火曜日の朝はかやくごはん

うそ・・

博多っこ、とくに、博多で代々商売をしている家では、「かやくごはん」が食卓にあがることは稀有(今は知らない。ひと昔前まで・・)
理由は、「菅原道真公が、かやくごはんが好きだったので、京都から九州の大宰府に流された、から」
と、何人かの商人にきいたことがある。博多人らしい、データー量の少ない中から勝手な持論の力説が、積み重なって、伝染して、
独特の食文化の伝統をつくってきたのかな・・・・・?はなはだ、あやしき説だけど、「そげかもしれん」(そうかも知れない)と思ったりも・・。

高校時代に、博多の予備校に通っていた(夏休み、とか冬休みとか、集中講座みたいなもん)。
今はないけど、井上陽水なんかも通った予備校があって、その通りのことを「親不孝通り」を誰知らずいった。
今は、大学の学費なんかも「奨学金」という重い自腹の借金でいく若者が多いので、予備校の一年や二年は、「親不孝」
でではないかもしれないけど。でも、やっぱり日本の教育費は高すぎるし、これからますます「大学をでたから」
という付加価値は、自己満足を超える以上のものは期待薄かも知れない。

博多の予備校へは、優等生のSくんと通った。彼は理解力がすぐれていて、筆記のスピードとノートの整理術がすこぶる優秀だった。
せっかく、宗像という宗教臭い神域から、博多に通っていくのだから、授業が終わった後、喫茶店にいったり、居酒屋にいきたい、
なんて不埒なことを思っていた。それで、高校生らしい作戦を実行・・

ぼくは、パチンコの才能が少しだけあった。昭和の40年代のパチンコは、電動が始まったばかりで、まだ「手打ち」(指打ち?)
が多かった。ぼくの右手の親指は、タコができるくらいその道の修行をした。それで、博多駅についたら、ぼくが駅前のパチンコやに並んで、パチンコという苦行をおこない、Sが授業にでて、ちゃんとノートに写し、それをぼくの白紙のノートに清書する、という「原始的ぶつぶつ交換」のルーツみたいな約束事をした。
たまにまける日があったけど、そのころ箱一杯が1600円くらいになったので、平均一箱半、2400円くらいは稼ぎ(当時のアルバイト
の自給は200円くらい。)天神のバスターミナル地下の焼き鳥屋で一二(いちに)杯くらいは飲めた(笑)
それがいけなかったのか、いっしょの大学を受験したけど、パチプロみたいなぼくが通り、秀才だった彼は二浪するハメになって、
その後飲むたびに「友達は大事だ」とグダをまいていた。友達のセイにする「こころ」がまちがっていたのだ、とその後の彼の人生を
見ていて、そう思う。今でもときどき飲むことがある。(人に頼らない 人と比べない 人のせいにしない ・・・人生の三大原則)

そんな昔の話は、おいといて、昨日の朝ごはんは「やぶたけ」の味噌汁やった。
やぶたけを煮た汁に、塩で味付けして、そこにそばをゆでたものを入れる。
「最後の一滴まで飲み干せる汁」ろいう領域のスープの味があるけど、「これだ」と痛感した。
でも、これは都会で生活していたら味わえないし、ほんの一瞬の「旬の味」だ。
こんな味を追求していたら、菅原公以上に、どこかの寒村か島に流される運命にあるかもなんばん。
でも、この冬の「そば」には、そんな挑戦状をたたきつけたい・・などと密かに思っている今日このごろ。
テイクアウトや自分ちがカフェ風・居酒屋風、みたいな風潮がはばをきかせているけど、
「一杯の珈琲」「一杯のかけそば」「一杯のお酒」・・・ぶらりと散歩しなら立ち寄れる店をもってる人
は幸せだと思う。感謝。

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