縄文大工 ぱーと2

能登で生活していると「縄文なるもの」を多く発見する。
雨宮さんの本「ぼくは縄文大工」にも書いてあるけど、とった魚(真脇ではイルカを多く食べた)、や動物を
解体するのに黒曜石をつかった形跡があるらしい。実際に使ってみると、無駄がないし、肉が傷つけにくい、らしい。
縄文時代のひとつの集落は、50人くらいだったらしい。それがひとつの「国家」みたいなもの。
一番偉い人を「宰」といった。いまでも、偉い人に、この漢字をあてたりするけど、音読みで「そう」。
訓読みでは「つかさ」。意味は「料理人」包丁をもった人の象形文字からできた。つまり、動物などを解体して、
50人に、どう分けて喰わせていくかの裁量がある人が、長になっていたらしい。

先週の木曜日の朝、いつものように海に「たこやん」をもって蛸釣りにいった。伝統的なタコ漁「たこすかし」
の名人が先客。彼はいつもGパンに雪駄履いて、じーっと海の中を見ている。10分くらいして、「今日はいる」
というと、ウェーダー(水をとおさない腰まである長靴)に履き替え、二本の竹竿(ひとつは赤いヒラヒラが先についていて、タコを
おびきよせる。もうひとつは、二重になった釣り針、というか、ひっかけるもの)をもって、漁が始まる。
何人か、というより、海が荒れた時は、どの漁師も、「たこすかし」はやるのだが、その名人が動き始めると、海のタコが
みんなそこに寄っていくような「気配」がする。

ぼくが、2尾釣った間に、名人は7尾をつかまえ、ウェーダーを脱ぎ、立ちションをしていた。
ぼくもいっしょに「連れしょん」しながら、道具談義(しょんべんする道具じゃない)。
「この竹は、どこから採ったんですか?」というと、ニヤッと笑い、「あんたの畑の奥の竹やぶ」
といった。「え?」と不思議そうにしていたら・・「風があまりあたらないので、まっすぐな竹が多い」
とのこと。「そうですか。では来年用に何本かとっておこうかしらん」と答えたら、「ちょっとまって」
といって、軽トラから、どこかの神社の暦のようなものを出してきて、「今日切ったらいいわ」という。
つまり、昨日までは、「竹は切るな」という言い伝えがあるらしい。
江戸にも、釣り竿を和竿(竹でつくる)人たちがいた。春から夏にかけて、生育途中で切る竹は、
あまりよろしくない、という話を聞いたことがある。たぶん縄文時代から続く「千恵」のひとつだろう。
竹のお礼に、タコをひかける釣り針をもろうた。これも縄文時代から続く「原始的ぶつぶつ交換」。

5月ころ、能登は木を食べつくすごとく藤の花が咲く。縄文人たちは、その季節になると「イルカがやってくる」
と知っていたらしい。GPSなどが当たり前になったけど、そんなものをつくりだす人間のおかげで、地球の環境が激変し、
ついには、食事の時もマスクをしながら、の時代を迎えた。そのうち、食卓にのぼる魚は、みな養殖もので、マスクが酸素マスク
になる日も近いのではないか、なんてことを思ったりする今日このごろ。
迷ったり、間違えていた、と思ったら、「原点」にもどるのがいい。個人といわず、家庭、会社、地方自治体といわず、
そうゆう時がきているように思う。感謝。

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