土曜日日曜日の夕方は「蕎麦打ち道場」

今年から、土曜日と日曜日は16時でお店を閉めて、「蕎麦打ち道場」をやっている。
タオルでハチマキをし、竹刀(しない)を片手に、鬼の特訓。ウソ、そんなこと竹刀。

今日は二階で「満まめ」 一階は「蕎麦打ち」 カウンターで「味噌教室」
という、大忙しの日曜日。満まめ(気功整体)は、ずっと満席、味噌教室も記録更新、そば打ちも
増えて、今日は3人のそばもんが、元気にそばを打ちにやってくる。

昨日は、新婚のカップルさんが、味噌作りにはじめてやってきた。昨年からだんなの方は蕎麦打ちを
やっていて、今年も、月イチのペースでやるらしい。
押上の駅前の賃貸マンション(家賃16万 交通の便がいいので、この界隈は高い)に住んでいたけど、
巣ごもり仕事で、ふたりとも会社には週イチくらいの出社。ちょうどそんなタイミングで埼玉の
おばあちゃんの家が空き家になった。迷うことなく、引っ越しをし、畑をやり、車を買い、蕎麦打ちや味噌を
つくって、「プチ田舎暮らし」に挑戦している。今後増えそうな「新コロ新婚生活」だ。
畑をやっていると、「旬」というものを、体で感じるし、なにせ、野菜の「うまさ」というものを、
体感できるのがいい。朝めし前に、畑で汗を流す。もぎたての野菜に手前味噌をつけて、ビールを
飲む幸せをなんと表現したらいいんだろう?

今日で2月も終わり、明日から3月。7日で味噌作りが終了。
ひさしぶりに能登がまっている。いや自分がまっている・・

明日の朝は「卵かけごはん」

田並劇場

天真庵のHPにリンクしているので、興味がある人はのぞいてみて!
天真庵を改装してくれたメンバーのひとり、林くんがクラウドファンディングで
お金を集め、朽ちかけた「田並劇場」を蘇生し、今では、映画の上映会とか、
いろいろなワークショップを催しておられる。彼もUNAのみかんくん、中西くん
と、芸大の同級生。

14年前に、古い一軒家が、ボスとか自動販売機で隠されているように押上の十間橋通り
に倒れ掛かるようにしているのを発見し、「おもろい建築やな~ これをカフェにしたら、
いいかもなんばん」といって、プロジェクトができた。
中西くんが芸大の建築を卒業し、千葉に不思議な「縁側のある家」なんかを作り、活躍していた時期。
同級生といいながら、UNAと林くんは、年上だったので、中西くんが、敬語と気を使いながら、
上手に天真庵を、つくってくれた。

3人のスケット役で、近くの経師屋で働いていたけいちゃんが、林くんと結婚することになった。
マンモス公園にあるマンモスのような滑り台の上でプロポーズしたらしい。そんなこともあって、しばらく
天真庵で出会うワカモノたちが、結婚する、という現象が続いた。そして生まれた子供たちが、今では味噌作りに参加したり、
ピアノの発表会で演奏したりする時は、14年の年月の長さを痛感する。

和歌山の串本に移住した林くんたちが、「私の台所」とかいうテーマの雑誌にでたことがある。
「相変わらず、すごい暮らしやな~」と電話で話をしたら、「今はまだ進化してます。冷蔵庫を捨てました」といった。
もともと、久里浜に住んでいた彼は、魚釣りや、キノコ狩りが得意で、「どこでも生きていける」部類の人間の
最高峰のところにいた。そのころ池袋の天真庵で芸大仲間の発表会などがあると、「もぐってとってきた」
といって、生きたタコを持参し、タコフェスタと称して、刺身にしたり、焼いたり、パスタにして
みんなで食べたりしていた。和歌山に移住してから、イノシシやシカなどを、罠をしかけてとる免許を取得し、
ますます自給率を挙げた。先日、そんな彼らの生活を150時間かけて取材したテレビ局の番組のCD
が届いたので、けいちゃんにお礼の電話をしたら・・・

