うんこくさい ぱーと2

うんこくさい(野人・上口愚朗)、を書いた本に「嗤う茶碗」(淡交社)がある。
日本一のテーラーを卒業して、陶芸家になっただけの「こだわり」が、古陶の研究
にも注ぎ込まれ、当時の陶芸界やマスコミに、なかばヤケクソぎみに投稿した論文が
紹介されているが、あながちクソミソではない、「裏もまた真なり」のことが書かれているように思う。
さすが「ウンコ哲学」を徹頭徹尾、貫かれた人だ。

捨ててしまえばみな糞袋・・・・そんな名言もあった・・なるほどと唸る!

田舎のほうは、「粗大ごみ」の整理に苦労する。「古民家を買うと、かたずけに3年かかる」という名言もある。
けだし名言だと、先日、座卓3つをゴミ捨て場にもっていって痛感した。集落の人たちも、「同じようなもの」
(箪笥・座卓・椅子・ちゃぶ台・・・)などに、200円の「粗大ごみシール」をはってだしていた。
人形ケースを捨てにきたおじいちゃんが「うちの二階にも、テーブルなどがいくつもあるけど、最近は
二階にもあがらん。ときどき葬式があると礼服をとりにあがるくらいや」とのこと。他人事ではない、とうなずく。
断捨離、というよりも、「捨てるようなものは買わない」とつくづく思う。

ごみ捨てが終わって家に帰ったら、近所のおばさんが「これ釣れたんで」と、カワハギを5匹もってきてくれた。高級魚にギョッ!
そこのご主人は漁師で、ときどき海が見えるベンチで四方山話をする。彼のカワハギ漁は、伝統的なもので、
「生きたクラゲ」を餌にして、竹で組んだ大きな籠みたいなものを舟からおろし、ころを見て、その籠をあげると、
うまくいくと、大漁のカワハギ祭りが催されるごとし、という話を聞いた。昨日は、お祭り(本来、釣りでオマツリ、というと、隣の
人と釣り糸がもつれることをいうけど・・)だったのだ。

さっそく、まないたのカワハギをさばく。口のところと、トゲのような背びれを、出刃包丁で落とす。
すると名前のように、カワハギがスムーズにできる。大きいのは、少し力がいるが。頭の先を出刃のかかとで
チョンと落とし、頭を手で折るようにすると、キモつきの内臓がでてくる。気持ち悪いことを、バカモノ
たちは「キモイ」とかいうけど、カワハギのキモは、美味い。
久保さんの斑唐津の盃にキモを入れ、皮をはいだ下の皮も包丁でとる。それを湯引きすると、フグにも負けない珍味が味わえる。
刺身をタコ引き包丁でうすく切り、織部の四方皿にのせ、かえしを豆皿に落とし、キモをまぜながら刺身をいただく。筆舌を超えた能登の味。

余談だが、能登の漁師はカワハギのことを「バクチ」という。
博打、つまり、賭け事で身包みはがれるようなことを揶揄したようなあだ名ではあるが、
「板子(いたご)一枚下は地獄」の命がけの漁師ならではの命名やな、と痛感した。
シンコロで、国の財政も、金融政策や、企業といわず、サラリーマンも、家計を預かる主婦も、
これからの未来のほうが多い子供たちも、ある意味、一歩間違えば「カワハギ」の運命に
なるような時代がやってきている。
「大丈夫、絶対死ぬまで生きられる」  絵描きの生井さんの言葉を反芻しながら、花垣を飲む。感謝。