ショパンを聴きながら

昨日は「焙煎教室」。
このシンコロ禍の中、焙煎をまじめに勉強している女子がいる。
もう5回目になるので、「卒業」といっているのに「まだやります」
ときかない。昨日は、バレンタインでもないのに、あおしいチョコレートをくれた。
昨日は、とっておきの「モカ」が入ったので、それを焙煎してもらった。
その豆もシンコロのおかげで、ヨーロッパやアメリカにいく予定のものが、
ある商社に入って、縁あって天真庵にまわってきたものだ。因果応報、ではないけど、
いいこと、と、悪いこと、ぐるぐるまわってやってくる。
やはり、自分だって赤の他人だし、赤の他人だって自分である、ということか。
そんな風に考えると、なにごとも「まあるく」おさまってくる。この哲学は縄文哲学。

こちらも、シンコロのおかげで、夜の勉強会がなくなり、ライブも8か月ほど休んだ。
その間に、そんなモカが入ったりしたので、珈琲の焙煎の方法も少しかえて、「ほぼぶらじる」
が、かなりいい具合に完成に近づいてきたように思う。
「縄文ドリポット」のドリッパーのところも、能登ジェラトン(隕石粉入り器)にして、
そのおかげで、お湯のさしかたも、以前とは違った方法になり、珈琲を飲んだ後味が「恋をしてたころの思い出」
みたいな、そんな感じの味になってきた。この星に、男と女がいろんな物語を紡いでいる間、珈琲はきっと身近にあると思う。

そばも、松本の大久保醸造所の会長とオンライン(といっても、電話やけど)で、「かえし」の醤油、「甘だれ」(とりそば、とんさま用)
のほうの白醤油とうすくち醤油の配合などを変え、冬本番、いつでもOK牧場になった。
家で料理をする人が増えてきたみたいだけど、調味料を整えると、家庭も整う・・・縄文時代からの天地自然の理だ。

午後は、「かえし」を作ったり、自分の焙煎をしながら、ショパンを聴いていた。
フジ子・ヘミングのエッセーで、こんなのがある。醤油ではない「雨だれ」の話。

ひとりでショパンを弾いていると
彼と、女流作家、ジョルジュ・サンドとの恋を考えてしまう。
「雨だれ」は、外出中のサンドが降ってきた雨に
濡れていないかを心配して、この時の雨音をもとにつくった曲。
でも、その後、ふたりは破局を迎えてしまった。

サンドとの別れによって、ショパンは健康を害し、
気力を失い、38歳の若さでパリで生涯を終えた。

とても切ない愛の物語。
「雨だれ」を弾く時、
いつも、ふたりのことを思ってしまう。(フジ子)

今月19日にピアノを演奏してくれる大石学さんにも「雨」をテーマにしたアルバムがある。
フジ子さんのエッセーは「あなたに届けば」。
赤の他人でない自分のいろいろな思いが、大好きな「あなた」に届けば、いいな~。感謝。