「何日か連続で撮影を山でして、獲物がかかる映像をねらっていたんだけどダメで・・
娘の誕生日の12月のある日、毎年不思議にその日は山の神様のおめぐみで、シカやイノシシが
我が家にきてくださる日で、やっぱりシカさんがかかって、それを解体し、骨でスープをつくり・・
頭は山の神様に感謝してもどす、というお礼をし・・・
でも次の日に、またイノシシさんがかかり、主人が近づいたら・・
イノシシさんが、必至で抵抗し、指の爪を2枚もはがして、ワナからはずれ、主人に突進し、
体中をこずきまわし、主人は近くの川に飛び込み、しばらくイノシシさんとにらみ合いが続き、
なんとか、無事だったけど、血だらけで軽トラにのって家に帰ってきて、すぐに病院にいった。
さすがに『殺されると思った』といってました」と、たんたんと説明してくれた。

そんな究極の田舎暮らしを、子供ふたりと4人家族で営んでおられる。
自然の恵みを、冷蔵庫でわざわざ腐らす、という便利な甘え、みたいな生活を手ばして、
いろいろ自然にふらいながら、人生を堪能しておられる。
「気が付いたら、時代の最先端」という家族だ。

今日は土曜日。16時まで!

ホットケーキがおいしい喫茶店

こないだ、小倉の井筒屋のホットケーキの話を書いたら、
近所の飲み友達のともちゃんがきて、「大山のピノキオのパンケーキがおいしいので、こんどいっしょに
いきましょう」と言われた。

そもそも、われわれが若者だった時、パンケーキ、なる言葉がなかった。ホットケーキ。
ホットパンツなんていうのも流行した時代。ミルクコーヒーが、ラテになり、ケーキ類もスイーツ
なんていう言葉で呼ばれる。関西ではアイスコーヒーは「レーコー」やった。今はそんな頼みかた
する人はいない。遊び人たちは、ビールのことをひっくり返して「ルービちょうだい」なんていったもんだ。
レモンスカッシュは短縮して「レスカ」。それを発展させて、クリームソーダを「クーソ」と
いって頼んだらカレーライスがでてきた、なんていう落語みたいな話もある。

というわけで、昨日は大山の「ピノキオ」にいってきた。
ココアとパンケーキを頼む。10人くらいお客さんがいたけど、みんなパンケーキを
頼んでいる。厨房から離れた端っこの席で、静かに本を読みながら待っていたら、携帯がなった。
よりによって「おかまのMくん」。あわてて表にでて、3分くらい話をした。
引っ越しが佳境で28日までで、どうやら終わりそう、そんな内容だった。

席にもどって、しばらくしたら、懐かしい、おもわず、あ、ホットケーキだ、という感じのヤツが
テーブルの上にのった。ココアも、ウィンナー珈琲が人気だった(ウインナーが入っているわけではない)ころの
ように、ホイップクリームが蜷局(とぐろ)を巻いている。それを壊さぬように、スプーンをそうろうと
うごかし、砂糖をまぜる。甘さひかえめで、パンケーキーとの相性がばつぐん。
東京にきて、はや40年近くなる。わざわざパンケーキを食べ歩いたことはないけど、はじめて「小倉井筒屋レベルのホットケーキ」
に出会った。

クーソでカレーがでてくるような、クソミソ、ホットケーキとパンケーキが入り混じったピーマンな話になったけど、
昨日は幸せな一日だった。感謝。

UNA帽子・・完売!

