なんかよくわからないけど、GOTOシリーズが目白押上で、人がヤケクソ?になったように、
旅行や飲食店や商店街に繰り出しているみたいだ。引きこもるときは、みんな一斉にフジツボみたいに殻
に入ってしまい、「いけいけ」と号令がかかると、猫も杓子もイケイケGOGO、まるで集団自殺する動物たちみたい・・・自分も
そんな在日日本人の端くれに属しているけど、なんやら、複雑な気分がする。
どちらかといえば、今は、じっとひとりでいる時間のほうが、よい時間。
今日は日曜日なので16時まで それから3人が蕎麦打ち道場にやってくる。
今日の朝日新聞の「折々のことば」は、詩人の茨木のり子さんの言葉が紹介されている。
「ひとりは賑(にぎ)やか」
ひとりでいるとき
淋しいやつが
二人よったら
なお淋しい
おおぜい寄ったなら
だ だ だ だ だっと
堕落だな (茨木のり子)
至福の「孤独」を凛とした気分で詠っておられる。さすが。
茨木さんの詩で一番好きなんは・・・・なんといってもこれ。さきの戦争で
青春の真っ只中にいた彼女の心境が、赤裸々につづられている。どんな時代にあっても、
自分を大切にした女性。みんなそんな「きれいだった」とか「幸せだった」とかいう時間がきっとあるのだろう、と信じたい。
「わたしが一番きれいだったとき」
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆 発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね