今朝の朝日新聞の一面は「アーモンドアイ」。
昨日の東京競馬場のジャパンカップの優勝をたたえた雄姿がのっている。
昨日が最後のレースだった。名馬になると「自分の花道」を知っているようだ。
昭和51年の2月に東京に受験にきた。小倉の予備校で一年浪人生活をしていたので、
前年東京の獣医大学に通っていた友達のNくんの下宿にお世話になった。
お世話ついでに「ボクシングの聖地・後楽園ホールに連れていってくれない」と頼んだら、
「ちょうど横の場外馬券所にいくのでええよ」と快諾してくれ、後楽園にふたりでいった。
その時、画面で「テンポント」がぶっちぎりで快走した。その日は、Nの下宿で祝杯をした。
不思議な縁で、その年の暮れ、京都競馬場の臨時従業員(関西の大学の乗馬クラブの人と、苦学生を助ける枠があった。)
になった。厩舎監視といって、レース前の厩舎にいって、厩務員が薬物などを投与したりしないかをチェックする仕事だ。
京都競馬場で年間40回開催され、トータル40万になった。そのころの立命館の学費が198000円。
からふねやの珈琲が250円。天下一品のラーメンが400円。ショートホープが一箱50円の時代。いい小遣い銭になった。
テンポイントというのは、新聞の文字の一番大きいのをいう。いつかそんな馬になるように、という願いがこもっている。
彼のおばあちゃん「くもわか」?が、病気をもっていて、その当時の法律で、殺される運命
だったのを、ひとりの男が、こっそりと京都から北海道まで歩いて運んで、テンポイントの母「わかくも」を産んだ。
その男の役を名優・緒形拳がテレビでやったことがある。泣けた。
一度、ラッキーなことに、鹿戸厩舎にいたテンポイントの係になった。「栗毛に流星」を目の前にして、体が硬直したのを
今でも覚えている。厩務員の人が「この馬はかしこくて、人参をあげたら、食べやすいように飼葉桶に投げて割って食べるんや」
と教えてくれた。そして、生涯のライバルのことを「トーショーボーイは、厩舎をでる時、戸の下にあるレールのとこを股いで(負担をすくなくする)
いくそうやで」といった。レース前の伝説の名馬を目の当たりにして、「まちがいない」と直感した。
いい時代だ。「名馬物語 テンポイント」で検索するとyoutubeで、そんな物語がでてくる。競馬に興味ない人でも泣けると思う。
昭和53年の京都競馬場のシーンもあるはずだ(ぼくは、今でもよう見れん)。
もちろん、その日も、淀の京都競馬場で、臨時厩務員をしてた。その日の夜は、雪降る京都の河原町で、静かに酒を飲んだ。
テンポイント物語では確か「トウショウボーイよさようなら、といって天馬がのぼっていった」みたいなセリフだった。
今日の朝刊を見て、そんなことを思い出した。感謝。