コロナのワクチンが開始された。医療関係者と65歳の高齢者が
優先だとか・・
今年の秋に65歳になる。もう立派な高齢者。
同級生たちも、リタイヤしたり、再雇用とかいう形態になったり、早い人は天国に
引っ越ししたり、いろいろだ。

昨日、少し先輩で、リタイヤされて、車の能登の珪藻土の七輪を積んで、毎年北海道や
北陸を旅する人が、蕎麦を手繰りにこられた。ときどき、愛用の器がかけたりすると、金継ぎを頼む
ついでにこられる。昨日はバーナードリーチ窯で焼かれた土ものの(正確には備前ではない)珈琲カップをもってこられた。
日本の陶芸家では作れないようなシャープなフォルム。さすがに、くちもとが薄くて、あちこち車にのせて旅するには
かけるリスクがある。味噌作りで忙しく、「夏までに」という条件でOK牧場してもらった。

帰り際に「おトイレお借りします」と二階にあがろうとして、にわかにできた「UNAコーナー」
に立ち止まった。UNA帽が、気になっている様子。「これ、男とか女とかありますか?」
と質問されたので、「男でも女でもオカマでも大丈夫です」と答えたら、「旅の友にさせていただきます」
といって、お買いになられた。UNA帽子が、完売。
「その帽子どこで買ったの?と聞かれたら、どうしよう?」なんていいながら、笑っている。
「押上のそばや、かな?」と答えると、「70年生きてきたけど、そばやで帽子を買うのは初体験」だと笑った。
あまり気にしていなかったけど、そばやで帽子とか、マフラーは普通売ってないよね。
夕方はフェルトのワインバックを、若い男の子が買っていかれた。「ソバブティック?」になったような気分。
最近は、女性を中心にモノをつくる人ばかりで、にいさんじいさんのお洒落ものを探すのに苦労する。
押上村には、思ったよりも、しゃれたナイスガイがいるのにビックラしている今日このごろ。

今日は天皇誕生日。
普通に18時まで営業。夕方は味噌作り。いよいよ千秋楽の足音が聞こえてきた。感謝。

♪りんごがひとつ アップル・・アップルプルップル

なんかそんな歌を思い出した。

お味噌つくりが、昨年を超えて記録を更新した。
遠くからこられる人、高齢者が減ったのに、更新したのは、新しい人
が増えたからだ。シンコロ時代の「おかげ」でもある。
悪いことばかりではない。みんながうがいや手洗いをまめにするようになったので、
インフルエンザにかかる人も激減しているみたい。外出もみんな控えているので、心臓麻痺
や脳梗塞で亡くなる人も少なくなったらしい。「多死の時代」に、死ぬ人が減少している、とは、摩訶不思議。
統計にはでてないけど、三密も敬遠される時代になったので、腹上死も、かなり(毎年どのくらいでるか知らないけど)
減っているかもなんばん。

寄る年波のせいか、人の顔と名前が一致しない。味噌作りの名簿を見ても、どんな人だかまったく
検討がつかない人が増えた。苗字で「なになにさん」も、重複する場合が多いし、名前で「○○さん」
というのも、重複したり、一字違いだったりして、覚えにくくなったきた。それに家族ずれで、
子供さんがいると、記憶容量が足らなくなった頭のどこにも記憶されていないようなことが、日常茶飯になってきた。
なんとか、お茶とごはんは毎日食べられ、今朝食べたものの記憶は、まだらながら記憶されてはいるのものの・・・

昨日も4人が味噌つくりにこられた。千秋楽は「みかんくん」
愛媛県出身で、みかんのように丸い顔して、元気な青年。いつしか、誰ともなく、
彼のことをそう呼ぶようになった。近くの長屋に住んでいて、独身だけど、味噌もつくり、
酒の酒肴をつくらせると、「玄人はだし」レベルだ。

もうひとり「みかん」というあだ名の青年がいる。最近、「UNA雪駄」で復活したUNAの五十嵐くん。
彼の芸名?源氏名?は、「楠みかん」、みんな「みかんくん」と呼んでいる。
「マホマフ」(魔法のマフラー)とぼくが命名したマフラーも、下町界隈の人にまかれるようになってきた。
実際に巻いてみるひと、感性のいい人にだけわかる「不思議」がいっぱいある。

