーヒーのロゴの入った看板に「ヘッケルン」と書いてある。
懐かしい喫茶店。玄関のドアには「コロナに負けるな」と主人の手書きの文字。主人の気骨があふれている。
カウンターには、懐かしいサイフォンの器具が並んである。「眠るな」「タバコは三本まで」と書いた張り紙。4時過ぎなのに、ほぼ満席で、しかもほとんど
の人が「ジャンボプリン」を食べている。今年で50周年というお店が、50年前からやっている看板メニュー。
どこの喫茶店にいってもビールしか飲まないことを知っているT子が、そっと「ここはビールはないので、
珈琲かココアにしてね」というので、ジャンボプリンと卵サンドにサイフォンのブレンド珈琲を注文した。
プリンもおいしいけど、混雑している中で、注文を受けてから卵をゆで、パンも手入れのいい牛刀で切り、
卵サンドをつくる気骨に負けた。奇跡のように東京に残っている「純喫茶」を満喫した。「娘をよろしくお願いします」
というと「わかった。びしびし鍛えてやる」と笑った。
ヘッケルンは、「ヘッケルとジャッケルからとって、運がつくように最後に「ん」をつけたそうだ。
素敵な喫茶店を紹介されたお返しに、駅前ビル二階の「ビーフン東」へいき、ビーフンなどをつまみながら、
サッポロ黒ビールと紹興酒を一本あけた。
ここは創業73年。お店には戦後のバラックから始めたお店の写真が飾られてある。このお店は「九州気骨の会」のみんなの集合場所やった。
会長や副会長の松崎くんがフジテレビで働いていたので、自然とそこに集まって、一次会が始まり、
若いころは、梯子して、最後は池袋の餃子楼で朝8時閉店まで飲んだ。駅へいくと、通勤ラッシュ。
それを見て、また踵を返し、駅前の喫茶店にいってビールを飲む。そんな「気骨」のある会だった。
大酒飲みが多かったけど、50の坂や60の坂を超えずに、逝った仲間もいる。化けてでてきても
また飲みたいくらい、いいやつばかりだ。
そんな昔のことを思い出しながら、「銀座サンボア」にいき、バーボンの水割りを2杯づつの梯子酒。
壁に「マリオネットライブ」の張り紙があった。ポルトガルギターとマンドリンのデュオ。
天真庵でも5回くらいライブをやった。4月15日なので「能登休み」にひっかかりいけないけど、
頑張っているようでうれしくなった。
銀ブラの途中に「モンブラン」の本店があったので、入ろうとすると、「作務衣でいいんですか?」とT。
「こないだ浅草のふぐやがいれてくれんかったな!でもインクをときどき買っているので、顔もわれている」と答えたら、
「高級時計のメーカーかと思った」とのこと。いつも使っている「ロイヤルブルー」というインクを買って、
お堀の桜を見ながら、大手町まで歩き、半蔵門線で押上までかえっていった水曜日。
押上駅で「今年の春から近畿大の通信教育を受けるんです」という。「へ~!女子大なんやね。今日は、大学入学祝いね、じゃ~おやすみ」でお開き。
お堀端 二羽のカラスが 千鳥足 南九