今朝はまた冬らしく肌寒い朝を迎えたけど、啓蟄も過ぎ、日差しだどことなく春らしくなってきた。
プランターのツワブキや木賊も、もうすぐ春ですよ、と光合成を活発におこなっているし、臼の
中に土を入れたところに植えたキブシもいつものように、花を咲かせている。
朝のラジオのニュースは、上野動物園のパンダが交尾したと伝えた。
明後日から能登。タコは一年中釣れるけど、春の交尾の時は、岸から離れて、いたす、ので、
なかなか釣れない。する時は、エネルギーも使うし、腹も減るだろうに・・・
少し遠くまで投げれる棹にして、狙ってみようかしらん。タコの恋路を邪魔するのも無粋だけど。
昨日は野村萬斎似のJ太郎くんが味噌をつくりにきた。秋葉原の隕石屋で働いている。
「秋葉原 隕石」とかで検索すると、そのお店がでてくる。「銀座 隕石直売所」
と検索すると、王子のお店がでてくる。
あまり知られていないけど、天真庵のカウンターの上に、中国茶で使う「こぼし」(茶盤)をおき、
その上に、「縄文ドリポット」を置いて、珈琲を淹れる。
珈琲専用の石臼がカウンターの上に置かれていて、それに刮目する人が多いので、縄文ドリポットは
少しわき役感が強い。ドリポットは、備前の焼き締めで作られていて、下は後手の急須で、その上に
同じく備前のドリッパーをのせ、円錐形の紙をのせ、そこに石臼挽きの珈琲豆をいれ、銅のミルクパン
と雪平鍋のあいのこのような鍋を使って、淹れる。
そこに、先週できあがった新作の「織部のドリッパー」(能登ジェラトン、つまり隕石粉入り)をのせて、
珈琲を淹れてみた。溝の形状や、ドロッパーの円錐の角度の微妙な違いで、珈琲の味がかわってくる。
それに、「隕石効果」が加味されるので、「神のしざわ」みたいな珈琲ができあがる、というアンバイだ。
その微妙で繊細な味の違いがわかる人が、いらっしゃって、今週は二つ嫁いだ。
「織部」は古田織部という戦国武将であり、茶人であった人が考案したアバンギャルドな器だ。
どことなく「縄文」を感じさせるフォルム。
弥生からこっち、しばらくおとなしい、つるっとした器が幅をきかせ、どこのギャラリーにいっても、
そんな器が目立っていたけど、この「風の時代」は、また原点にもどり、縄文なる器が振り子のように
もどってくるかもなんばん。
実験的に作ってもらった「織部のドリッパー」が、思いのほか好評なので、「現代陶のひゃうげもん」
の久保さんに、また新しい織部をつくってもらおうというアイデアがひとつ、ふたつ、みっつ。
三重県の菰野町に住む陶芸家と、東京と能登をのたりのたり往復するぼくたちは、何か気がつくと、
ショートメールの「一行」で打ち合わせをする。
ぼく「赤織部のポットに、織部のドリッパーを載せたら、五郎翁の器を凌駕した」
とかおくると、「それはほめすぎ。でもいいヒントありがとね」
みたいな返事がかえってくる。そして、忘れたころに、新作の器がおくられてくる。
最近は、隕石入りの器を、いろいろやっているせいか、どちらも「ちゃねる」ように、天から
降りてくる声なき声みたいなもんを、具現化するような作業も増えてきた。
新緑の芽吹きみたいに、新しいモノが誕生する時代を迎えているようだ。
啓蟄、とは眠っていた虫たちが動きだすこの季節のことをいう。
長引く巣ごもりで、すっかり生活スタイルも変わり、「腹の虫」のいどころも悪い人もあまたいたり、
ストレスいっぱいの人も多かろう。でも「創造」する力は、いつも、こんな時代が土台になっているみたい。感謝。