少し古い時代に、阿久悠さんが作詞し、大竹しのぶさんが歌った「みかん」という曲がある。

♪あなたの部屋が寂しすぎたから みかんをひとつ おいてきました
食べないでください 食べないでください

そんな歌。みかんをおいてきたのに「食べないでください」というのが、ひっかかって、
?よく覚えている。阿久悠さんはヨネクラボクシングジムの応援団だった。
旅立たれた時、会長からくる会報のような手紙に「この年になると、友達をなくすことが多く
なってきたけど、生まれてはじめて、友達の訃報に泣いた」という一言が脳裏から離れない。感謝。

これから「卵かけごはん」 

巫女っちゃけん

何年か前に、故郷の宮地嶽神社(みやじだけ)を舞台とした、そんな名前の映画を見た。
監督が知り合いの知り合いということもあり、高校時代に近くの海で泳いだりした場所
なので、懐かしくもあった。「巫女(みこ)っちゃけん」 いい映画だ。

先日、恵那の山の中から時々降りてくる「ヨガの老師」と勝手に呼ばせてもらっている仙人さん
が蕎麦を手繰りにきた。おんとし、80歳だけど、スポーツタイプの自転車にのって、颯爽
と現れる。「今日はあなたに見てもらいたいものがある」といって、彼がつくったポップアート
みたいなものを、見せてもらった。5年くらい前から瞑想していると、天から降りてくるイメージらしい。
「出口王仁三郎さんの 耀盌(ようわん)みたいですね」というと、「さすが、最高の誉め言葉。あの茶碗もぼくのアートも、5次元を表わしています」とのこと。
3年前からは、三昧琴(ざんまいきん)という、不思議な楽器もはじめた。75の手習い?を超えた神レベル。

そばを手繰った後、ニコリとして、「風の時代になりましたね」「3年くらい前から、『あなたのそばは風のような香りがする』といったでしょ。
あれも、天から降りてきたイメージ。つまりチャネったんだよね。(チャネリング?)」とオヤジギャグみたいなことを
のたまう。「みこっちゃけん」「ちゃねっちゃけん」・・・?

帰り際に、彼のアートでつくった「マスク」と、不思議グッズをもらったので、久保さんがつくった隕石入りの「能登ジェラトン」の器を
お返しにあげたら、「久保さんに、この手の器を3690個つくって世界にばらまいてください、と伝えてください」とのこと。
彼もこれから3690枚を目標に制作するらしい。出口王仁三郎さんが唱えていた「この世を弥勒(369)にする」ということか・・

世界中が渾沌としているけど、きっと、その先には、そんな世界がまっているのかもなんばん。

昨日、今日、つまり土曜日曜は16時閉店。昨日は夕方に、ケータリングの世界では世界的に活躍されているEさん
が蕎麦を打ちにきた。最近の彼の作品(料理)をスマホで見せてもらった。反対に弟子入りしたくなるような世界。
絵を描いたり、器をつくったり、料理をつくったり、それぞれの「個の花」が咲くといい。京都の亀岡にある関酒造という
小さな酒蔵で「この花桜」というお酒がある。そのラベルの字は、出口王仁三郎の家族が揮毫したものだ。
関酒造の娘さんは、なんどか池袋の天真庵で陶展をやられた。名刺に「100%元気です」と書いてある。

明日の朝は卵かけごはん。

ひよこ豆で味噌つくり

3年前から、四国で「もち麦」「黒豆」をつくっておられる農家さんから
黒豆茶(黒豆を焙煎機で煎る)の煎る前の豆をおくってもらい「味噌」にしている。
すこぶる評判で、今年は、かなりの人が「黒豆味噌」に挑戦している。
できた煮汁も、土を感じさせる滋味で、そのまま「ぜんざい」にしても美味しい。
そばがきをつくって、あわせる「そばかきぜんざい」」にすると、筆舌を超えた世界にいたる。

昨年は、小豆(あずき)で味噌をつくってみた。天真庵の味噌蔵には、入りきれず、
能登でかもしている。一月にあける予定だったけど、大雪のために能登にもどれず、
お預けになった。

