月曜の朝は、卵かけごはんとほぼブラジル

今月はじめに「猪田さん」のこと書いて、古本屋で彼の本を見つけ読んでいた。
「あのころの(昭和50年代)の珈琲は美味かったな~」などと懐かしく思っていた。
ときどき、いいモカが入ると焙煎し、ほぼブラジルの「モカブレンド」をつくる。
かなりとがった味なモカだと、音楽でいう和音に、ひとつ明後日の音が入ったごとくになり、
台無しなもんになる。

そんなことを思っていたら、旧知の珈琲卸をやっている主人から「すばらしいモカが入った」との連絡。
コノナ禍の中で、ヨーロッパあたりに優先されていたモカが、久しぶりに日本に入ったらしい。
昨日の朝届いたので、さっそく焼いてみた。ほかの豆と違って、焙煎のストライクゾーンが狭い。
でも、昔とった杵柄よろしく、やってみた。
それを「ほぼぶらじる」とブレンドすると、「猪田さん」や「からふねや」が輝いていたころの「京都味」
の珈琲ができた。「あの人に飲んでほしい」というあの人たちが、「気配」を感じて来店され、
ほぼぶらじる、が、ほぼ空になった。今朝はまた朝から焙煎。

昨日は、はじめての「あの人」もやってきた。まだ社会人一年目らしい。ざるそばとほぼぶらじるを注文。
アイスコーヒーを所望され、だした。「シロップは?」(ぼくは、そんなこときかへん)と筆子さんが
いうと、「ください」と関西なまりで答えた。ので、「今日の珈琲は世界一おいしいので、そのままのんでんか!」
と丁寧な京都弁でいうと、「はい」の返事。青年は、それをぐっと飲み干し、「ほんま、美味いです」と品よく笑った。
いつもの癖で、「京都の大学?それとも「の」がつかへん大学?」と問う。「京都の大学です。どーやん(同志社)ですわ」
とのこと。

昭和51年に京都の大学に入学し、一年の秋に「からふねや」の本店をまかされた。最初の修行は、烏丸店。
御所の近く、烏丸丸太町にあった。それがおわると、烏丸通を上って、同志社の近くの新町にある町家に住むボンの家庭教師をしていたころがある。
その近くに「わびすけ」という、京都で一番古い喫茶店があって、よくそのボンをつれて、お茶しにいった。
ネットで「中井汲泉(なかいきゅせん)」と検索すると、盛岡市のHPがでてきて、飄々とした風貌の写真とプロフィール
がでてくる。その中井老が、大正のはじめ(昭和やないよ)に「わびすけ」の前身「中井ミルクホール」を始めた。
10年くらい前に「わびすけ」が100年喫茶店の緞帳を下げたけど、まだネット上には、写真がのこっている。
不思議な縁やけど、昨日はじめてきた、好青年のどーやんは、中井さんの曾孫さんやった。珈琲の神様のいたずらか?

これから「卵かけごはん」

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