顎の話

ネットで「顎の話」と検索すると、草市 潤さんの本が紹介される。
佐賀に在中の作家で、99歳までで生きて、おもしろいエッセーと
を残した。
私ごとだけど、昨日宮崎の美々津の叔母が99歳で、天国に引っ越しをした。
叔父と養蜂と製麺所を経営し、幼いころ幼稚園を中退して、しばらくお世話になった。
そこで体験した養蜂や、叔母さんのいりこ出汁のそばが、ぼくの原点になっているように思う。
叔母さん、ありがとう。

話はアゴにもどすと、昨日は朝から仕込みに追われていた。珠洲で「あご」を買ってきて、
そばつゆをつくる準備をしていた。九州でもトビウオを使って「あご出汁」をつくる。
「顎が落ちるくらい美味い」から、九州でも能登でも「アゴ」というようになった。

洒落ではないけど、その時、お店に常連さんで、世界的な「顎の研究家?」のお医者さんが
「っちわ」といって入ってこられた。j医大を今月で退職される、という挨拶。
この奇人先生、巣鴨地蔵通りの縁日(4がつく日)には、にわか骨董屋として、縁日にお店を出していた。
そんな縁で、ときどき「骨董屋みたいで落ち着く」といわれ、天真庵にきて、蕎麦を手繰り、「これ売ってくれる」
とかいって、カウンターの上にぶら下げてある久保さんの珈琲カップなどを持ち帰ったりする。

昨日は、柱時計がとまってあるのを見て、目を輝かせた。世界的な建築家・故・白井晟一先生が
死ぬまで愛用した時計。昨年の暮れあたりに止まった。世界中がとまっているので「いいや」
と思い、一番幸せな時間(3時 おやつ時間)にして、そのままほっといたものだ。
骨董屋というのは、いろいろ古いものを修理して命を蘇さす仕事でもある。
「人の顎を治す」のと「時計の修理」をライフワークにしているその不思議な奇人先生は
「これ、一度修理したいと思っていたんよ・・・いい?」というので、「どうぞ」と
いうと、ポケットからマイナスのドライバーをとりだし、時計の文字盤をはずし、
「今貴重なものになったけど、ビニール袋ちょうだい」といって、オリンピック(近くのスーパー)の袋に入れてお店を
でていかれた。

そして、幸せ時間になったころ電話があり「なおったから、もっていっていい」といい、
生き返った時計をもってきて、またマイナスドライバーでとりつけた。
焙煎したての珈琲を飲みながら談論を風発。30分ほど過ぎたら、「30分は動きました」
「人を治すときは、文句がでるけど、時計は文句をいわないところがいい」と笑い、
十間橋通りをゆっくり闊歩しながら帰っていかれた。なんとも、不思議な骨董屋、もといお医者さんだ。

草市翁の「顎の話」は、

いつものように、安全カミソリでひげを剃っていたら、血がでたので、お店に電話をした。
するとお店の人が「ひょっとして、ひげを剃る時、入れ歯をはずしとなんね?」と言われ、よくよく考えたら、
そのとおりで、入れ歯を洗面所に置いたまま、顎をいろいろ動かし、剃り残しのないように剃って
いたら血がでた・・・・そんな年寄りの日常を、九州弁を交えながら、おもしろおかしく綴ったエッセーだ。

「アゴアシ付き」の講演などすることは、なくなったけど、せめて生きている間は、
顎を使っておいしく食べ、入れ歯ではないけど、髭をそり、自分の足を使って元気に徘徊したいものです。感謝。

今日明日はいつものように12時から16時まで営業。
その後は「蕎麦打ち教室」。