昨日は、向こうで知り合いになった珠洲の農家さんの大豆を仕込んだ。同じく珠洲の
揚げ浜式という古式の製塩法でつくった塩をつかって、味噌を仕込んだ。能登の身土不二。
唯一無二の味噌ができると思う。
もうひとつは、「ひよこ豆」で味噌作り。昨年の今ごろベルギーから、有名な音楽家が蕎麦を
手繰りにこられ、「ヨーロッパでは、大豆が入りにくいので、ひよこ豆でつくります」
という話を聞いて、菌活女子・筆子さんのビットがたち、初挑戦。

「粒々皆辛苦の味」
ひとつぶひとつぶに、一生懸命な命の輝きがある。

四国の農家さんの玄関に、「愛穀」と筆文字の額が飾られている。
近くに住み、死ぬまで「詩国」という詩集をつくり続けた坂村真民(さかむら しんみん)さんが揮毫した。
そこの農家の主人とは、仲良く茶のみ友達だったようだ。天真庵に飾ってある「念すれば花ひらく」
の額も、そんな縁でやってきたものだ。感謝。

今日の真民さんの日めくりカレンダー

「今」

大切なのは
かつてでもなく
これからでもない
一呼吸
一呼吸の
今である

ぶらり千葉

天真庵の蕎麦粉は、酒々井(しすい)の「手打ちそば みなもと」にお願いしている。
お店の前には、そば畑があって、秋には、白いそばの花が一面に咲き、「雪花山房」のごとしだ。

そのお店との出会いは、不思議だった。15年くらい前のある日、いつものように目白にあった
「ヨネクラボクシングジム」で汗を流し、その道では知らない人がいない骨董屋の「S」にぶらりと入った。
主人のSさんがなにげに「最近、近くに女性が自宅の一階で蕎麦を打つ店ができた」とのこと。
「香りがよく、お店をでてここにもどってくるまで、蕎麦の香りが残って幸せな気分がする」とのこと。
目白といえば、うちの師匠の高橋さんのお店があったところだし、そのお弟子さまのお店もあり、
うまい蕎麦屋が何件もある。また、食べ物にも造詣の深いSさんが太鼓判のお店・・・

骨董も見ずに、そのお店に向かって、蕎麦を手繰った。確かにうまい。しばらく、ボクシングジムの後
に、そのお店に通いつめ、そのそばにはまった。「まい蕎麦猪口」よろしく、久保さんの黄瀬戸の蕎麦猪口
までおかせてもろうた。
ある時、お店においてある雑誌を見ていると、「手打ちそば みなもと」
の記事があった。そばの神様にほれ込んだ、か、惚れこまれたような記事に「ふ~ん」とかうなずいていたら、女将が
「このお店から蕎麦粉をわけてもらっています」といい、電話番号まで教えてくれた。次の日、酒々井まで車を走らせた。
それからすぐに、押上のうらぶれた十間橋通りに、ボスの自動販売機で、破れたガラス窓、壊れたドアなどを隠して
ある古色蒼然たる建物と遭遇し、そこに「天真庵」を結ぶことになった。そこからこっちの14年、そこの蕎麦粉を使っている。

昨日はひさしぶりの休み。1月25日から3月7日まで、毎日味噌つくりがあって、休みがとれないので、
一日だけ、「何もしない日」をつくって、昨日は千葉の芝山の道の駅にいき、野菜を調達した後、大和の湯で
汗を流し、「みなもと」で蕎麦を手繰ってきた。この14年の間に、「つきいち」でまわる「ゴールデン千葉散歩」。
千葉は、知事だけ目立っていて、あまりコレという目立ったものはないけど、多古のお米や大和芋は最高に美味い。
その大和芋にも負けないくらい、「大和の湯」から見える里山の景色は、風情がある。感謝。

