明日で世界がおわり の時がきたら お茶会をしよう!

ネットで「喫茶 茶会記」と検索すくると、不思議なカフェがでてくる。
天真庵で年二回、えりちゃん、こと上原英里さんがシャンソンの弾き語りライブを
やってくれる。「喫茶・・」では、毎月彼女がライブをやっていて、10年になる。
四ツ谷三丁目にあるので、彼女の手書きの新聞を「月刊3丁目新聞」という。
先月天真庵でライブがあった時、その新聞に「茶会記が、12月で緞帳を下げる」とあった。

ちょうど昨日が最後のライブになった。前日に焙煎や年末もろもろ仕込みを頑張り、
昨日の夕方錦糸町から四ツ谷まで総武線にのり、「喫茶 茶会記」にたどりつく。
ぼくが最初に東京にきたころ、ソフトバンクという会社が市ヶ谷の東郷公園のところにあった。
仕事が終わったら、駅前にあったうらぶれた「こまちゅう」とかいうお店でよく飲んだ。
飲みたらない時は、四ツ谷まで足をのばし、「しんみち通り」あたりの一杯飲み屋で遅くまで飲んだ。懐かしい街。

その当時は荻窪に住んでいたけど、仕事が忙しかったので、会社の近くにあったマンションが寮がわりになっていて、
月の半分は寮にいた。そこの寮をねぐらにしていたのは、みな酒好き、仕事好きで、その後、ソフトバンクの
重鎮になった人もいて、ときどき、押上にポルシェやベンツなどにのって、蕎麦を手繰りにやってくる。

ぼくは、一年ちょっとでソフトバンクをやめ、秋葉原で会社をつくった。今の天真庵も、その時つくった株式会社
で運営している。39歳の時、ネット21という業界団体の理事長になり、自分の会社はスタッフにまかせ、
オタクや成金が多い業界人たちと、いろいろ精神的文化力を強化しよう、なんていう若気の至りもあって、ギャラリーをはじめた。
毎日のようにIT業界の人たちやアーティストが集うサロンみたなたまり場。天真庵の原点。皮切りは、南條先生の「寒山拾得ワールド」だ。

昨日四ツ谷を歩いていて、南條先生の画集をつくってくれたイメージライフという会社も四谷三丁目だったことをふと思い出した。
ぼくのエッセーみたいなものを出版してくれた会社も、そのへんにあった。今は昔だ・・・
かみさんの筆子さんも、うちにくる前は、しんみち通りの「すかっしゅ」というステーキ屋で働いていた。4年前にサントリーホールで
N響のコンサートにいった後、しんみち通りから引っ越した「新すかっしゅ」にN響の知り合いを連れていった。その後は、N響メンバーもちょくちょく
肉を食べにいったらしいが、3年くらい前に閉店した。どこの東京の街も、個人で運営する飲食店が少なくなり、チェーン店が幅をきかせている。

7時に「喫茶 茶会記」についた。ワンドリンクつきだったので白ワインを頼む。自分の店でライブをやる時は、そばやつまみや珈琲
の段取りなどが頭にあって、ゆっくり飲めないけど、昨日は客人としていったので、ワインを4杯飲んだ。
3杯目をおかわりする時、お店のカウンターの上には「小林秀雄全集」が並んでいて、その横に井伏鱒二先生の「鞆ノ津茶会記」が
あるのを見つけた。先生の晩年の本。このお店の名前の由来かな?不思議な縁を感じたので、南條先生が揮毫した「寒山拾得美術館」の名刺を店主に渡し、「この先生の先祖は、毛利家と戦った戦国武将で、この本の中に、毛利家と南條家の茶会がでてきますね。あの南條です」と紹介したら、目を丸くして
びっくりしていた。

はじめていったお店が、最後になってしまったけど、不思議な「えにし」を感じる一日だった。
戦国時代という、人殺しや、国とり合戦の時に、浮かばれずに死んでいった魂たちが、こんな不思議な
出逢いを演出しているのだろうか?

親子は一世 夫婦は二世 主従は三世 
  
ひととひとが出会っていく、というのは永世。まことに妙なものです。

クリスマスの不思議なことを書いたけど、シンコロはキリスト教圏内のみならず、全世界をとめた。
一神教、というのは、どこか排他的で、人間の原罪とかエゴを、正当化させるような便利さと危うさを持ち合わせている。
このシンクロで、東京もロンドンもニューヨークもパリなど主要都市の昨日も、ピタリととまった。
シンと静まりかえった自然の中で、ひたすらみんな瞑想をしているようなもの。自然の中にいるのと同じような感覚になる。
自然の中にいることは、自分を見つめていること。これまでのように、仕事や遊びに追われているときは、
自分さがし、や、自分を見つめる時間などない。
ひょっとしたら、自分を見つめたり、見つけたりすることが怖いから、みんな忙しがったり、ひがなスマホの
中でうずくまっていたのかしらん。もしかしたら、シンコロさまは、神にかわって、そんな人間に、大事な警鐘を鳴らしてくださっているのかもなんばん。
これを機に、いろいろ変わらいとね・・アーメン。