UNA雪駄

UNA雪駄が、好評だ。
半分近くが嫁いだ。そもそも雪駄とは、利休が考案した、という説が多い。
茶人が路地を歩く時、それまでの下駄では、音がうるさく、特に年を老いて
からは、足があがらなくなくので、ひきずる音が耳障りなので、雪駄が生まれた、ということだ。
なんとなく、わかるような気がする。夏になると、浴衣を着る機会が多くなる。とりわけ、花火大会
の時は、ドレスコードのごとしだ。足元は下駄派と雪駄派にわかれると思う。ぼくは断然雪駄派である。
足元を向島の「めうがや」の足袋できめ、そこにお気にいりの雪駄を履く。江戸の「いなせ」の原点である。

昨日、UNAのみかんくんが、かばんをもってきた。雪駄の横に彼の作品集が置いてあって、それを
見た女子たちが、「かばんを見て見たい」というリクエストにこたえた形。ひとつショルダーバッグがあって、
「これ、ぼくが釣り用に使わせてもらう」とUNAにいったら、「タコ釣り用のショルダーバッグをスケッチして、
もう頭の中では完成してますので、夏くらいまで待っててください」といわれ、そのまま雪駄の横に置いていたら、
常連さんが、それを買われていった。「ああ・・」と少し寂しい気持ちがしたけど、夏のタコ釣りまで、
しばらく待とうと思う。今年は「タコすかし」という能登の伝統的なタコの漁法に挑戦しようと思っている。

夕方、先週はじめて天真庵で味噌作りをした家族が、蕎麦を手繰りにきてくれた。嫡男のRくんは、
この春小学校。先週は鬼滅グッズ?の刀を持参して、ママが味噌作りをしている最中に、厨房の中に入り、
ぼくのことを「熊」と見立て、刀を振り回す。アニメのはじめを見ただけで、挫折してしまったけど、
続きを見ないことには、子供たちについていけない、と悟る?
若いママたちに街であっても「えーちゃん」と呼ばれることが多くなったが、子供たちには「熊」と呼ばれることが多くなった(笑)。
悲喜こもごもの毎日。

今日も「珈琲のお弟子様」が、味噌をつくりにこられる。

月曜の朝は卵かけごはん

昨日は、バレンタインデー。まーくんの「満まめ」と「味噌作り」が重なったので、
昨日だけで、5人の美しい女子からチョコレートをいただいた。少しカロリーオーバー(自慢めいて、言い方もオーバーヒート?)
したので、夜の十間橋を早歩きで散歩した。単純なおっちゃんが、スキップしてるような姿が想像できる、かもなんばん。

「卵かけごはん」は、たまたま大震災の起きた2011年の1月から始めたので、10年になる。
家でもできるメニューだけど、ごはん、みそ汁、漬物、のいう「黄金の一汁一菜」を
大事にしたいと思って始めた。一度、アドマチック天国に紹介され、スタジオまで出前
したことがある。それからしばらくは、朝から行列ができた。でもテレビを見てくる人は、
また次の週のテレビを見て、にわか行列のできるお店に並ぶ、だけだ。
情報を喰らう、テレビや雑誌を喰らう、がごとしだ。そんな輩が多い。

手垢にまぎれ言葉だけど「商いは、飽きない、だ」
そうゆう意味では、TKG、こと卵かけごはんは、毎日食べても飽きないし、「黄金の一汁一菜」に君臨し続けると思う。
今日のお味噌汁は、みなさまのリクエストにお応えして、豆源郷の木綿豆腐とおあげ。
香のものは、「いぶりがっこ」。ミシラヌ系のお店でも食べられないラベルの朝ごはん。550円。
デミの「ほぼぶらじる」が一杯100円。ヨーロッパのカフェで、かっこよくエスプレッソを飲む
ように、飲んでほしい。近くに住んでいてジャズドラマーのセシルこと「セシル・モンロー」は、
「これを飲んでいると、ブルックリンにいる気分ね~」といってた。
いっしょに、テレビにもでたことあるけど、311の年の夏に千葉の海で、死んだ。今年の夏で10周忌を迎える。